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第425回 例会2024年3月13日(水)0:00〜2024年3月19日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

ロータリーソング

職業奉仕 四つの反省

会長の時間

2023-2024年度会長 大塚 和光

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。どれか当てはまるもので、先ずは、ご挨拶。2023-24年度会長を務めます大塚和光です。どうぞ、よろしくお願い致します。
 

 目標11に対する世界の現状と取り組みを見てゆきます。

都市の人口増加と社会格差
 世界で進む都市への人口流入は特にどの地域で起こっているのでしょうか?
 都市への移住はアジアとアフリカで顕著で、こうした地域の都市では貧困層に向けた住宅の供給が間に合わず、世界人口のおよそ10億人がスラムに住んでいるといわれます。都市化が続いている直近の20年間では、開発途上国と先進国の両方において貧富の格差が拡大しました。安全な飲料水の確保や生活ごみの収集、安価な交通機関などの公共サービスが行き届かないスラムの増加が主な要因です。
 先進国においても全ての人が質の良い住宅を確保できているわけではありません。冬の寒さが厳しいヨーロッパでは断熱のしっかり施されていない住宅に暮らす低所得の人々が暖房を十分に使うことが出来ず「エネルギー貧困」という社会問題が表面化してきています。
 
温室効果ガスの7割が都市で発生
 都市は地球の土地面積のわずか3%であるのにもかかわらず、エネルギーなどの資源利用は集中し温室効果ガスの一大発生源となっています。国連の調査によると、世界のエネルギー消費量の約60%から80%、人為的な温室効果ガス排出量の約70%を都市部が占めています。(参照:THE STRATEGIC PLAN 2020-2023 p.7│UN-Habitat・国連人間居住計画)
 主な原因は、エネルギー供給や交通のために、石油などの化石燃料を燃やしていることです。「世界の平均気温上昇を1.5度に抑える」という気候目標を掲げるパリ協定の達成には都市部の改革が欠かせません。ガソリン車の交通量の増加は気候だけでなく大気汚染をも深刻化させています。住民の健康と気候の双方を保護していく観点から、ガソリン車の走行規制、公共交通機関の拡充、その他の移動手段のための道路整備が求められています。
 
世界の取り組み事例  すべての住宅を省エネに・ブリュッセル
 ベルギーの首都ブリュッセルは2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにするカーボンニュートラルの達成を目指しています。ブリュッセルで排出される温室効果ガスの約半分は建物で使用される冷暖房などによるエネルギー消費です。そこで、建物のエネルギー効率を向上させる政策が進められています。ブリュッセル地域政府は、2015年に、世界の都市に先駆けて新規の建物に「パッシブハウス」と呼ばれる省エネ基準を義務付けました。この基準をクリアした建物は断熱性能が強化されているため冷暖房をあまり使わずに快適な空間を実現できます(参考:Bruxelles, pionnière du bâti-passif│environnement.brussels)。

パッシブハウス基準で建てられたブリュッセルの住宅地

 もうひとつが、既に建てられた中古物件に対する政策です。ブリュッセルに存在する建物の4割は1945年以前に建てられた古い建物で、3分の1の住宅には断熱材が使われていません。そのため夏には暑さ、冬には寒さの影響を受けやすく、冷暖房の消費を必要とします。ブリュッセル地域政府は、これらのエネルギー効率の悪い物件に対し2050年までに全ての住宅のリノベーションを推進する政策「レノリューション」をはじめました。屋根や壁に断熱材を施すことによって、年間平均エネルギー消費を現状の3分の1の100kWh/m2にまで下げることが目標です。リノベーションの実施を希望する市民は補助金を申請でき、建物の規模によって5万ユーロ(約650万円)から20万ユーロ(約2600万円)を上限として9割の工事費がカバーされます。リノベーション促進による効果は、エネルギー消費を抑える以外にも、経済的理由で暖房を十分に使えない「エネルギー貧困」の世帯を減らすことができます。また、関連調査・工事の受注により、8000人分の雇用を生む経済効果が期待されています。
 
歩行者と自転車中心のまちに・ヨーロッパの各都市
 ヨーロッパの各都市では温室効果ガスの排出や大気汚染の原因となっているガソリン車の走行を減らし、歩行者と自転車を中心としたまちづくりへと転換するべく、さまざまな政策が進められています。
 
歩行者・自転車道の整備
 北ヨーロッパの都市の大きな通りでは快適にウォーキングやサイクリングができるように歩行者と自転車専用のレーンが用意されています。ヨーロッパの都市は規模が東京などの大都市に比べて小さく、家と仕事場の距離が近いため自転車での通勤も可能です。健康志向や気候保護の観点から、これまで以上に自転車を交通手段に選ぶ人が増えています。

オランダ・ユトレヒトの道路

道路を解放する「カーフリーデー」
 ヨーロッパを中心に毎年9月22日は「世界カーフリーデー」を祝い、交通や環境をテーマにしたイベントが催されます。ベルギーのブリュッセルでは、9月22日に近い日曜日を「カーフリーサンデー」とし、首都圏では公共のバスやタクシーをのぞいた個人所有の車の走行が禁止され、道路は歩行者や自転車に開放されます。
 カーフリーサンデーの朝は、車の騒音がなく、街に静けさが広がります。人々はローラースケートや自転車など、思い思いの方法で道に繰り出します。車との接触事故の心配がないので、小さな子どもたちが道路で自由に遊ぶ様子も見られ、それはまるで車の必要がなくなった未来都市のようです。毎年1日だけ開催される非日常的なこのイベントですが、これをいかに日常に近づけることができるか。人々の意識と行動の変容とともに、都市のインフラの改善が課題です。
 
公共交通機関の無料化
 電車やバスなどの公共交通機関を使った移動は、マイカーに比べて利用者1人当たりの温室効果ガスの排出を大幅に削減できます。公共交通機関の利用を促進するために、運賃を無料化する動きが出てきています。ヨーロッパにあるルクセンブルクは、国土全体が神奈川県ほどの小さな国ですが交通渋滞に悩まされています。そこで、個人所有の自動車移動から公共交通機関利用への転換を促すため、2020年3月以降、公共交通機関(路面電車・バス・電車)の運賃無料化が実施されました。これは、ルクセンブルクの住民だけでなく観光客やビジネスなどの訪問者にも適用され、これだけの規模で行われるのは世界初です。
 ルクセンブルクは国民の平均所得がヨーロッパで最も高いことで知られているため、他の地域では同様の取り組みは難しいと想像されるかもしれません。しかし実際には、公共交通機関の無料化を実施している地域は、世界に広がっています。東ヨーロッパの国、エストニアでは、2013年に首都タリンで住民に対し公共交通機関を無料化し、2018年には全国に拡大しました。この政策により特に低所得の高齢者の外出が促進され、病院などへのアクセスが改善されたという調査結果が得られています。
 韓国の華城(ファソン)では2020年から18歳以下は公共バスの乗車賃を無料にしました。今後、対象年齢の拡大が計画されています。
 
目標11に対する日本の現状と取り組み事例
 日本に関連性が高いのは、都市への人口集中と自然災害です。現状と、取り組み事例を見ていきましょう。
日本の現状
大都市への一極集中と進む過疎化
 世界では都市の膨張に伴うスラムの発生が問題となっていますが、日本では対照的に人口減少や建物の老朽化による空き家の増加が社会問題になっています。コロナ禍で都市から自然の豊かな地方への移住を希望する人々が増えていますが、大都市圏への人口集中の傾向はいまだに変わっていません。
 一方で、多くの地方都市では人口流出が続き住民の高齢化・地域の過疎化が進んでいます。公共交通機関など地域社会の機能も低下し、例えば「病院に通いたいが、自分は高齢なので車を運転できない。でもバスも通っていない」など、生活水準の維持が難しくなってきているケースも散見されます。
 
自然災害の多発地域
 日本は台風・洪水や地震・津波などが多発する世界でもまれにみる地域です。大都市では建物が過密状態にあり多くの人の自宅と仕事場は距離があるため、災害時には大規模なインフラ・建物の損壊や大量の帰宅困難者の発生が懸念されます。
 実際に1995年に発生した阪神・淡路大震災は、社会経済的な機能が集中する都市で起きたため、大勢の犠牲者が出たことに加え、交通や水道電気などのインフラ機能が損壊し、甚大な被害につながりました。優れた耐震技術を持つ日本ですが、技術的に解決できることには限界があります。今後も大都市への一極集中が続けば、より根本的な解決策が必要になるでしょう。
 
日本の取り組み事例
 都市農業のまち、東京都練馬区
 東京23区の北西部に位置する練馬区は、23区の中で最大の農地面積を有しており、大都市に住みながら「農」を身近に感じられる地域です。都市化が進んだ今でも、都市農園にはさまざまな利点があることから、都市農業を重要な産業として位置付けたまちづくりが行われています。  (参考:練馬区都市農業・農地を活かしたまちづくりプラン|練馬区)
 例えば、地域住民は農園のそばに設置された直売所で採れたての新鮮な野菜を買うことができます。また、都市農園は「農」を知る機会を提供する場所としても機能します。練馬区では登録制の区民農園を貸し出しているほか、農家が栽培から収穫までをサポートしてくれる体験農園、ブルーベリーの摘み取りなどができる観光農園などを支援しており、地域住民が自然とふれあう機会を積極的に増やしています。
 
世界が注目する資源循環型のまち、徳島県上勝町
 徳島県の山間地にある人口1500人の上勝(かみかつ)町は2003年に自治体として日本で初めて「ゼロ・ウェイスト(廃棄物ゼロ)宣言」を行い、発生したごみの処理をどうするかではなく、そもそもごみを出さないためのまちづくりを行ってきました。具体的には各家庭へのごみ収集は行わず、生ごみは各家庭でコンポストを使って堆肥化し、それ以外は住民がごみステーションに持ち寄り、45種類以上の資源に分別するというシステムです。現在、リサイクル率は80%以上です。 (参照:WHY KAMIKATSU ZERO WASTE CENTER)

上勝町のごみステーションの分別の様子

 ごみステーションにはセカンドハンド(中古品)のお店や「ゼロ・ウェイストアクションホテル」が隣接され、訪問者でもゼロ・ウェイストの概念を具体的に体験できる機会が設けられています。これらの建物には、廃材が活用されるなど、ゼロ・ウェイストの発想がちりばめられているのが面白いです。
 
身近な場所からはじめよう
 17あるSDGs目標のなかでも目標11は身近に感じやすく、達成のために個人や企業が関わりやすいテーマではないかと感じます。なぜなら、自分たちの暮らしに直結することだからです。「より安全で暮らしやすい都市にするために、なにができるか」。そんな視点で家の周辺や仕事でよく訪れる場所を見つめ直すことからはじめてみませんか。

幹事報告

2023-2024年度幹事 原 いづみ

◆休会のお知らせ◆
 アーカス湘南ロータリークラブ定款第6条第1節により、2024年3月20日(水)~ 2024年3月26日(火)は
 休会となります。
 

◆決議審議会(2024)立法案(決議案)投票について◆
 下記をお読みいただき、賛成・反対をコメント欄にご記入ください。
 会期末の日にちを当クラブにおける採決日と致します。
 【決議案投票案内_クラブ宛て
 【決議案提案_茅ヶ崎RC
 

◆ふじさわ湘南ロータリークラブ3月例会変更◆
 下記よりご覧ください。
 【3月例会変更のお知らせ

委員会報告

出席委員会

第424回例会 出席率 66.6%
 会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名

Visitors

第424回例会のビジターコメント

前回はありませんでした。

Smile Box

第424回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

今週のプログラム

卓話:きものがたり歳時記(五十)

卓話者:十一代目大塚重郎右衛門 様

 

 角巻
  大型で四角の婦人用毛布の肩掛のこと。身体全体を覆い、北陸・東北・北海道に多い。
   角巻をとめたる襟の銀の蝶       占魚
   角巻を著直すが見ゆ朝の道       枯柏

 寒い北海道の冬をのりきるために、開拓者や移住者たちは、様々な防寒着を工夫しました。角巻よりも早い時期に登場し、そのルーツのひとつではないかと考えられているのが軍隊用に輸入された毛布・ブランケットです。
 すでに幕末・明治維新期には藩兵や官軍の防寒具として羽織ることに使われていました。元をたどると戦国時代の武将たちが陣羽織に仕立てた猩々緋も、ポルトガルとの南蛮貿易で渡来したラシャとよばれた毛織物です。防水にすぐれたラシャの合羽は江戸時代も上級武士や富裕な町人が使っていました。
 明治政府はこのブランケットを軍隊用に大量に輸入します。日清戦争後の明治三十年代には、これが払い下げられ民間の防寒衣料として庶民にも広がってゆきました。この輸入ブランケットは真紅の地に黒い線が数本入ったデザインのものが多く「赤いブランケット」から「赤ゲット」と呼ばれました。夏目漱石の名作「吾輩は猫である」にも、この「赤ゲット」が登場します。
 明治二十年代の北海道の新聞記事や広告に既に「角巻」の名が登場しますから、日本の毛織物産業が誕生する明治十年代から時を経ずして角巻は誕生したことになります。それが当時一般に知られていた赤ゲットの影響で生まれたことが推測できます。
 日本における毛織物産業は、それまで輸入に頼っていた毛織物の国産化をめざし、明治九年(1876)に官営製絨所が設立され、明治十一年(1878)東京・千住に工場が建設され、千住製絨所として操業を開始しました。日本軍の防寒対策として毛織物の増産が必要だったのです。
 また明治十七年(1884)には大阪の泉大津市で民間初の牛毛布が製造されたことを始めとして明治二十年代に続々と工場が生まれ日本の毛織物産業が興ってゆきました。 角巻が庶民の防寒具として広がっていく背景には、このような日本の毛織物産業の発展があったのです。 
 本州の毛織物工場でつくられた角巻は道内の呉服店を通じて都市部から地方へと普及してゆきました。五代まゆみ氏の「北海道における角巻の定着過程について」(北海道開拓記念館研究紀要)によると北海道で角巻が定着したのは明治四十年代から大正期であり、明治三十年代には花模様などの明るい色彩のものが多く四十年代から大正期には無地の角巻が普及したといいます。無地の小豆色のイメージが強い角巻ですが、明治三十六年の「雪戦会」(当時の中学校で行われた雪合戦)を写した写真には確かに花柄の角巻をまとった女性の姿があるのです。 
 「札幌狸小路発展史」によると明治四十四年から翌年にかけて札幌の狸小路で売れ行きのよかったものは「毛玉・毛布・角巻」とあります。角巻は当時にしてみると決して安価な商品ではなく、お嫁入りのときに買って一生大切にしたという証言もあるほどです。「角巻一枚米三俵」と言われていた時代もあったそうです。また冬に馬そりに乗る時には角巻が欠かせなかったという思い出話も残っています。女性にとってみればショールやマントのようにまとえ、和服でも洋服でも合わせることができ、しかも断然に温かい角巻は実用性とファッション性を兼ね備えたものだったのでしょう。
 角巻は第二次世界大戦後まもなく姿を消しました。その大きな理由は、和服を着る機会が減り洋装が普及しコートやオーバーなどのファッションが当たり前になったことや、化学繊維の普及によって防寒着の革命的変化が起きたことなどがあげられます。
 昭和二十八年発行の「北海道風俗研究」の中に「もう都市に於いては角巻の使用も少なくなり、時代の遺失物の如く姿を消し始めている。けれども田舎では和服と調和し、よき防寒具の価値はいまだ失われていない」とあります。
 当時、既に札幌などの都市部では角巻の姿が殆ど見られなくなっていたことがわかります。それはファッションに敏感な札幌という都市の姿を示しているのかもしれません。逆に伝統の色濃い東北地方では近年までお年寄りが利用する姿が見られたようです。
 角巻が姿を消し、今ではカラフルで防寒性にすぐれた衣料があふれています。それはそれで便利で華やかな現在なのですが、かつて母の角巻に包まれて幸せだった子供たちの姿は見ることはできません。
 この角巻が、ひょんなところに生き残っていたことがあるのです。家庭用品品質表示法という法律がありますが、その施行令に繊維製品のリストがあります。平成九年に改正されるまで、その別表に上衣、ズボン、スカートと並び「角巻」がありました。もう製造もされず、言葉としても忘れられていた角巻が法律の片隅に生き残っていたのです。それは意味のないことかもしれません。しかし、角巻に想いを持つ者には嬉しい発見だったのです。

※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。

※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されている連載を編集して掲載しております。※

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