第457回 例会2025年1月15日(水)0:00〜2025年1月21日(火)23:59 開催
開 会
点 鐘
ロータリーソング
ロータリーの目的

会長の時間
2024-2025年度会長 原 いづみ
皆さんこんにちは!第457回例会へようこそ!!
この例会が始まる1月15日、かつては祝日法の下「成人の日」と定められていたことを覚えている方がここを訪れる方は殆どかと思います。私もその一人で、今では日にちどころか成人となる年齢さえ法律が変わりましたけれど、今も成人の日というと1月15日と思い浮かべます。
因みに、成人の日が1月15日と定められたのは1948年7月20日に公布され即日施行された「国民の祝日に関する法律」(祝日方)によるもので、その理由は(諸説あると思われますが)、この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによるのだそうです。ただ、女性の場合は「裳着(もぎ)」と呼ばれる儀式ですので、この点においては今回参考にした資料には言及されていなかったので疑問の残るところです。何れにしても、理由が「元服」とか「小正月」とか古い時代の慣習に由来する割には、法制化されたのは比較的近代だったのですね。
前述のように、民法の改正により、1876年(明治9年)から20歳とされてきた成人年齢がおよそ140年ぶりに変わり、2022年4月1日から18歳に引き下げられ、現在では「成人式」ではなく「二十歳の集い」と名称を変えて各自治体で開催されるようになっています。
名称は変わっても、やはり「二十歳」「成人」のお祝いというと今でも女性は振り袖ですね。私も成人式には新しく誂えてもらった振り袖を着て成人式に出席しました。あれから○○年・・・。時が経つのは早いものです。
振り袖もその時代によって流行というか傾向というのがあるでしょうが、どの時代も赤色が主流というのが変わらないのだそうです。ただ、近年個人で誂える方は減少傾向にあるようで、レンタルで済ませてしまう方が殆どというのは何とも残念なところです。
振り袖はもとより、呉服市場が減退し始めてから久しく経ちますが、日本の民族衣装である着物を着る機会というのは現代の日本社会では珍しい、あるいは特別な機会と捉えられることが多いのではないでしょうか。私自身は母の影響で若い頃から着物を着る機会は一般的な人より多かったですし、また数年前から着付けを改めて習うようになってからは何かと着物に携わる機会も増えてきたのでさほど特別なことではないものの、やはり日常着として着ることはありませんし、私自身も、近年京都や浅草などといったレンタル着物が流行っている観光地は別として、街中で着物をお召しになっている方を見ると珍しいな、とつい目が行ってしまうものです。
この日本の文化である着物、自分で着付けの出来る人も少なくなってきているのは言うまでも無いことですが、着付け教室の先生から聞いて驚いたのが、成人式の着付けに行くと足袋の履き方が分からない人が居る、結婚式の着付けに行ったらレンタルした留袖に付いている比翼を暑そうだから取ろうとしたら取れなかった、ぐし縫い(飾り躾)を取ろうとしたけど取れなかった、帯揚げと帯締めにピンクをどうしても使いたいと言って譲らないお客さんに苦慮したetc…。私自身が直接目にしたものでは、某通販サイトの着付け小物を扱う店舗の足袋の口コミに「4枚と書いてあったので買ったら1足分しか入っていなかった」と書いてあるのを見たことがあり思わず「そりゃそうでしょ(笑)」と、失礼ながら笑い話に時々使わせてもらっていますが、これも足袋のことで「4枚」「5枚」と書いてあれば普通は鞐の枚数のことと理解するものを足袋の数と勘違いしたのを知らずに書いてしまった書き込みもあったり、他にもまだまだありますが、呉服のプロである大塚幹事の足下にも及ばない俄知識で書いても逆に指摘されそうなのでこの辺にしておきますが、着物という民族衣装文化を普及させようという団体に関わる者として、着物文化の行く末が不安になるような話が沢山あるものです。
長い歴史の中において、伝統や文化、風習など、姿を消していったものも少なくないでしょう。何かと「変化」「改革」というように新しいこと、変わっていくが求められる今日あって、こうした物事はややもすると軽んじられ、古くさく捉えられてしまうかもしれません。しかしながら、現在というのは多くの先人達の英知が集結され、積み重ね、引き継がれてきた姿であり、所謂老舗と呼ばれるようなところでは、本質的なものはしっかり残しつつ、新しいものを取り入れて変化させることに成功していると評価されているように思います。
幹事報告
2024-2025年度幹事 大塚 和光
◆ガバナー月信 2024-25年度第7号(1月号)◆
下記よりご覧ください。
【ガバナー月信2024 第07号 2025.01.09_02】
◆ハイライトよねやま298号 2025年1月14日発行◆
下記よりご覧ください。
【https://www.rotary-yoneyama.or.jp/content/uploads/summary/highlight298_pdf.pdf】
委員会報告
出席委員会
第456回例会 出席率 66.6%
会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名
Visitors
第456回例会のビジターコメント
小田原北ロータリークラブ 林 淳 様
今週のプログラムでは、SDGsの目標15「陸の豊かさも守ろう」が取り上げられている。この15の目標は範囲が広くどれを取り上げるか迷うが、我々の近くにも循環型社会を目指す長期戦略「バイオマス」の活用に取り組んでいるグループもあり、このような身近な活動を支援することも一つの方法かと思います。
Smile Box
第456回例会のスマイル報告
前回はありませんでした。
カレンダー
今週のプログラム
きものがたり歳時記(五十七)
卓話者:十一代目大塚重郎右衛門 様
股引
ズボンに似て、腰部の前の左右が重なっているもの。長くて足首まであるものをぱっちと言う。
膝形に緩む股引足入るる 禄郎
股引(ももひき、またびき、またひき)は日本の伝統的ボトムスであり下着としても使われました。腰から踝まで、やや密着して覆う形のズボン型で腰の部分は紐で締めるようになっているものが多い。股引は既に室町時代の文献に見られ股脛巾(ももはばき)の転訛したものといわれます。安土桃山時代にポルトガルから伝わったカルサオ(カルサン)と呼ばれる衣服が原形とされます。
江戸時代には鯉口シャツ(ダボシャツ)や「どんぶり」と呼ばれる腹掛けと共に職人の作業服となり、農作業や山仕事などにも広く使われました。物売りや小店の商人たちは股引を穿き、着物を腰に挟む尻端折りをしていました。着方は、足を入れ後で打ち合わせてつけ紐で結びます。腰回りの自由がきくし脱ぐことなく用を足すことが出来るし、機能的だったのです。
生地は「こんめく」という紺の盲縞(めくらじま)、つまり無地の木綿が多く、袷仕立ては裏に浅葱の木綿を付けました。夏は白木綿や縦縞の単仕立て。正絹を使ったものは江戸では「ぱっち」と呼んで区別しました。上方では木綿製も絹製も股脚の長いのは「ぱっち」と言い、短いものは「股引」といったようです。
股引の威勢に戻る鷹野哉 許六
肌に吸い付くような細いものが鯔背(いなせ)で「粋」とされ、竹の皮や紙を踵に当てて穿いたといいます。殊に木場の筏師たちはその細さを競ったとも伝わっています。職種によって模様を違えるなど、江戸町人の美意識は股引にもしっかりと生かされていたのです。
その後、股引は次第に防寒下着としての役割を担うようになり着物の下やズボン下として冬場に用いられます。素材もメリヤス編みの白色や肌色が主流になりました。女性や子供も股引を着けていました。ピンクもありましたね。
海女達の股引赤し町を行く 石杖
洞外石杖のこの句、白い腰巻に赤い股引はどのように見られたのでしょうか。定めし艶っぽかったのかと。
ラクダの股引というのもあります。昔は本当にラクダの毛で作られていました。ラクダ即ちキャメルはカシミヤと同じように柔らかで温かく、セーター、コート等にも使われる高級織物です。お金をたくさん稼ぎ家族を養って隠居、年をとり外見を飾り立てる必要もなくなり最後の贅沢が実用的なラクダの股引です。値段も高く、若造が履く物ではありません。時代と共に本物のラクダの毛が少なくなってくると他の物で代用されるようになります。今となっては色だけ「ラクダ色」の股引が殆ど、というわけです。
膝上までの半股引(はんだこ)といわれるものもあります。現代では祭りの時の神輿の担ぎ手の服装として知られています。私は毎年2月11日の建国記念の日に岩手県一関市大東町の水かけ祭りに参加してきました。その祭りで駆ける「裸男」も半股引を穿き、腹に晒を巻きます。
もんぺ
東北で、水田耕作の少ない畑作地帯や山村で多く用いられて来た。長着物の上にはいて簡単に仕事着となる。もっぺ。
綿雪に睫毛も濡れ居り雪袴(もんぺ)の娘 穂月
戦時中の女性の服装といえば「もんぺ」のイメージです。しかし、もんぺはその当時でも既に古臭くダサかったのです。なぜモンペは国民服となったのでしょう。戦争が「格差」を平準化していったとも言えるのです。日中全面戦争勃発から約一年、昭和13年7月4日の東京朝日新聞が「銀座にもんぺ隊」の見出しで報じています。「夜の銀座へモンペ姿の少女の一群が突如現れて圧倒的に人目を惹いた。福島県大沼郡高田町大沼実業学校女子部二年生の修学旅行団四十名なのだ。引率の坂内教諭に云わせると、これは十数年来の制服でして、云々、と。」戦時下にもかかわらず、初めはモンペ姿が奇異の目で見られたのです。当初、戦時下の女性の服装に相応しいとされたのはエプロン・割烹着でした。もんぺは古臭くて田舎臭かったのですね。
懐手
少年・少女の懐手は愛らしいが、大人の場合はじだらくな有閑的な姿に見受けられる。
影法師の吾があはれや懐手 虚子
吾子の母乳房もやすき懐手 草田男
東山三十六峰懐手 文代
別冊俳句「平成俳句選集」(2007)所収。「西野文代のこの句、だんだん俯瞰してゆくと、やがて一行が一個の点に見えてくるだろう。俳句性の極致。」と今井聖の評にあります。漢字ばかりの句。私も試みていますが、なかなか成功しません。難しい。
※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。
※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されている連載を編集して掲載しております。※
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