第381回 例会2023年3月29日(水)0:00〜2023年4月4日(火)23:59 開催
開 会
点 鐘
ロータリーソング
四つのテスト
会長の時間
2022-23年度会長 大塚 和光
皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。どれか当てはまるもので、先ずは、ご挨拶。2022-23年度会長を務めます大塚和光です。どうぞ、よろしくお願い致します。
引き続きジェンダーギャップについて考えてゆきます。2023年2月27日の朝日新聞の二面に児童婚についての記事があります。
記事には具体例も含め現状が報告されています。日本の場合は女性の自殺者数の増加との関連も指摘されています。正直のところ、身近な問題という意識がありませんでした。
世界ではこれまでMDGs(女児・男児間の初等教育への平等なアクセスを含む)のもとにジェンダーの平等と女性のエンパワーメントに向かって進歩を遂げたものの、女性と女児は世界のいたる所で依然として差別と暴力の対象となっています。法的枠組みを通して女性の権利を行使することは女性に対する差別を是正するための第一歩です。2014年現在、134カ国が憲法で男女間の平等を保証していますが、52カ国はそうではありません。
20歳から23歳の女性で18歳になる前に結婚したと報告する女性の割合は1990年頃の32パーセントから2015年頃の26パーセントに下がりました。女性器切除の慣行が集中している30カ国では15歳から19歳までの少女の3分の1がこの処置の対象となったといいます。あらゆる地域において女性と女児は介護から料理や洗濯などの無償労働の大半を行っているのです。毎日平均して自分の時間の19パーセントを無償活動のために費やしていると報告されています。男性の場合は8パーセントということです。
次も同じ日の一面の紙面です。親の世代の伝統的な価値観とか慣習、そして近年のコロナ過の影響など具体的に報告されています。
以下はUNICEFの資料です。今の日本で自分の周辺では実感として受け止めきれないのが正直なところですが、写真で示されると、まさに具体的事実だと思わざるを得ません。
© UNICEF/UN0203604/Nakibuuka
2歳の赤ちゃんを抱くミリアさん。12歳のときに強制結婚させられて妊娠し、学校をやめなければならなかった。(2018年2月撮影、ウガンダ)
© UNICEF/UN0278285/Mersha
14歳のアヤテさんは学校のジェンダークラブで得た知識と励ましのおかげで、両親に結婚させられそうになったとき勇気を持ってノーと言うことができた。(2019年1月撮影、エチオピア)
© UNICEF/UN0276218/Boro
16歳のマイナさんは児童婚支援のホットラインのおかげで結婚を回避し、学校に通い続けることができた。(2019年1月撮影、インド)
いま世界には児童婚を経験した女の子と女性が推定6億5,000万人います。過去10年間、南アジアの児童婚は減少し、比重はサハラ以南のアフリカに移っています。サハラ以南のアフリカでは人口増加を相殺できるだけの劇的な児童婚率の減少が必要です。10年前の5人に1人と比較して、最近結婚した子どもの花嫁の3人に1人がサハラ以南のアフリカに暮らしています。ラテンアメリカおよびカリブ海では、この10年間、児童婚の比率に変動はありません。
女の子が児童婚を余儀なくされると、その時点で、そして生涯にわたり影響が及びます。学校を卒業する確率が下がるだけでなく家庭内暴力を経験するリスクが高まります。また、10代の間に妊娠する可能性が高くなり、20代の女性よりも妊娠および出産の合併症により死亡するリスクが高まります。社会的影響も大きく、貧困が世代間で連鎖するリスクが高まります。
持続可能な開発目標(SDGs)に掲げられた目標、2030年までの児童婚撲滅を達成するには進展を大幅に加速させる必要があります。それができなければ今後10年で18歳の誕生日までに結婚する女の子は1億2,000万人を超えるとされています。
幹事報告
2022-23年度幹事 原 いづみ
◆2023年4月23日(日)開催 2023年 地区研修・協議会 追加資料(現地案内図)◆
詳細は下記よりご確認ください。
【2023年地区研修・協議会ご来場につきまして】
【東海大学湘南校舎案内図(クラブ用)[11647]】
*シャトルバス運行開始時間:10:00より
*乗降場所:小田急線東海大学前駅 南口
東海大学とのピストン運転になりますので正確なダイヤはございませんが、
往復で20分間隔程度になります。
徒歩ですと20分程度です。
◆決議案 提出クラブ 投票について◆
詳細は下記よりご覧ください。
【決議案投票について クラブ宛_2023.03.27】
【決議案 23R-1茅ヶ崎中央RC】
◆【ご案内】RI会長杯ワールドゴルフ大会(2/5~16)◆
詳細は下記よりご確認ください。
0. RI会長杯ワールドゴルフ大会_クラブ宛て(クラブ管理運営3月28日)】
【1. RI会長杯ワールドゴルフ大会のご案内】
【2. RI会長杯ワールドゴルフ大会の概要】
【3. 大会の流れ】
【】
委員会報告
出席委員会
第380回例会 出席率 66.6%
会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名
奉仕プロジェクト委員会
ご案内、お声がけをお願いいたします。
Make Up
第380回例会のビジターコメント
川崎ロータリークラブ 元沢 伸夫 様
前回に続きジェンダー問題について勉強させていただきました。この問題は、経済・統計・人権・憲法と各専門分野からみた観点によって、色々なとらえ方がある事を学びました。最後にあった「まずは精算を」という提言はインパクトがありました。
Smile Box
第380回例会のスマイル報告
前回はありませんでした。
カレンダー
卓 話
きものがたり歳時記(三十八)
卓話者 十一代目大塚重郎右衛門 様
春外套
薄地のスプリングコート。スプリング・合オーバーとも。女の和服には、短い七分コート、半コートなど。春コート。
春外套東京の街に山見えず 夕雨
外套とは主に防寒等のために特に着る外衣をいいます。
但し西洋の騎士が鎧の上に着用していたサーコートの様に防暑のため、金属鎧が直射日光を浴びて熱くなるのを防ぐために着るといった特殊な場合もあります。これは砂漠地帯の住人が肌を露出しないのと同じ理由ですね。
外套には主に三つのタイプがあります。
一、袖付きの上着が長く分厚くなったもの。日本語では通常「コート」と呼ばれる。
二、一枚布を羽織るか、または巻きつけるもの。日本語では通常「マント」、「ケープ」と呼ばれる。
三、一枚布に穴をあけて被る貫頭衣。ポンチョが代表的。
これらの単語は西欧語や、それを輸入した日本語で広く用いられていますが、言葉が出来て数世紀経つ内に現在では随分意味のずれが出てきているようです。
和服の外套には次のようなものがあります。
角袖コート、
角袖・トンビと言われるインバネスコート。男性の和服用コート。角袖外套。インバネスコートから別れたコートでステンカラーコートの外観を参考にしたものなど。たもとに丸みをつけないで、角形に仕立てた袖。十九世紀末の洋服の流行にのり、男子和装用コートをメルトン、スコッチ、玉ラシャなどのコート地で仕立てたものです。特に明治から大正にかけ商家の人たちが好んで着ました。
道行コート
和服用外套の一種。単に道行とも言い防寒用として戸外で着用。普通は半コートを指し形は被風(ひふ)に同じ。衿は細身に仕立て小衿の角型をしたもの。元々は男女兼用でした。南蛮人渡来は服飾にも影響があり丸合羽から日本風の着物にあう袖合羽が考え出され、さらに分化して座敷合羽といわれる被布が出来ました。この衿は外折りですが、さらに鷹匠合羽とよばれた角衿のものが生まれ、これを道行といい、その形態が今日に至っているのです。道行衿は外折りの衿に対し折らない立ち衿で、本来は角衿ですが丸衿(都衿)もあります。角衿は幅二㎝の小衿を竪衿(たてえり)下がりの位置で額縁にし竪衿上部に続けてかけます。上部は水平で襠(まち)はありません。
被布
武家の高齢者・女性は防寒に限らず用いました。今でも三歳の時、七五三で着ますね。高齢者は帯を締めないで楽に着るため袖のあるものもあり、こちらは防寒用としても着たようです。
東コート(あずまコート)
女性の和服用長コート。足首までの長さ。1886年に東京日本橋の白木屋呉服店が売り出しました。幅の狭い道行衿やへちま衿がつき,布地はカシミア,セル,ビロード,繻子などが用いられました。防寒,防雨など目的により素材,丈,形が変化し,種々の和装コートに発展しました。
雨コート、合羽
そもそも合羽はポルトガル語に由来し外套を指します。最初は宣教師が着ていたマントみたいなものを坊主合羽といい、真似してマント型のものが出来ました。これは江戸時代ずっと使われ、上方では「引き回し」と言いました。信長から木枯らし紋二郎や清水の次郎長までずっと続きます。着物に合わせた形になったのが「半合羽」です。長いのは「長合羽」で武士が参勤交代に着ました。また裕福な商家も真似します。素材は初期にはラシャ。ラシャが禁止されると油紙、後に木綿が広まると木綿。浴衣が初期に雨合羽にされたのはこういう流れからです。この女物が「女物道中合羽」。これは道中着に似た繻子織の黒い掛け衿があります。他に「鷹匠合羽」「餌さし合羽」があり現代の道行に繋がります。江戸後期に歌舞伎の仮名手本忠臣蔵のお軽勘平道行の段でこれを着て大ヒットします。勿論男性に、です。道行の名がついて茶人俳人に広まるのが江戸末期です。外套はもっと時代が下がります。防寒用以外の上着としては、羽織、半纏、法被などもありました。それ以外の道行や道中着、男性向けのトンビ・外套などは明治に入ってからのものです。女性の道行は大正時代になってから。東コートが考えられてからです。
他にコートを表す言葉に「洋套」と書いて「カーパ」と読ませるものがあります。合羽の変形ですが直ぐに合羽に統一されて消えていきます。江戸末期に再び西洋人のコートを見た日本人はこれを「西洋合羽」と言いました。つまりは江戸期を通じてコートと合羽は同義語でした。兎に角着込んで寒さを凌いでいたのです。そのためかあまりコートは発展していません。
レインコートとしては初めは蓑や油紙が用いられました。浴衣が広まると浴衣を雨合羽にします。合羽はあくまでもコート、マントなど外套の総称です。だからレインコートはわざわざ「雨」合羽と言います。雨合羽はマント型です。
※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。
※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されている連載を編集して掲載しております。※
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