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第489回 例会2025年11月19日(水)0:00〜2025年11月25日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

ロータリーソング

ロータリアンの行動規範

会長の時間

2025-2026年度会長 原 いづみ

皆さんこんにちは、第489回例会へようこそ!!

 11月も下旬に入り、都心などではクリスマスに向けた美しい彩りのイルミネーションが見られるようになってきました。日本ではキリスト教圏のクリスマスと異なり宗教的意味合いは薄く、商業的なイベントや恋人と過すイベントとして定着しています。仏教徒や神道を信仰する人も、クリスマスを伝統的な文化や冬の一大イベントとして楽しむことが多いのは、日本では多神教的な文化を持ち、キリスト教文化であるクリスマスも寛容に受け入れられてきたことの表れでしょう。
 かくいう私も仏教徒ですが、ドイツのクリスマスマーケット巡りは大好きで、集めたオーナメントの数は数え切れないほどとなりました。毎年3m程度のクリスマスツリーを3~4日かけて飾るのが定番で、自画自賛にはなりますが、一般家庭のクリスマスツリーとしてはかなり見事なものだと思っています。

 さて、本日ロータリー研究会の付随プログラムとして開催されたメジャードナーの午餐会に出席して参りました。今年はアーチ・クランフ・ソサエティ(AKS)への入会者が多く、私などには到底到達することのできないレベルのことですので入会式やスピーチを伺っていても別世界のことにしか思えませんけれど、それはともかくとして、これまでにも沢山の方々がAKS入会のスピーチで「恩返し」や「感謝」という言葉を口にされ、寄付を喜びあるいは楽しみのように捉えていらっしゃるかのような印象を受けることが少なくありません。
 AKSの方々の話をした後に父の話を持ってくるのもおこがましいのですが、こうした話になると、子供のころから父より「寄付を受ける側ではなく、寄付できる側であることを有難く思わなくてはいけない」と聞かされてきたことを思い出します。その言葉の意味は大人になってからようやく理解できるようになりましたが、ロータリークラブに入会してからは、さらに深く考えるようになりました。「寄付できる側」というのは、決して傲りや与える側への哀れみや優位性を示すものではなく、社会の一員として責任を果たす喜びであり、感謝の表現なのかもしれないと理解してます。そして何より、寄付できる喜びを持てること自体を感謝すべきなのだと思います。

 ところで、「寄付」と似たような言葉で「施し」という言葉がありますが、両者の違いについて考えたことはありますでしょうか。

 「施し」という言葉には、困っている人に一方的に与えるという響きがあり、上下の関係や依存を生み出すこともあります。
 これに対して「寄付」は、対等な立場からの参加であり、未来への投資です。寄付は単なる金銭の移動ではなく、理念や目的に共感し、その実現に自ら関わる意思の表れです。ロータリー財団への寄付は、世界の平和、疾病の撲滅、教育の機会、そして地域社会の持続的な発展に直結します。
 つまり「施し」は一時的な救済であるのに対し、「寄付」は継続的な希望を生み出す行為なのです。したがって、私たちが財団に寄付をすることは、困難に直面する人々を「支える」だけでなく、彼らが自ら未来を切り拓く力を育むことにつながると言えるでしょう。

 あるブログには、寄付について次のように記されていました。 

「夢への賛同。
社会課題解決のための活動参加の一手法であり、機会のひとつ。
想いを託す行為。
自分ができないことを、代わりに成し遂げて欲しいという願いが形を変えたもの。

託した想いが、形を変えたのがお金であっただけのこと。
託した想いを載せているのであれば、
それがどんな形であっても、違いはないと思います。」

「寄付とは、
社会課題を改善するという夢を叶えるための協力。

寄付者とは、協力者。

協力とは何か?
文字通り、複数の力を合わせてひとつの力にして物事にあたること。」

 おそらくロータリーとは関係のない方が書かれたものと思われますが、この言葉は、まさにロータリーの精神を表しているではないでしょうか。寄付は「施し」ではなく「夢への賛同」であり、社会課題を解決するために力を合わせる「協力」なのです。

 11月はロータリー財団月間ですので、今回は寄付について考えてみました。
 各クラブでも地区目標について言及され、寄付の呼びかけが行われていることと思います。寄付は義務ではなく、地区で設定した目標はあくまでも目標です。問題は金額ではなく、その気持ちがあるかどうかが重要ではないかと考えま

幹事報告

2025-2026年度幹事 大塚 和光

◆ハイライトよねやま308号◆ 2025年11月13日発行
 下記よりご覧ください。
 【https://www.rotary-yoneyama.or.jp/content/uploads/summary/highlight308_pdf.pdf

委員会報告

出席委員会

第488回例会 出席率 66.6%
 会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名

Visitors

第488回例会のビジターコメント

藤沢南ロータリークラブ 新井 智代 様


先日は藤沢南ロータリークラブ45周年記念例会にご参席賜り、誠にありがとうございました。原会長の美しい凛とした着物姿が秋空によく映えて、例会に花を添えていただきました。ありがとうございます。
 さて、アーカス湘南RC様の存続は難しいことはわかっていても…改めてRI加盟脱退申請書を提出された旨をうかがい何ともいえぬ寂しさを感じます。
私でさえ感じるのですから、会長・幹事におかれましてはその想いは言葉や文字に起こせぬほどのものがおありかと思います。
 有終の美を飾られますように…残り数回となりました例会は必ず楽しみに参加させていただきます。

Smile Bos

第488回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

今週のプログラム

和ものがたり歳時記(十五:冬座敷・屏風・障子・襖)

冬座敷・障子・襖・屏風

卓話者:末広 平太 様

 

  冬座敷
   障子・襖の建具をたて、冬の調度を置いて防寒の設備をした座敷。冬館
    日の筋に微塵浮かすや冬座敷     余子
    灯ともりていきいきとなる冬座敷   草城 

 本来の意味は障子や襖を締め切って火鉢や炬燵を置いて暖かくした部屋のことで、もてなしのための演出が施された座敷のことです。なんとなく寒々しい印象を拭えないのは元々の日本の家屋が夏向きに造られていたせいでしょうか。単に「冬の座敷」と考えても良いのですが、居間ではなく客間というイメージが強いですね。最近の家には座敷がなかったり、あったとしても客間としてではなく居間的なものばかりなので余計に解りにくくなっています。
 ところで、この「冬座敷」に対しては「夏座敷」という季語があります。でも「春座敷」や「秋座敷」という季語はありません。今まで気にも留めませんでしたが、考えてみるとなぜなんだろうと思いますね。
 芭蕉や蕪村などの時代には二千六百もの季語が集められていたそうです。当然、冬座敷も夏座敷も詠まれていたのですが春や秋はありません。春や秋は気候的には暑くも寒くもないという一番快適な季節です。それで座敷そのものへの感慨は湧かなかったから詠まれなかったということでしょうか。だとすれば冷暖房の完備した現代、昔の風情が全くなくなった座敷を詠むというのはとても難しい。我が家も畳の部屋が無くなって半世紀以上にもなります。
 

  障子
   風や寒気を防ぐものだから、近来、冬の季題に用いている。冬障子
    障子しむる妻の眼最後まで残る    誓子
    ふりむけば障子の桟に夜の深さ    素逝

 もともとは光を取り入れ寒さをしのぐものだったので冬の季語になっているらしいのです。「障子はずす」は仲夏、「障子洗う」「障子貼る」は晩秋の季語です。
 障子の「障」は「遮る」「隔てる」「塞ぐ」などの意味です。室内の境に使用する建具の総称であり、昔は現在の襖を「障子」、障子を「明り障子」と言いました。冬だけに用いられるものではないのですが、貼りたての障子の明るさや古く破れたもののわびしさなど冬の季節感が感じられます。
 水腰障子は全面が障子で一般的な住宅の和室で広く使われています。腰板障子・腰付障子は下部に「腰板」と呼ばれる板が張られている障子です。額入り障子は額があり、そこにガラスをはめて、外の景色を見られるようになっています。ガラス障子ともいいます。猫間障子・雪見障子は一部が観音開きや摺り上げで動く扉になっているものです。一説には猫が出入りするために作られたともいわれ、その部分にガラスを嵌めたのが雪見障子です。
 

  
   障子と同じく、風や寒気を防ぐ意味で、近年冬の季題とする。冬襖・襖絵・襖障子。
    次の間は腰に雲湧く襖かな      早苗女

 本襖・組子襖は従来からある襖で組子の上に紙を何重か重ねて貼って仕上げます。伝統的に使用されてきました。
 板襖は組子にベニヤ板が貼ってあり、洋室と和室の仕切りに使われる場合が多いです。芯材としてプラスチックの発泡体を用いている発泡プラスチック襖やダンボールを用いているダンボール襖は最近の住宅に多く使用されています。
 

  屏風
   金屛風・銀屏風・絵屏風など装飾用のものもあり、四季を問わないが、俳句の季題としての屏風は、冬季室内に
   立てて風をさえぎり、寒さを防ぐ用途からである。
    鷹の絵のかくも古りたる屏風かな   鶏二
    絵屏風の蹴まりの鞠の宙にあり    槐太

 風を屏(ふせ)ぐ、という言葉に由来します。日本書紀に初めて記述がみられ最も古い屏風は七世紀末に新羅より献上されたものといわれています。現存のものでは八世紀に作られた「鳥毛立女屏風」が正倉院に保管されています。室町時代になると水墨画や極彩色の屏風が多く制作されて形態が整い、近世の金碧障屛画へと発展したのです。
 屏風は完全に折り畳んだり、板状に広げきったりした状態では倒れやすく、その中間だと安定して設置できます。このため、世渡りには妥協や少々のルール違反も必要という意味で「人と屏風は直ぐには立たぬ」「屏風と商人は曲げねば立たぬ」「商売と屏風は広げれば広げるほど倒れやすい」という諺があるのです。

※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。

閉 会

点 鐘

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