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第350回 例会2022年8月3日(水)0:00〜2022年8月9日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

国 歌

ロータリーソング

四つのテスト

会長の時間

2022-23年度会長 大塚 和光

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。どれか当てはまるもので、先ずは、ご挨拶。2022-23年度会長を務めます大塚和光です。どうぞ、よろしくお願い致します。

 安倍元首相に相応しい「お見送り」についてノンフィクションライターの窪田順生氏が「国民葬」について次のように書いています。
 堅苦しい国葬などをやるよりも、自民党や支持者も共同で執り行う「国民葬」でにぎやかに送った方が、政治家としての評価はさておき、多くの人に愛された安倍元首相らしい。民間主導のセレモニーならば、日本会議など神道系団体が多少、宗教色を出しても特に問題はないし、熱心な安倍支持者にとっても、自分たちが望むような形でお別れができるのでよほどいい。明治・大正の時代、国民に愛された政治家、大隈重信の葬儀も一般人が参列できたので「国民葬」と呼ばれた。一説には30万人も訪れたという。この時代から人々は「役人がやる堅苦しい国葬なんかより、市民が自発的にお別れが言えるオープンな会の方がいい」と思っていて、国民がそれを意思表示した結果だ。国葬にすることで一部の保守的な考えの人たちは満足かもしれないが、そのせいで、安倍氏は死してもなお批判の対象であり続ける。
 国葬は政府が国民に黙祷を「お願い」するのだが当然、それに反感を抱く人たちがいる。国葬にしたせいで、権力批判のバイアスがかかってしまう。生きている間はどんなに敵対している人でも亡くなったらノーサイドでお悔やみを、という日本人のいいところが「国葬」でかき消されてしまっている。本人や遺族にしてみれば、こんな酷なことはない。
 私はこの意見に賛同できます。こうした見解に政府はどう応えるのでしょう。

 

 今回は我が国の貧困問題の課題と支援の現状を見てみましょう。内閣府公式サイトを参照します。

 子どもの貧困は国を上げて取り組むべき重要な課題
 2015年の結果から、子どもの7人に1人が貧困状態と言われ、貧困は子どもの体や心の成長を著しく妨げる可能性があります。貧困に陥ると食事面の問題が出てきます。家庭の収入の少なさから3食しっかりとれる子どもが少なくなり、場合によっては学校の給食頼りという家庭も存在します。またひとり親や共働きだった場合、子どもは1人の時間が多く、食事も孤食となる可能性があるのです。これは子どもの体の成長だけでなく、心の成長にも大きく影響します。本来必要な栄養を取れていないことにより、成長期に体が上手く成長できないといった問題が起こります。また親と食事をともにしないことにより、精神的な成長を遂げることができず、未発達・未成熟な大人になってしまうことにつながります。さらに自己肯定感を失うケースも考えられます。家にお金がないことから様々なことを諦め、否定的な考えを持つようになります。      
これにより勉強や将来の夢なども諦めがちな生活を送ってしまい、必要な就学ができず希望を持てない状態となってしまうのです。収入の低さゆえに、学力を補うための塾や多くの経験が得られる習い事もできません。学力や経験に差が生じ、将来的には就職や生涯収入の格差につながります。その子どもが親になれば貧困の連鎖が起こってしまいます。
このような子どもの貧困問題は、当人の貧困状態だけでなく社会全体の損失にもつながります。貧困者になった場合、納税ができないなどの問題で国が損失を被ることになり、その社会的損失は42.9兆円になると算出されているのです。子どもの貧困は現在、そして将来的な問題を引き起こす重大な課題であることがわかります。(出典:内閣府公式サイト)

 貧困家庭の子どものために行われている支援とは?
 子どもの貧困に対して、行政だけでなく非営利団体の協力もあり、様々な場所で開かれ、貧困に苦しむ子どもたちを支援する取り組みが行われています。また行政などを通して保護者への支援が行われており、子どもと保護者の両面からこの貧困問題の解決に向けた支援が実施されています。

 子ども食堂
 子どもにとって必要な栄養のある食事をとってもらうため「子ども食堂」という場所がボランティアにより開かれています。ここでは非常に安い値段で子どもの成長に必要な食事をとることができます。子ども食堂は貧困に苦しむ子どもはもちろんのこと、その親も利用できるため親子でコミュニケーションを取ることができる場所ができます。また他の同じような境遇にある子どもや家庭も集まるため、自然と同じ苦しみを分かち合い相談できるコミュニティができるため精神的な安定にもつながります。

 放課後教室などの教育支援
 塾や習い事に通えない子どもを対象とした放課後教室などの教育支援も行われています。
ここではボランティア講師が控えており、貧困ゆえに学校以外で学べない子どもたちの学力補充を行っています。全国でこのような活動が広がっており、子どもたちへの支援の輪が確立されようとしています。

 保護者への支援 
 保護者への支援としては経済的負担を減らすための支援制度の制定や、児童扶養手当の支給、医療費などの無料化の動きなどがあります。
また、より収入の多い仕事につくための就労支援やキャリアアップ支援、保護者の子育て力向上のための個別支援なども行われています。保護者の生活支援を行うことで、物質的、精神的な課題の解決を図っています。

 私たちにもできることを考えよう
 

 日本の貧困問題は深刻ですが、とりわけ未来を担う子どもの貧困は解決に向けて取り組むべき問題です。貧困家庭の子どもや保護者に対し、様々な支援が行われていますが、私たちもできることを見つけ行動してみてはいかがでしょうか。貧困に悩む子どもを支援するNPOへの寄付や子ども食堂のボランティア活動など、貧困に対しできる支援はいくつもあります。

・・・と、いうことですが。さて、私に、私たちに何が出来るのだろう。

幹事報告

2022-23年度幹事 原 いづみ

◆ガバナー月 8月号◆
 下記よりご覧ください。
 【月信2022 第2号 

 

◆ロータリーレート◆
 8月 1ドル=133円

委員会報告

出席員会

第349回例会 出席率 66.6%
 会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名

Make Up

第349回例会のビジターコメント

小田原北ロータリークラブ 大川 耕作 様


今回はお世話になります。
新たな年度も始まり、クラブでの活動もこれからというところですが、ここにきてコロナ感染者も増え、まだまだ通常の生活に戻れず、皆様苦慮されている事と思います。
これから更に暑くなると思いますがお身体ご自愛なさってください。

Smile Box

第349回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

卓 話

きものがたり歳時記(三十)

卓話者:十一代目 大塚重郎右衛門 様

 いくつか質問を頂きました。一つ目の質問は「『重儀』はなんと読むのですか。」というものです。              
 私は普通に「重要な・儀式」ということで「じゅうぎ」と読んでいますが、「ちょうぎ」かもしれませんね。小学館のデジタル大辞泉で「重」を調べてみました。        
 普通の音読みは呉音の「ジュウ」で、次のような意味と熟語があります。
一 目方がおもい。「重量・重力・重金属・加重・荷重・体重・比重」
二 程度がはなはだしい。容易でない。「重罪・重傷・重税・重責・重体・重篤・重労働」
三 大切である。大切にする。おもんじる。「重視・重大・重鎮・重点・重役・重要」
四 軽々しくしない。おもおもしい。「重厚・厳重」
五 かさなる。かさねる。「重婚・重箱  ・重版・重訳・多重」
 漢音では「チョウ」で次のような読みと熟語です。
一 おもい。「軽重・輜重」
二 大切にする。重んじる。「重宝・貴重・自重・尊重・珍重」
三 軽々しくしない。「慎重・鄭重」
四 かさなる。「重畳・重複・重陽」
訓読み(え おもい かさねる かさなる)は省略します。
 どちらの読みにも「重要な」とか「大切な」という意味はあります。しかし、チョウギでもジュウギでもこの漢字の熟語が出てきません。例えば「天皇の即位に際して行われる大嘗祭は毎世(まいせい)の大嘗と呼ばれ皇室の最も大切な重儀です。」といった文脈で使われます。「重要な祭儀」の事ですが、いやいや、解らなくなりました。どちらか古い方の音を使うべきか、とも思います。しかし、今日見る体系的な祭祀の基礎が完成されたのは延長五年(927)制定の延喜式とされていますから、漢音と呉音といずれが先に入ったかは難しいですね。また「重複(ちょうふく)」と「重複(じゅうふく)」のように両方の読みが使われる例もあります。どなたかご教示ください。

 次の質問は「『尚侍は事実上消滅』って 尚侍の位がなくなったのですか。」というものです。
 はい。なくなったのです。天皇のお后は皇后ですが、多くの場合、所謂側室でもあったのがこれらの高級女官です。平安時代、日本の天皇には多くのお妃様達がいました。正妻以外に沢山の側室を抱える事ができたのです。ただし、昭和天皇も今上天皇も持ちませんでした。
 記録上に残る最古の尚侍は、奈良時代に藤原房前の娘で藤原仲麻呂の妻となっていた藤原宇比良古です。また藤原種継の娘で藤原縄主の妻となっていた藤原薬子が、平城天皇の寵愛を受けて権勢を振るったことは知られています。
 十世紀末頃から女御・更衣に準じて後宮に列するようになり、実際の女官としての業務は典侍以下が担ったと思われます。後一条天皇の中宮であった藤原威子のように、東宮妃あるいは后妃となる前に箔付けのために尚侍となった例もあります。
 平安時代後期から尚侍はほとんど任命されなくなり、室町時代以降の中世後期には任命の例は無くなりました。その後、明治時代の女官制度改革によって宮中女官の最高の官名とされましたが、実際に任命された例はないのです。ついには大正時代末期に摂政宮、つまり後の昭和天皇の女官制度改革により、その職名も廃止されました。

 尚侍は女官である多くの女性達の中でも特殊な形態をもった役職であるといえます。日本の律令制における後宮十二司の一つですが、特に活躍した時期は平安時代等です。尚侍は天皇に近侍して奏宣を扱う事もあり、平安時代等では天皇の勅旨伝達も扱ったほどのポジションでした。ようは女官の長というわけです。
 女官はそもそも天皇やお妃様に奉仕するのが仕事です。
 紫式部や和泉式部など良く知られていますね。ところが、この尚侍は女官でありながら后妃化していった役職なのです。つまり実質的なお妃扱いとなっていったわけです。勿論、本来の仕事をやった女性もいます。尚侍は将来天皇の正妃たる皇后になる人の前段階としての地位になったり、「尚侍」という名前のお妃状態であったり、様々な形態がありました。お妃様だったのに尚侍になった女性もいました。でも、決してこれは降格の扱いではありません。それだけ重要なポストだったのです。
 社長夫人なのか社長秘書なのか、とも思えます。会社の組織で例えれば、まるで社長夫人が秘書をやったり秘書が社長夫人になったりしたようなものです。はたまた愛人の秘書が夫人のように社内で扱われたような感覚になるわけです。まあ、この表現は歴史的・厳密的な意味では正しくはありませんが、わかりやすく言うとそういうことです。

 最後の質問は「この当時女房が二位とか三位とかにはなれなかったのでは。」というものです。
尚侍は最高位の女官ですが、フリー百科事典「ウィキペディア」によれば「尚侍の准位は従五位のち従三位」とあります。定員は二名で、多くは摂関家などの有力な家の妻や娘から選任されたのですね。

 

※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されている連載を編集して掲載しております。※

閉 会

点 鐘

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