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第444回 例会2024年9月11日(水)0:00〜2024年9月17日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

ロータリーソング

ロータリーの目的

会長の時間

2024-2025年度会長 原 いづみ

皆さん、こんにちは!第444回例会へようこそ!!

 9月も中旬にさしかかろうとしていますが、各地で連日のように最高気温35℃以上の猛暑日が続いています。今年は、というか「今年も」残暑が長くなりそうですが、こうなると「秋」というのはもはや暦のうえのことだけであり、体感的には夏がずっとずっと続いているようです。相変わらずクーラーも欠かせません。
 9月の第一週に着付けのお稽古があり着物で出かける機会があったのですが、本来であれば9月は夏の薄物から単衣に衣替えとなる時期。それは重々承知していても35℃を超えとなってはさすがに単衣は無理!と、「着物警察」と言われるような人が居ないと良いな・・・と思いつつ紗の着物に絽の帯といった夏の組み合わせで出かけてしまいました。幸い先生方から忠告を受けること無く、9月も1週目から10日くらいは夏物でいいのよ・・・と言うことでしたけれど、せめて半襟だけは変えておいた方が良かったようです。と、母に帰宅して話したら「まだまだね」と言われました。(笑)

 さて、9月と言えば「食欲の秋」、栗やサツマイモ、松茸といった秋の味覚が楽しみな季節でもありますが、身近なところで言えば稲刈りが始まり新米の時期でもあります。今年は夏頃からでしょうか、米不足という話がちらほら聞こえてくるようになり、連日のようにニュースで取り上げられていますが、皆さまの食卓事情はいかがでしょうか。
 一昔前に起きた米不足は冷夏に起因するものと記憶しておりますが、今起きている米不足、巷では「令和の米騒動」などと話題になっていますが、これは2023年の猛暑の影響や、インバウンド観光客の増加でコメ消費量が増えたことに因るものだと言われています。
 日本人が1年間に消費する米の量は1962年度の年間118.3キロをピークに減り続け、2022年度は50.8キロまで減っているにもかかわらず、今年になって連日のように米不足だと騒がれているこの状況、本当にお米がないのだろうか?と違和感を覚えないわけでもありません。ただ、実際のところ、うちでは基本的には小売りはしていないものの、父のところへ少し融通して貰えないかという問い合わせは知人から何件か入ったようですし、また、あまりにもメディアで取り上げられているのでスーパーに行ったついでにお米売り場にいって見たところ、確かに空っぽの棚や購入個数の規制の張り紙がされている店舗がいくつかあり、確かにお米を入手するのに困難が生じているのは確かでしょう。しかしながらそれなりに在庫を抱えている店舗もあるにはあるので、やはり地域差があるのではないだろうかという印象です。因みに、旅行者が地方で見つけたお米を購入してお土産の如く発送するなんていう事象も起きているそうですね。

 稲刈りが本格化し、産地からの出荷が本格化してきたことで新米が徐々に出回り始めれば品薄は徐々に解消されていく一方、新米価格は共同通信社の取材によると店舗によっては前年度比で3~9割高と高騰しているそうです。これは需給が逼迫していることが要因の一つではあるでしょうけれど、燃油費や肥料代の高騰といった農家のコスト増もあります。各JAのお米の概算金も平均して前年比3~4高となっているようですので、流通価格が高騰するのは当然ではありますが、では、このところのスーパーなどでの店頭価格が適正だったかといえるでしょうか。
 前述のように米の消費量は減少し、米余りで「米が売れない」「米を食べない」が問題となってきたなかで消費者はスーパーやディスカウントストアなど特売価格で販売されてきた米の価格に慣れてしまったのでしょう。実際某ホームセンターで10kg1980円なんていう価格で売られているのを見たこともあります。これだけ店頭で安価で並んでいるということは、何処かがそれだけ被っているということであり、それは恐らく出荷元の農家ということになるでしょう。
 物価上昇であらゆるものが値上がりしている今日、お米の価格も値上げされて当然と思いますが、ただ、それは価格が値上がりしていると言うより適正価格にもりつつあり、これまでの極端に安価な米が出回り、それを消費者が当たり前のように捉える風潮は変えた方がいい、と考えても良いのではないでしょうか。

 今回は米不足、令和の米騒動について取り上げてみました。お米と言えば、当クラブでここ数年続けている所謂B級米を使ったお米プロジェクト。SDGsへの取り組みの一つにもなっています。今年も一応実施するつもりではいますが、一体どのような形で実施しようか思案中です。ふるさと納税方式でお米を返礼品としてポリオ基金向けの募金を募るか、児童養護施設へ寄付するか、というのがこれまでの実施例ですけれど、この米不足のご時世、何か上手いPR、告知さえ出来れば一般の寄付者(というか購入者というか・・・)が集められるのではないかとも思うのですが、良い手立てはないですかね。やはりウェブサイトやSNSで告知というのではなかなか協力者は集まらず、やはり直接ご案内を渡してお願いするのが最も効果的という、まぁ当然と言えば当然なのかもしれませんが、少人数で活動して成果を生み出すにはもう少し前者の方法を上手く活用したいところです。

幹事報告

2024-2025年度幹事 大塚 和光

◆第16回 日韓親善会議 申込延長のお知らせ◆
申込期限が8月31日(土)から9月25日(水)へ延長となりました。
詳細は下記よりご確認下さい。
第16回 日韓親善会議 延長のご案内_クラブ宛て
第16回日韓親善会議参加の旅企画書 (2)
第16回日韓親善会議参加の旅企画書 (3)

委員会報告

出席委員会

第443回例会 出席率 66.6%
会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名

Visitors

第443回例会のビジターコメント

前回はありませんでした。

Smile Box

第443回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

今週のプログラム

きものがたり歳時記(五十三)

卓話者:十一代目大塚重郎右衛門

 

  九月蚊帳

    陰暦九月にも、なお釣る蚊帳。今は、九月蚊帳という言葉では陽暦九月を感じ出している。

   畳とぶ虫も露けし九月蚊帳     葵郷

   片隅を落して淋し九月      孤軒

             ↑(「巾偏に厨」に変更)
 

 第四十八回で「秋の蚊帳」として取り上げました。九月蚊帳も傍題の一つです。蚊帳は元々夏のものですが夜の寝苦しさから開放される九月の終わり頃になると、ようやく蚊の声も聞こえなくなるというわけです。

  蚊屋しまふ夜は武蔵野の月見かな   許六

 長谷川櫂氏によれば季語の変化形を親季語に対して子季語と呼び、季語を季題と呼ぶ場合には傍題と言うとします。この考え方によれば子季語と呼ぶのが妥当かと思いますが、季題という言葉は特殊な呼称で一般的には季語と呼びます。内容に違いは無いようにも思えますし、一般的には「季語の傍題」といいますね。厳密にいえば、ちょっと変な言い方ということになりましょうか。引用している山本健吉編の季寄せには「傍題ならびに異名・種類」とあります。

  菊枕

  干した菊の花を入れて作った枕。その菊はイヌギクという黄色の花を使うという。邪気払いの効能があるという。

   白妙の菊の枕を縫ひ上げし     久女

   天は瑠璃菊枕してまた夢に     八束
 

 杉田久女は近代俳句初期の代表的女性俳人とされます。季寄せに取り上げられた句に続き次の句があります。
  ぬひあげて菊の枕のかほるなり    久女
 この句への虚子の返句が次の句です。
  初夢にまにあひにける菊枕      虚子
 久女の「菊枕」関連句は以下のようなものがあります。
  菊花摘む新種の名づけたのまれて
  菊摘むや群れ伏す花をもたげつつ
  摘み移る菊明るさよ籠にあふれ
  菊干すや日和つづきの菊ヶ丘
  愛蔵す東籬の詩あり菊枕
  菊干すや東籬の菊を摘みそへて
  ちなみぬふ陶淵明の菊枕
  花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
  足袋つぐやノラともならず教師妻
  谺して山時鳥ほしいまま

 杉田久女は1890年(明治23年)5月30日、大蔵省書記官赤堀廉蔵の三女として鹿児島県鹿児島市に生まれました。本名は久子です。明治41年に御茶水高女を卒業し、翌年に画家の杉田宇内と結婚しました。夫が小倉中学校の図画の教師として赴任したため小倉に住みます。1916年(大正5年)兄の赤堀月蟾より俳句を学び、秋頃に「ホトトギス」や「曲水」に俳句を投稿し始めます。1917年(大正6年)、この投句を機に高浜虚子に師事することとなり、虚子に認められ長谷川かな女と共に女流俳人として世にデビューしました。

 ところが彼女には虚子の門下の女流俳人たちが華やかにデビューし名声をほしいままにしていくのがまばゆいばかりに映ったようで、自分だけは虚子の恩顧が薄いからだと思い、ひとり悩むようになったのだそうです。そこで彼女は虚子に手紙を書きました。昭和9年から14年までの6年間に230通にもおよぶ手紙を書いたといいます。

 1934年(昭和9年)にはホトトギス同人となったものの1936年(昭和11年)に何の予告も説明もなく、理由不明のままホトトギス同人を日野草城、吉岡禅寺洞らと共に除籍されてしまいます。この一連の除籍についてはいろいろな理由が推測されています。少なくとも久女については一説には言行の激しさが理由とも言われており、虚子は彼女のひたむきさが煩わしくなったと簡単に考えた方がいいようだ、とも言われています。師でありながら、なんというご都合主義だとも思えますが。しかも虚子はその理由を彼女の精神分裂にあったと思わせるような曲解した文章を発表もしています。これが事実に反することは今日では定説になっています。

 「ホトトギス」を除名されてから後、神経を病み、戦後の食料難から持病の腎臓病を悪化させて句作を断念します。入院生活となり1946年(昭和21年)1月21日、数え年57歳で他界しました。ホトトギス除名後も虚子を慕ったことから、長女の石昌子の依頼で墓碑銘は虚子が刻みました。   1942年、娘の結婚式で上京した折に詠まれた「鳥雲にわれは明日たつ筑紫かな」が最後の句とされます。

 波乱に富んだ人生は多くの小説の題材となり高浜虚子の「国子の手紙」や松本清張の「菊枕」などが知られます。小説では久女は「ぬい」という名で、色白で背が高いと書かれています。高浜虚子は宮萩栴堂(せんどう)という名で登場しています。この小説、俳人を主人公にしながらも俳句作品を一句も示していません。作品を引用することで作中人物の「ぬい」と実在の俳人久女が完全合体するのを避けなければならなかったのだろうと言われています。

 

※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。

 

※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されている連載を編集して掲載しております。※

閉 会

点 鐘

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