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第336回 例会2022年3月30日(水)0:00〜2022年4月5日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

ロータリーソング

四つのテスト

会長の時間

2021-22年度会長 田代 晴香

皆様ごきげんよう。

 

この1週間でもロシアのウクライナ侵攻に関して連日多くのニュースが報じられました。

日本ではゼレンスキー大統領の国会演説が行われ、日本人の心に訴えかけるような「津波」、「サリン」というキーワードや原発事故、北方領土問題や福嶋原発による帰還困難を連想させ、エンターテインメント業界出身のゼレンスキー大統領のプロモーション力が話題となりました。各国でその国に響くキーワードを用いていることも同時に話題となりました。

 

国会演説が行われた時には、化学兵器については「ロシアが化学兵器サリンなどの化学兵器を使った攻撃を準備している」としていましたが、3月28日、英調査報道機関ベリングキャットがウクライナ非公式停戦協議後にロシア人仲介役を含む3人に毒物による中毒症状があったことを報じました。以前にもロシアの野党指導者ナワリヌイ氏が毒を盛られて昏睡状態になったことがありました。現状が悪化してしまう可能性が高くなることがとても心配です。

 

先日の理事会にて当クラブで現在行っている奉仕事業である「ポリオ根絶お米プロジェクト」をウクライナ支援に移行することが決定され、始動しています。原会員により、ウクライナプロジェクト概要と申請書を作成され、当クラブSNSでも告知をしております。ウクライナのお米プロジェクトは始動したばかりですが、すでにご寄付やお問い合わせを頂いております。このプロジェクトは、ウクライナ支援はもちろんですが、ロータリーの人道支援や平和構築を一般の方に知っていただくよい機会となると思います。多くの方にこのプロジェクトを知っていただけるように取り組みましょう。

幹事報告

2021-22年度幹事 大塚 和光

◆2022年地区研修・協議会◆
日 時:2022年 4月 29日(祝) 登録 11:00 ~ 12:00
                研修・協議会 12:00 点鐘
会 場:相模原市民会館とその周辺会議室
詳細はこちら【⑦会場地図(最新版)
プログラム:詳細はこちら【②2022年度地区研修・協議会プログラム

 

◆ウクライナ難民支援の義捐金協力依頼◆
 ガバナー事務所経由で協力依頼が届いています。
 詳細は下記よりご確認ください。
 【ウクライナ難民支援の義捐金へのご協力のお願い
 【支援の経緯
  当クラブよりは、突発寄付積立金より一人当たり1,000円にスマイルから上乗せして10,000円を送金することと
 なりました。

 

◆第7回日台ロータリー親善会議福岡大会◆
 『第7回日台ロータリー親善会議』が、この度福岡会場と台湾会場にそれぞれ集い、オンラインで開催されます。
 出席を希望の方はクラブでまとめてガバナー事務所に申し込みますので、2022年4月5日までにクラブ事務局までお知らせください。
 詳細はこちら【第7回 日台親善会議のご案内_ (クラブ宛)再送

 

◆「設備投資ゼロから始めるスモール DX」体験セミナー◆
 詳細は下記よりご確認ください。
 【Google Workspace体験会 ご案内

 

◆国際ロータリー第2780地区 2021-22年度地区大会 本会議オンライン配信◆ ※2022.3.30 11:20追記
 地区大会第1日目の会長幹事会並びにクラブリーダーセミナーのオンライン配信に続き、第2日目の本会議についても、オンラインにて視聴できますようになりました。

 ○第1日目 会長幹事会・クラブリーダーセミナー
  YouTube第2780地区公共イメージ委員会
  https://www.youtube.com/watch?v=jzj_FQ7UXw8&t=3735s

 ○第2日目 本会議
  YouTube第2780地区公共イメージ委員会
  https://www.youtube.com/watch?v=u-MdO0YIk2k&t=549s

委員会報告

出席委員会

第335回例会 出席率 66.66%
会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名

奉仕プロジェクト委員会

◆アーカス湘南RC お米プロジェクト Vol.3 ~ご飯を食べてウクライナを支援~◆

これまでポリオ根絶のための募金活動として行ってきたお米プロジェクトを、人道危機に瀕するウクライナの人々を支援するための緊急募金活動へと切り替え実施しています。
基本的概要はこれまで続けてきたポリオ募金の内容と変わりませんが、2022年4月29日受付分までをロータリー財団の災害救援基金に全額寄付いたしますので、身の回りの方へのご案内よろしくお願いいたします‼

アーカス湘南ロータリークラブお米プロジェクト案内 Vol.3(ウクライナ支援Ver.)
お米プロジェクト申込書(ウクライナ支援Ver.)

Make Up

第335回例会のビジターコメント

大和田園ロータリークラブ 河西 正彦 様


3月は年度の終わりということで、ビジネスの世界ではいつもより何かと忙しくなります。RCは6月末が年度末ですから、ビジネスに重ならなくてよかったですね。RC会長、幹事は、選ばれると1年間(実際は1年6ヶ月)は自身の仕事ができないほど忙しくなります。会長、幹事経験者は、より良い会にするために1年間の任期を一生懸命頑張っています。本当にご苦労なことです。やがて自分にも任が回ってきます。一人の会員として会長、幹事に迷惑をかけないようにしたいものです。

Smile Box

第335回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

卓 話

十一代目大塚重郎右衛門 様

きものがたり歳時記(十八)

             十一代目大塚重郎右衛門

 

 

 春服

春の服装。春装・春の着物。

春服も耳輪の石もうすみどり     三味

 

春ともなりますと、身も心も軽く、明るくなりますね。

服装に限らず、でしょうが、色彩も淡い軽い感じのものが好まれるようになります。例句の「うすみどり」も如何にも春らしい色ですね。パステルカラーといわれる系統の、ほんわかした色です。

いや、しかし、今時イヤリングのことを「耳輪」なんて言い方をする人はいないでしょうね。この言葉のせいかな、この例句、随分古臭く感じます。他にも、鼻輪と言ったら

牛のことかと思いますよ。これじゃ鼻リングも鼻ピアスもちっともお洒落じゃない。腕輪はどうかな。

 

「きもの」に因んだ季語を題材に、様々書いてきました。

さて、この「きもの」という言葉ですが、かなり曖昧に使われています。「着物」「和服」「呉服」それぞれ、どう違うのか、違わないのか。さてさて。

先ず、着物ですが、これは勿論「キるモノ」(着る物)という意味で、本来は単に「衣服」を意味する語です。洋服が日本で普及する以前は、日本人は衣服一般を「着物」と呼んでいて、着物という言葉自体には日本と西洋の文化を区別する意味はなかったのです。明治以降、洋服を着る人が増えたため、西洋の服、洋服と区別するために日本在来の衣服を和服と呼ぶようになっていったわけです。

ですから、和服は文字通り「和」の「服」、日本の衣服という意味です。この言葉は前述のように「洋服」に対して日本の衣服を表す語として生まれました。また、「着物」という単語は元来衣服一般を意味するため、特に曖昧さを避けたい時に「和服」という語が用いられるようです。

呉服は中国が三国時代のときに呉の国から伝わった織物のことを指し、後に和服を表す語になったものです。当時、戦乱を逃れて日本に渡った人たちも多く、呉の国からの帰化人の中に織物を業とする人達がいました。その時代の日本には部民・「べのたみ」の制度がありましたから、彼らは服部(ふくべ)の民となりました。後の「はっとり」さんのご先祖です。彼らにより技術移転が行われたのです。

以上のように、現在一般的には「着物」には二つの意味があり一つは和服のことです。「着物」「和服」「呉服」が同義語として使われることが多いようです。二つめの意味は衣服そのもののことです。裸の子供に「着物を着なさい」という時の「着物」は衣服の意味だと解釈する人が多いでしょうね。でも、そうではなく和服の意味だと解釈する人もいると思います。「着物を着なさい」の「着物」が衣服と和服のどちらを指すのかは、世代・方言によって違う可能性があるのだと思います。ということで、現代での「着物」という言葉は専ら「和服」を意味し、ごく狭義には一定の形式の和服、つまり着物と羽織という場合の着物、即ち長着を指す言葉に移りつつあるといえると思います。

日本で和服という言葉が生まれる明治時代よりもずっと前の十六世紀の時点で、日本人が衣服のことを指して呼んだ着物kimono が現在で言う和服を表す語としてヨーロッパ人に知られるようになり、現在ではヨーロッパに限らず世界の多くの言語で日本で和服と呼んでいる物を kimono と呼んでいます。kimono は日本の和服だけではなく、東アジア圏全般で見られる前合わせ式の服全般を指すこともあります。明治大学政治経済学部教授で文学者のマーク・ピーターセンの解説によるとkimonoは「和服」ではなく「着物風の婦人用化粧着」というものを表わす英単語として使われ、さらに「着物姿の」という意味でkimonoedと単語の活用がなされる場合があるとされています。

そもそも江戸時代には絹製品を呉服、綿製品は太物と言い、扱う店も別でした。「呉服」は和服そのものを指す語としては「和服」「着物」に比べ使用頻度は低いのですが、和服を扱う店は和服屋ではなく「呉服屋」と呼ばれることが多いようですね。

私の店では明治十五年に八代目が呉服、つまり絹製品を扱い始めました。ですから、その年を呉服屋としての創業としています。それまで、徳川時代は綿製品を扱う太物屋でした。江戸時代中期以降は木綿が庶民の衣類の材料として普及していました。享保・天保・寛政の改革といった三大改革始め、様々な禁令の中で庶民が絹を着ることは出来ませんでした。戊辰戦争、西南戦争を経て国内が安定し、生糸の輸出の為の養蚕業の振興で農家の現金収入も増えます。そうなると、それまで高嶺の花だったものを手に入れたいのは昔も今も変わりません。

昭和五十年代頃までは和服を普段着として着る女性を見かけることが多かったのです。その頃に流行したウール着物は色彩が美しく気軽に着られる普段着の和服として用いられました。しかし、その後も洋服を着る人の割合が増え、呉服業界は不振に追い込まれました。更に販売促進の目的で和服の約束事を殊更に宣伝したため、庶民は「和服は難しい」というイメージをより強く持つようになり、その結果、呉服業界はさらに不振になった、とも言えます。

 

※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。

閉 会

点 鐘

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