第472回 例会2025年6月18日(水)0:00〜2025年6月24日(火)23:59 開催
開 会
点 鐘
ロータリーソング
職業奉仕 四つの反省

会長の時間
2024-2025年度会長 原 いづみ
皆さんこんにちは!第472回例会へようこそ!!
2024-2025年度最後の例会となりました。やっとここまでたどり着きました。月並みですが、長いようであっという間に過ぎていった一年でした。まだ次年度多少続けることになっていますし、そしてその次年度にはクラブもいよいよ解散という最後の一大事を控えているので、まだまだようやく会長としての一年を終えてホッとされてるような他のクラブの会長さん達のようにはいかないというのが正直なところですが、それでも着実に最終ゴールに向かって進み、その一段前の階段を上りきったという思いはあります。
いつ会長としての一年を過しても大なり小なり問題は起きたりするのだろうかともいますが、今年度もご多分に漏れず色々ありまして、その最たるものはウェブサイトにアクセス出来なくなったことでした。こうした事態になり、2025-2026年度で解散という目標までほんのあと僅かなところまで来てたにも関わらずいよいよここで強制終了かと、もうそれも致し方ないという諦めの思いが頭を過らなかったわけでもありませんでした。当時、自身の一大事を控えていた時期で他の事をする余力も無く、ウェブサイトのシステム的な事など全く知識も無く私自身にはどうしようもなく、また、ただでさえ例会やクラブ運営などワンオペで行っている状態ですので私にどうにか出来なければ他に出来る人もおらず、そうなるとクラブを終わりを早めるしかないかとも真剣に考えたわけです。その方が毎週の例会からは解放されるという面では楽となるわけですが、ただ、こうなるとここまでやってきてこうした終わり方は出来ないという思いの方が徐々に強くなり、知識が無いながらに色々調べていったら幸か不幸か復旧させることが出来てしまい今日に至る、となったわけです。
細かい愚痴を言えば切りが無いですけれど、3年前半前に次年度地区を率いる人がこのクラブを最大限に愚弄しパワハラまで公然と行った松下氏になると決定したことで、どうせクラブを解散するなら「Eクラブはロータリークラブではない」等など言い放ったその人の年度にしたいということで最後の年度を3年延ばしたことで2024-2025年度もこのクラブは存続し、取り敢えず10周年という区切りを迎えることが出来、そして終わりにしていたら出会うことのなかった人達にも出会うことが出来たと言うこと、それは延ばす決意をさせられることがなかったら出会う事も無かった人達かもしれないので、それは苦しい中でも続けてきたご褒美だと受け取っています。特に、前回会長をしていた二期目は第一グループから第三グループに移籍となり、移籍となった背景をうやむやにされていたことで納得出来ないことが多く、第三グループにもなじめずに一年過してそれはその後もずっと引きずっていたのですが、今年度当時会長だった方たちが今年度私の他に3人もまた同期の会長となり、これも何かのご縁だったのでしょう。
PETSの後、次年度の会長幹事会が最初に開催された日、まさにその日が初めて手術を受けた日でしたので出だしから少し後れを取り、そして前回のこともあり第三グループとも多少距離を置こうとしていたところもなかったとは言えないのがしょうじきなところでしたけれど、再び同期の会長となった会長たちや何より新井AGに引っ張っていただき、十分に活動出来たとは言い難いながらにも、他クラブには色々ご迷惑をおかけしたこともあったかとは思いますけれど、それでも今年度は第三グループで楽しく過すことができたことは新井AGや他クラブの会長幹事の皆さんに感謝しかありません。そういうところで無かったら、まだ何かと不自由が多い状態ですので最後の会長幹事会も出席しなかったでしょう。
さて、最後になりましたが、6月8日にRI会長エレクトのデ・カマルゴ氏が突然の辞任を発表されたこは前回の例会でご報告したところですけれど、6月15日にラグーザ・ロータリークラブ(イタリア)のフランチェスコ・アレッツォ氏が、2025-26年度国際ロータリー会長の指名を受諾されたことが発表されました。詳細はこちら【https://www.rotary.org/ja/francesco-arezzo-of-italy-selected-to-be-2025-26-rotary-international-president】をお読みになって下さい。
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ロータリーファミリーの皆さま
変化が必要な時にこそ、ロータリーファミリーの強さとレジリエンスが輝きます。マリオ・セザール・マルティンス・デ・カマルゴ氏の予期せぬ辞任を受け、国際ロータリー理事会は、ロータリーの細則に従い、使命とリーダーシップの継続性を確保するために迅速かつ慎重に行動しました。
私は、ラグーザ・ロータリークラブ(イタリア)のフランチェスコ・アレッツォ氏が、2025-26年度国際ロータリー会長の指名を受諾されたことを、ここに誇りを持ってお伝えいたします。
アレッツォ氏は、30年以上のロータリー会員であり、ロータリー財団のベネファクターです。
ロータリーの価値観とビジョンへのアレッツォ氏の献身によって、ロータリーはこれからも素晴らしい前進を見せていくに違いありません。
この移行は、ロータリーが単なる個人の集まりを超えた存在であることを私たちに教えてくれます。ロータリーは、友情と奉仕に深く根ざした世界的な運動であり、どのような挑戦にも適応し、繁栄し続ける能力を備えています。
今こそアレッツォ氏のリーダーシップの下、よいことのために手を取りあう時であり、私たちは共に、希望、行動、コミュニティに満ちたロータリーの未来のために突き進むことができます。
心を込めて
2024‐24年度国際ロータリー会長
ステファニー・アーチック
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一年間ありがとうございました。そして、あと数ヶ月宜しくお願い致します。
幹事報告
2024-2025年度幹事 大塚 和光
◆ハイライトよねやま303号◆ 2025年6月13日発行
下記よりご覧ください。
【https://www.rotary-yoneyama.or.jp/content/uploads/summary/highlight303_pdf.pdf】
◆2026年夏出発 青少年交換学生募集のご案内◆
下記よりご覧ください。
【2026年夏出発 クラブ確認書(クラブ用)】
【2026年夏出発 国際ロータリー第2780地区 青少年交換プログラム 申請書-A4】
【2026年夏出発 青少年交換学生応募受付の流れ(クラブ用)】
【2026年夏出発 青少年交換学生募集パンフレット】
【2026年夏出発 青少年交換学生募集要項 一般】
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国際ロータリー第2780地区
ロータリークラブ 御中
いつも大変お世話になっております。
2026年夏出発の青少年交換学生の募集の開始をしましたのでお知らせいたします。
あわせて地区HPも更新しております。申請書や要項はHPからもダウンロード可能です。
また、数に限りがございますが募集パンフレットもご用意しております。ご希望のクラブはぜひお知らせください。
奨学金・留学制度 | 国際ロータリー第2780地区 (rid2780.gr.jp)
【https://rid2780.gr.jp/exchange-and-scholarship/】
<募集締め切り変更のご案内>
クラブリーダーシップラーニングセミナーにて配布いたしましたパンフレットに記載の応募締め切りから、下記の通り変更がございます。
ご迷惑をおかけいたしますが、ご確認の程、どうぞよろしくお願いいたします。
変更前)応募締め切り2025年10月10日(金)
変更後)募集期間2025年9月3日~10月3日(金)
募集に関してご不明な点等ございましたら、どうぞお気軽にお問い合わせください。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
ガバナー 佐々木辰郎
地区青少年交換委員長 遠藤秀樹
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◆アレッツォ氏就任のお知らせ◆
フランチェスコ・アレッツォ氏会長エレクト就任について、佐々木ガバナー、松下ガバナーエレクトより書簡が届きました。
下記よりご覧ください。
【RI会長エレクト就任のお知らせ】
委員会方向
出席委員会
第471回例会 出席率 66.6%
会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名
Visitors
第471回例会のビジターコメント
鳥取ロータリークラブ 吉田 友和 様
会長の時間を拝読し、原会長の誠実なお人柄とロータリーへの情熱が伝わってまいりました。体調が万全でない中でも大切な式典に出席される姿に、リーダーとしての責任感と周囲への配慮を感じました。また、RI会長エレクトの辞任という衝撃的な出来事にも冷静に向き合い、個々のクラブの自律的な活動の大切さを強調された点に共感いたしました。どんな状況でもロータリーの本質は変わらず、地域に根差した奉仕を継続することが重要だと再認識しました。
東京八王子東ロータリークラブ 髙橋 真吾 様
初めてメーキャップさせていただきます。
RI会長エレクトの辞任は、MyRotaryを見ていたときに気づき、大変驚きました。辞任理由が漠然としており、あらぬ憶測を呼ぶのではないかと危惧しております。新たに会長エレクトが就任されて、ほっとしております。所属している地区でも、過去、ガバナーエレクトが突然亡くなり、急遽2年連続で直前ガバナーが務める事態になりました。過去に所属しているクラブでも、6月末に会長ノミニーが退会するという緊急事態が発生しました。どの組織でも言えますが、人事は難しいです。過去2回幹事を務めましたが、記念式典の委員長や委員の人選に苦慮しました。長老には気をつかうべきですが、それで運営が滞ってしまったら本末転倒です。そのような人事に関する配慮などをたくさん学ばせていただきました。
また、今回は、扇子や団扇の語源や扇風機の歴史を学ばせていただきました。
私自身、数年前から鞄の中に扇子を入れるようになり、しばしば使用しています。扇風機も、エアコンの普及で、全く見かけなくなりましたが、コロナ禍でのサーキュレーターは大変役に立ちました。団扇は、よく販促グッズで配られますが、家に何本も保管しており、最近では、全く使わなくなりました。
この度は、ありがとうございました。
Smile Box
第471回例会のスマイル報告
前回はありませんでした。
カレンダー
今週のプログラム
Ⅰ.新旧ガバナー補佐ご挨拶
第三グループの新井ガバナー補佐と大澤ガバナー補佐エレクトよりご挨拶を頂戴しています。他クラブへは各クラブ訪問されてご挨拶されているようですが、当クラブへは書面でということでお願いしますのでそのまま掲載致します。
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1年間に感謝をこめて
第3グループ
2024-25年度 ガバナー補佐 新井智代
佐々木ガバナーの「ロータリーのマジックを行動で示そう」とのスローガンのもと1年間を過ごして参りましたが、6月末をもって無事に2024-25年度も終わろうとしています。
原いづみ会長には、体調がすぐれない日もある中、1年間本当にお世話になりました。大塚和光幹事とともに会長幹事会へ毎月のよういご出席いただき、また10クラブ合同事業「子供食堂とつながるプロジェクト~おいもdeサンタ」におきましては多大なご寄付を賜りました。心から感謝申し上げております。
アーカス湘南ロータリークラブ様の10年間のそのご努力に敬服しつつ、これからのご活躍をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
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アーカス湘南ロータリークラブ
原会長様
次年度、ガバナー補佐をさせて頂きます。藤沢西ロータリークラブ、大澤宏と申します。第3グループの為、微力ですが一生懸命活動させて頂きますので、宜しくお願い申し上げます。
Ⅱ.和ものがたり歳時記(四)
卓話者:末広 平太 様
大矢數
大矢數
江戸時代に、旧四、五月ごろ、京都東山三十三間堂で、六十六間を射通す通し矢の競技。
矢数が多かった者は、総一・弓の天下などと言って堂に額を掲げた。
ほのぼのと粥にあけゆく矢数かな 蕪村
三十三間堂の通し矢(とおしや)は振袖・袴姿の新成人女子の晴着姿が印象的で有名です。新成人が矢を射るようになったのは昭和二十六年以降のことです。江戸時代に流行した通し矢とは随分違っています。
通し矢は京都蓮華王院(三十三間堂)の本堂西側の軒下(長さ約百二十一㍍)を南から北に矢を射通す競技です。いくつかの種目があったのですが、一昼夜に南端から北端に射通した矢の数を競う大矢数(おおやかず)が有名で初夏の季語になっています。
江戸時代前期に最盛期となり有力藩の後援で多くの射手が挑戦して記録更新が相次ぎました。京都三十三間堂の他、通し矢用に作られた江戸三十三間堂や東大寺大仏殿回廊でも行われ、通し矢用に工夫された技術・用具は現代の弓道にも影響を与えているといいます。
起源については諸説あり、保元の乱の頃(1156年頃)に熊野の蕪坂源太という者が三十三間堂の軒下を根矢(実戦用の矢)で射通したのに始まるともいわれますが、伝説の域を出ません。実際には天正年間頃から流行したとされ、それを裏付けるように文禄四年(1595年)には豊臣秀次が「山城三十三間堂に射術を試むるを禁ず」とする禁令を出しています。ただ、秀次自身も弓術を好み、通し矢を試みたともいいます。この頃はまだ射通した矢数を競ってはいなかったようです。
通し矢の記録を記した慶安四年(1651年)の「年代矢数帳」に明確な記録が残るのは慶長十一年(1606年)の朝岡平兵衛が最初です。平兵衛は清洲藩主松平忠吉の家臣で日置流竹林派の石堂竹林坊如成の弟子であり、この年の一月十九日、京都三十三間堂で百本中五十一本を射通し天下一の名を得ました。以後、射通した矢数を競うようになり、新記録達成者は天下一を称しました。多くの射手が記録に挑みましたが、千両ともいう多額の費用が掛かったため藩の援助が必須だったのです。
寛永年間以降は尾張藩と紀州藩の一騎討ちの様相を呈し、次々に記録が更新されました。寛文九年(1669年)五月二日には尾張藩士の星野茂則(勘左衛門)が総矢数10,542本中通し矢8,000本で天下一となりました。貞享三年(1686年)四月二十七日には紀州藩の和佐範遠(大八郎)が総矢数13,053本中通し矢8,133本で天下一となり、これが現在までの最高記録です。その後大矢数に挑む者は徐々に減少し十八世紀中期以降は殆ど行われなくなりました。但し、千射種目等は幕末まで行われていたようです。
江戸では寛永十九年(1642年)浅草に江戸三十三間堂が創建され、京都よりも多様な種目が行われて活況を呈しましたが大矢数では京都の記録を上回ることはありませんでした。幕末に至っても通し矢は行われましたが、明治五年(1872年)には建物が解体されてしまいました。
東大寺でも通し矢が行われていたようです。大仏殿西回廊外側の軒下(106.8m)を北から南に射通すもので、京都三十三間堂より距離は短いものの天井が低い(3.8〜4.1m)ため難度は高かったのです。天保十三年には当時挙母藩士で後の新撰組隊士安藤早太郎が四月二十日酉の刻(十八時頃)より翌二十一日未半刻(十五時頃)までで総矢数11,500本中、8,685本を射通した記録があります。(成功率75.5%)。
江戸時代に大いに流行した通し矢でしたが当時から過度の競技化には批判があり、伊勢貞丈は「安斎随筆」で「通し矢は用に立たず、矢数を射増したる名を取るのみにて、無益なる業なり。見せ物の類なり。」と述べているのです。
明治以降、通し矢はほとんど行われなくなり大矢数では明治三十二年(1899年)の若林正行が4,457本を射通したのが最後の記録です。
現在は、成年に達した男女が記念のために京都の三十三間堂で行う通し矢の催しとして名残をとどめています。毎年一月中旬に京都三十三間堂で「大的(おおまと)全国大会」が開催されていますが、距離六十㍍の遠的競技の形式で、通し矢とは似て非なるものです。現在の通し矢、大的全国大会は例年成人を迎えた約二千名の男女の弓道有段者や称号者が大的を射て腕を競います。新成人の女性は華やかな晴れ着姿で矢を射ることから新春の京都の風物詩にもなっています。
ところで、京都三十三間堂の通し矢の競技に倣い、矢数俳諧というのもありました。一昼夜もしくは一日の間に独吟で出来るだけ多くの句を作り、その数を競うものです。
延宝五年(1677年)五月に大坂生玉(いくたま)の本覚寺で井原西鶴が千六百句独吟の矢数俳諧を興行したのが最初で、翌年五月生玉社南坊で二度目の独吟四千句に挑戦し成功、更に貞享一年(1684年)六月、住吉社頭で二万三千五百句の前人未到の記録を樹立したそうです。すごい‼
※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。