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第483回 例会2025年10月1日(水)0:00〜2025年10月7日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

国 歌

ロータリーソング

四つのテスト

会長の時間

2025-2026年度会長 原 いづみ

皆さんこんにちは、第483回例会へようこそ‼

 前回、「猛暑の名残もようやく落ち着き、急に秋の気配が感じられるようになりました」と書いたものの、その後また暑さが戻ってきたかのような日々が続き、気づけば9月も終わりを迎えました。今日(9月30日)夕方の天気予報によれば、10月に入れば少し暑さも落ち着くとのことですが、さてどうなることやら……。
 例年であれば、稲刈りを終え、検査・出荷待ちの米袋が倉庫に積まれている頃ですが、今年はトラブルが相次ぎ、この原稿を書いている時点でようやく終盤に差し掛かり、やっと終わりが見えてきたところです。このまま順調に進めば、会期末にはすべての田んぼの稲刈りが完了していることでしょう。

 さて、最近は稲刈りやお米の話題が続いておりますが、当クラブのお米プロジェクトについて少し触れさせていただきます。昨年は、B級米を第3グループの合同事業に提供し、グループ内の各クラブがそれぞれ子供食堂や児童養護施設などに配布してくださいました。
 第3グループとしてはポリオ募金活動があり(前年度・今年度ともに当クラブは参加できませんでしたが、でも事前に寄付は届けました)、それに加えて全クラブが足並みを揃えて更に事業を行うというのは、“I serve”ではなく“we serve”という、まるで別の組織のようでロータリー的ではないと感じております。今年も当クラブとしては反対の意見を表明しましたが、当然ながら賛成多数で開催が決定。前回の会長幹事会では寄付食材の収集について話が進んでおりました。
 そのような流れの中で、参加しないと表明していたはずの私のところにも、当然のようにお米の提供について話の中で出され、一応保留としましたが、当初からアーカス湘南RC、あるいは私個人からの提供が当然視されていたような印象があり、昨年にも増して腑に落ちない思いがあります。

 そのようなことを考えながら稲刈りの手伝いをしていたところ、ふと昨年提供したお米をある子供食堂に届けた際の様子を話してくれたある会長(当時)の話を思い出しました。
 その前会長の話によると、普段はカレーを提供されてもご飯は食べず、ルーだけを口にする子供が、寄付したお米で炊いたご飯を「おいしい、おいしい」とお代わりし、さらに残ったご飯を持ち帰ったというのです。生産者として、これほど嬉しい報告はありません。
 もしその子が今もその食堂に通っているのであれば、アーカス湘南RCとして単独でその施設に寄付するという選択肢もあるのではないかと考えました。
 幸いにも、今年は昨年よりお米の出来が良く、B級に選別される籾の量も少なく、品質も昨年より良好と思われます。喜んでくださる方がいるのであれば、ぜひ届けたいという思いはあります。ただし、建前上は全クラブ参加が強制ではないとはいえ、一クラブだけ抜け、しかも寄付先が藤沢の子供食堂となると、十中八九、好意的には受け取られないことでしょう。(そのようなことをいちいち気にする私ではありませんが・・・)

 とはいえ、クラブとして最後の年度です。対外的に名を残す活動を優先したいというのは少々大げさかもしれませんが、意義ある取り組みを選びたいと考えています。皆さんはいかがでしょうか。残り数か月の中で、何かできることはあるでしょうか。

幹事報告

2025-2026年度幹事 大塚 和光

◆ガバナー月信 2025-26年度第3号(9月号)◆
 下記よりご覧ください。
 【ガバナー月信2025 第3号 
 

◆2026年台北国際大会のご案内資料◆
 日本事務局より、2026年台北国際大会のご案内資料が届きました。
 詳細は下記よりご覧ください。
 【コーディネータニュース_国際大会推進チーム
 【0_台北国際大会 よくあるご質問と回答
 【1_国際大会 オンライン登録マニュアル
 【2A_登録およびチケット申込書式 IC26
 【2A_登録およびチケット申込書式 記入サンプル IC26 (Updated 2025年6月)
 

◆財団室NEWS 2025年10月号◆
 下記よりご覧ください。
 【202510_TRF_News

委員会報告

出席委員会

第482回例会 出席率 66.6%
 会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名

Visitors

第481回例会のビジターコメント

前回はありませんでした。

Smile Box

第482回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

今週のプログラム

和ものがたり歳時記(十二:時代祭)

時代祭

卓話者:末広 平太 様

 

 時代祭
  十月二十二日、京都上京区岡崎町の平安神宮で行なう祭。祭神は桓武天皇。時代風俗の変遷を目の当たりに見せる
  豪華な行列が有名である。
   バスが往き時代祭の列が行く     蛇笏
   時代祭華やか毛槍なぐるとき     年尾
 
 葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭の一つです。その中で最も新しい明治二十八年(千八百九十五年)に始まったこの祭りは参加者凡そ二千人、七十頭を超える牛馬などで構成され、長さ二㎞におよぶ時代行列が都大路を練り歩きます。
 新しいお祭りと言われていますが百年以上の歴史があります。それなのに、どうして新しいの?と思いませんか。日本の三大祭の一つ、京都の祇園祭は千年もの歴史があると言われています。そして京都三大祭の葵祭は、なんと、千四百年も前から行われている、と言われています。
 千年以上の歴史がある京都にとって百年の歴史の時代祭は「新しいお祭り」だと言うのは納得ですね。
 平安遷都から千百年にあたる明治二十八年に桓武天皇を奉祀する神宮として平安神宮が創建され「平安奠都千百年記念祭」が盛大に行われました。この記念祭の奉祝行事として、平安期からそれまでの各時代の風俗行列が企画されたのです。
 明治維新からはじまり、逆に江戸時代、安土桃山時代、室町時代、吉野から鎌倉、藤原、延暦と順に時代を遡る行列からは京都の歴史を感じることができます。それもそのはず、この祭りで使われる衣装や祭具、調度品などは、綿密な時代考証に基づき卓越した京都の伝統工芸の技で再現されているのです。各時代の文武官に扮した市民の歴史風俗絵巻に相応しい絢爛豪華な時代行列からは明治初めの東京遷都後より京都の人たちが抱き続ける「まちの誇り」や「新時代に対する息吹」が感じられます。東京へと都が遷され、人口も三十五万人から二十二万人に急減するなど衰退していく京都を再生し興隆させることを熱望した京都の人々の想いを具現化したのが平安神宮の創建と時代祭でした。このような由来から時代祭には京都の人たちの町に対する気骨と誇りが託されていることがわかります。
 時代祭は「平安講社」と呼ばれる平安神宮の管理と保存のため京都市民の有志で出来た組織が運営と執行の母体を担っています。創建当時、平安神宮の建物の維持や祭りの挙行に市民が一日一厘の賽銭を奉納することが提案され、組織づくりが始まったそうです。市内の旧学区単位で構成された各講社がそれぞれの行列を担当、脈々と受け継がれてきました。行列の参加者は数カ月も前から各学区の小学校などで隊列や着付けの練習に入ります。平安神宮創設にあたり各時代の風俗を見せることで多くの人に知ってもらおうということで始まった時代行列ですが、当初は各家から寄付金を募って行われたのだそうです。
 戦争の気運で取り止めになっていた時代祭は戦後まもなく復興しました。昭和二十五年、猪熊兼繁(猪熊浅麻呂の息子)、吉川観方、江馬務らの風俗考証により桃山時代婦人列(染織祭の「醍醐の花見」)、鎌倉時代婦人列(染織祭の「女房の物詣」)、藤原時代婦人列(染織祭の「やすらい花踊」)の三つの女性風俗行列が新たに加えられ、その際に用いられたのは「染織祭」の衣装でした。以後、時代祭は次第に女性扮装行列を充実させ、装束も自前で誂られ、その際に参考にされたのも染織祭の時代衣装行列でした。
 この間の昭和五十九年五月二十六日には宮崎友禅斎生誕三百三十年を記念して染織祭は「染織まつり」として復活し、五十年ぶりに都大路を練り歩きました。行列の参加者は五十年前には京都の七つの遊郭の芸妓さんだったと資料にありますが、この時は全国から一般公募し八百七十名を超える応募者の中から選定が行われたのです。
 衣装の時代考証をされた方の中に吉川観方(かんぽう)氏(1894-1979年)がおられます。絵画や染織などの美術工芸品を収集したことで知られています。三万点を超えるコレクションは、現在、奈良県立美術館を始め京都府の京都文化博物館や福岡市博物館に収蔵され広く公開されています。画家としても優れた作品を残し、風俗史研究家として活躍した生涯は日本の歴史・文化の振興に大いに貢献するものでした。
 昭和四十三年頃、私は先斗町の「卯月」というお茶屋さんが始めた一見で入れるお店に通っていたことがあります。その店の二階の鴨川の見える畳敷きのカウンター席の一番奥で、いつもこの「観方さん」が一人で飲んでいました。先生と呼ばれていましたが、丁度今の私の年齢位だったのですね。帰りしなには色紙にさらりと絵を描いて、それがお勘定代わりのように見受けられました。
 一度、南画の手ほどきを受けたことがあります。それまで私は油絵ばかりでしたから色紙に顔彩で描くのに大苦戦したのを思い出します。その時食べた料理の器の土鍋の絵で、思えば汗顔ものですが、記念に残してあります。現在では悪戯に俳画を描きますが、相変わらずの下手糞です。

※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。

閉 会

点 鐘

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