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第422回 例会2024年2月21日(水)0:00〜2024年2月27日(火)23:59 開催

開会

点鐘

ロータリーソング

ロータリーの目的

会長の時間

2023-2024年度会長 大塚 和光

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。どれか当てはまるもので、先ずは、ご挨拶。2023-24年度会長を務めます大塚和光です。どうぞ、よろしくお願い致します。
 

 

 国家間の経済的な格差は、現在、小さくなる傾向にあります。貧困問題が特に深刻なのは、後発開発途上国、内陸開発途上国、小島嶼(とうしょ)開発途上国といった国々ですが、こうした地域でも貧困率は少しずつ下がってきています。
 しかし、不平等が解消されているわけではありません。保健や教育、その他のサービスを受けられる機会という点では、まだまだ大きな格差が残っています。
 国家間の経済的な格差が小さくなる一方で、各国の国内で不平等が拡大している現状があります。国によって、不平等の中身は異なりますが、拡大している状況は共通しています。

 例えば日本では、少子化で子どもの数が減少しているにもかかわらず、生活保護費以下の収入で暮らす子育て世帯が過去20年で2.5倍になったことが2020年に新聞で報道されました。また、14年の調査で所得格差を示す「ジニ係数」が過去最大になったことも発表されました。これまで見てきたように、一部の産業や分野にのみ関係する経済が成長している場合、貧困は解消されず、格差が広がる傾向になるようです。
 また、所得の不平等だけでなく、性別、年齢、障害、人種、民族、宗教などに基づく不平等もあります。これらの不平等をどのように解消していくかも、私たちにとっての大きな課題です。
 
 多くの国でかつてないほど格差が広がっています。2017年には、世界のもっとも豊かな1%の人が世界全体の富の約33%を持っていたとされています。欧米や中国というような国に存在するとされる、いわゆる大金持ちの話は、庶民感覚では実感できないことだらけです。そこまでいかなくても所謂「爆買い」は記憶に新しいことです。

Survival of the Richest (Oxfam)」より

 

SDGs目標10「人や国の不平等をなくそう」とは
 SDGs目標10「人や国の不平等をなくそう」とは、国内や国家間で起こる不平等をなくすために示された目標です。所得格差を是正し、すべての人が人種や性別・階級などを理由に差別されることのない平等な世界を目指します。
 その他にも、安全かつ秩序のある移住の促進や、立場的に弱くなることの多い開発途上国の発言力拡大にも取り組む内容となっています。
 SDGsは目標ごとに、実現方法や「何年までに、〇〇%を目指す」といった、年や数値を具体的に示したターゲットが設定されています。目標10には10個のターゲットがあります。どのような内容かそれぞれ確認していきましょう。
 

 
目標10が掲げられた理由
 各国内や国家間のさまざまな不平等を解消することは世界全体の課題でありSDGsの基本理念である「誰一人取り残さない」世界を実現するためにも必要です。ここからは目標10が掲げられた理由を見ていきましょう。
 
富裕層と貧困層の間で拡大する所得格
 「不平等」の一つは、経済的な不平等である所得の格差です。コロナ禍前の2017年時点で、世界人口の1%にあたる最富裕層が所有する資産は全体の33%を占める一方、25%の最貧困層が所有する資産の割合は10%程度に過ぎず、国連は「富と所得の格差が多くの国でかつてないほど拡大している」と指摘していました。
 (参考:国際連合 持続可能な開発に関するグローバル・レポート2019 p.15丨国際連合広報センター)。
 所得格差はコロナ禍の影響でさらに拡大しているとも言われています。格差をなくすためには、最貧困層の所得増加を支援し最富裕層に富が集まる仕組みを変えなければいけません。
 また、このような所得格差は放置すれば次の世代にも引き継がれることになります。貧しい国や家庭に生まれた子どもは十分な学習機会を得られない可能性が高いからです。
 日本には義務教育があり文字の読み書きや計算の仕方を学びます。しかし、世界には生活費を稼ぐために学校へ行けず、親の仕事を手伝う子どもたちもいるのです。その結果、職業選択の幅が狭まり、貧困から抜け出せないという悪循環に陥ります。
 
社会保障を受けられない国が存在する
 病気や障がいなどを理由に働けなくなり生活が困難になった場合、最低限の生活を保ち基本的人権を守るものが社会保障です。日本では医療や介護・子育てなど、幅広い分野の社会保障の制度が整っています。しかし、社会保障を受けられない国も存在するのです。例えば、世界で社会保障給付を受けられる子どもの割合は、35%とされています。つまり残りの65%の子どもは給付を受けられずに、最低限度の生活や基本的人権が約束されないなか暮らしているのです。
 そのほかの社会保障によって、守られている人々の割合は下記の通りです。
  ○ 新生児が生まれた際に、出産手当を受け取れる母親:41%
  ○ 障がい者年金を受け取れる重度障がい者:28%
  ○ 年金を受け取れる定年退職者:68%
  ○ 失業手当を受け取れる失業者:22%
            (出典:10.人や国の不平等をなくそう|日本ユニセフ協会)

 社会保障を受けられないことが原因となり、命を落とす人が出てくる可能性もないとは言い切れません。そのため、すべての人の基本的人権と最低限度の生活が守られる世界を目指す必要があります。
 
移民を守る政策がある国とない国
 移民を守るために、独自の政策をもつ国は少なくありません。しかし、その内容には国によって大きな差があります。
 国連が発表した「SDGs報告 2019」によると、調査対象105カ国中の数値は以下のとおりです。
 ○ 安全で秩序ある正規移住に関する政策のある国:76%
 ○ 移民の権利に関する政策のある国:54%
 ○ 移民の社会経済的福祉に関する政策がある国:57%
                    (出典:SDGs報告 2019丨国際連合広報センター)
 このように、半数弱の国では移民の権利や社会経済的福祉に関する政策が存在しないのです。人権が守られないということは、低い給料で長時間働かされたり、理不尽な扱いを受けたりする危険性があります。人身売買のような、犯罪にも巻き込まれるかもしれません。国は移民の人権を守り、社会経済的福祉を整える必要があります。
 
国と国の間で起きている不平等
 現在世界では大きな所得格差があり、世界の富裕層の10%が世界の総所得額の約40%を占めているともいわれています。豊かな生活を送る人がいる一方で、1日米2ドル以下の貧困生活を強いられている人たちが大勢います。
 現在の金融システムやグローバル経済は資産を持つ富裕層に有利に働き、富裕層はさらに裕福に、貧困層は貧困のまま辛い生活を送っています。このような現状は個人的な不平等だけではなく、国と国の間の平等性にも影響します。
 例えば、貿易は不平等の上に成り立っている部分があります。開発途上国が先進国に対し優位、または対等に貿易を進めるには、安い労働賃金を武器に安い製品や作物を作り輸出する必要があります。
 しかし、先進国は高い関税をかけ、自国の企業を守ろうとしています。また、買い手はより安い売り手へと流れていくため、不当な価格での取り引きを余儀なくされる場合もあります。これでは、生産者は十分な利益や労働に見合った報酬が得られず、生活水準の向上は望めません。体を酷使し働いても貧困から抜け出せず、技術向上のための教育や健康サービスを受けることもできません。結果、貧困層は十分な所得を得ることが難しく、富裕層との資産、生活格差がさらに開いてしまいます。
 
国内での不平等
 同じ国に住んでいるのに、性別や人種など様々な理由で、就労や教育、医療へのアクセスに不平等が起きています。また、グローバル化や政府の規制緩和政策により富裕層への恩恵は大きくなりましたが貧困層にはほとんど恩恵がなく、両者の生活を取り巻く環境に大きな格差ができています。
 中国やインドのような新興国も、経済成長とともに格差がさらに大きくなりました。中国では農村部は都市部に比べ、学歴や賃金が低くなります。中国の戸籍制度が賃金の高い都市部に移住することを制限しています。中国政府は農村部への支援を行っているものの、所得格差は拡大しています。
 インドにおいては、IT関連の労働者は質の高い労働環境と所得を得られます。しかし、教育を受けるチャンスがなく識字もままならない人々は質の高い職に就けず、インドの所得格差は拡大する一方です。

幹事報告

2023-2024年度幹事 原 いづみ

◆地区クラブ管理運営委員会より【ROTARY フェス 2024・出演者募集のご案内】◆
 詳細は下記よりご覧ください。
 【ROTARY BAND FES 2024_クラブ宛て_配信用

委員会報告

出席委員会

第421回例会 出席率 66.6%
 会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名

Visitors

第421回例会のビジターコメント

川崎ロータリークラブ 元沢 伸夫 様


会長のSDGs講座は拝読するたびに勉強になります。今回のICTにおいてもまず先進国と比べて導入率がこんなに低いことをはじめて知りました。何事もまずは現状の把握が大事だと気づかされました。メリットデメリットは記載のとおりかと思いますが、まずは先進国並みの導入率は推進すべきかと思いました。

Smile Box

第421回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

今週のプログラム

卓話:きものがたり歳時記(四十九)

卓話者:十一代目大塚重郎右衛門 様

 

 針供養
  関東では二月八日が針供養だが、中部以西では、陰暦十二月八日に行なう。針納め・針祭る・針休み

 この解説の後に括弧書きで(春の部参照)とあります。冬の部の解説には例句はありません。この季語は山本健吉編の季寄せには「冬・歳末」と「春・初春」の両方に掲載されています。ひとつの同じ言葉が冬と春という異なる季節の季語というのは珍しいかと思います。春の部の解説については以前、第十七回で触れ、針供養の謂れなどにも触れました。着物を語るときに裁縫道具である縫い針、待ち針などの「針」の大切さは言うまでもありません。
 針供養は日頃大活躍してくれた針、くたびれた針、折れた針を軟らかいものに刺して最後の仕事をねぎらい供養するという実に女性らしい優しい気持ちを感じさせてくれる行事です。そうした針仕事、裁縫をはじめとする女性の仕事、あるいは技芸すべての上達を願う行事として位置づけられてきたことから「仕事始め」についての地域文化の違いによって針供養の日取りの違いが出たものと思われます。

 そうしたことから「針供養」という同じ季語でありながら一方は春の季語であり、もう一方は冬の季語という不思議なことになったのでしょう。
今回は俳句としてどのように取りあげられてきたかを中心に見てゆきましょう。例句を探しながら気が付いたのですが、この季語のイメージから女性の句ばかりかと思っていましたら、男性作者の句が思いのほか沢山ありました。そこで、今回は専ら男性が詠んだ句を取り上げてみます。
   ひそやかな祈りの声や針供養      和光
 手前味噌で恐縮ですが、この句から。阿夫利嶺俳句会の十五周年記念合同句集所収のものです。和光(わこう)は私の俳号で、一応、俳人協会の会員です。しかし、命永らえれば廃人にはなれるかもしれませんが、俳人は到底無理だと承知しております。掲句は句会で、つぼみ主宰に「女性の句かと思った。」と言われたのを覚えています。
   男ばかりの家族となりて針供養     忠男
 第三書館の「ザ・俳句歳時記」所収。この歳時記には阿夫利嶺俳句会の同人の句が沢山収録されています。荻山忠男さんは元会員です。以前、居酒屋「大扇」の奥の小さな座敷で冬扇句会が開かれていました。始まる前から飲んでいましたから披講の頃ともなれば皆かなりのご機嫌で、喧々諤々、楽しく貶しあっていたものです。最も、つぼみ主宰は心楽しまなかったことではありましたでしょうね。
   祇園うら年増ばかりの針供養     米朝
 上方落語の人間国宝、桂米朝の一句。勿論12月8日の方、関西の針供養を詠んだものです。祇園の若い芸妓さん達は針仕事なんてしませんね。勿論、舞妓さんも。
   蹇の妻の晴着や針供養        草城
 日野草城の俳句集成・その一、所収。有名な「ミヤコホテル」連作は今の世の中では左程エロチックとも思えませんが、女性にまつわる事を多く詠んでいることは確か。掲句はその236番目の句。蹇(あしなえ)は足が悪く歩行が不自由なこと。色々物議を起こした草城がどんな俳句の世界に居たのか、私なんぞの理解を超えます。
   針供養女の齢くるぶしに       桂郎
 講談社「日本大歳時記」1982年刊、所収。この句は女性の齢(よわい)が足首の踝に出てくることと針に感謝の供養とを合わせて詠んでいます。女性を良く見ていることがわかります。代表句の一つが次の句ですが山本つぼみ主宰と同じく町田市の青柳寺に句碑があります。
   昼蛙どの畦のどこ曲らうか      桂郎 
 石川桂郎(1907〜75)は東京・芝の生れ、家業を継いで理髪師になりました。戦前、石田波郷の「鶴」に投句する一方、小説を横光利一に学びます。戦後は文筆業の傍ら、「俳句の国」「俳句研究」「俳句」の編集長を務め、1964年、「風土」を主宰します。昼蛙の句、いいですね。        
   里山や男も遊ぶ針供養       鬼城
 「定本鬼城句集」所収。男が針供養でどう遊ぶのかな。
   針供養口で糸きる母をふと     光夫
 男は幾つになっても母親が恋しいもの、と思うのです。
   針供養豆腐いかなる悪事せし    岳人
 白く柔らかく安くて栄養があって、いいことづくめの豆腐。豆腐は何の悪い事もしていないのに、この日ばかりは痛い想いをしなければなりません。宋岳人の面白い切り口。
   戦友の名も知らぬまま針供養
   墓標みな無名戦士や針供養
 夏井いつきの100年俳句日記の「ヨミビトシラズ」より。日々当たり前のように使われ、散って(折れて)いく針。だが、裁縫が必須の主婦や主夫にとって、彼等はまさしく「戦友」の筈、といいます。名前も無く散っていく彼等、針という無名の戦士を、せめて一年に一回位は懇ろに弔ってもバチは当たるまい、というのです。「豆腐に墓標が沢山突き刺さっているみたいで気味が悪いかな?」と。古針、折れ針を墓標に見立てるなんて、これも変わった切り口。

※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。

※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されている連載を編集して掲載しております。※

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