第490回 例会2025年11月26日(水)0:00〜2025年12月2日(火)23:59 開催
開 会
点 鐘
ロータリーソング
職業奉仕 四つの反省

会長の時間
2025-2026年度会長 原 いづみ
皆さんこんにちは、第490回例会へようこそ!!
11月も終盤を迎え、街ではブラックフライデーのセールが話題となり、店舗やオンラインショップが大いに賑わっています。ご存知かと思いますが、ブラックフライデーはアメリカの「感謝祭(Thanksgiving Day)」翌日に行われる大規模なセールイベントで、感謝祭が毎年11月の第4木曜日に祝われるため、その翌日の金曜日がブラックフライデーにあたります。かつて日本では馴染みの薄い催しでしたが、この10年ほどで広く定着し、季節の風物詩のようになってきました。皆さんの中にも、この機会にお買い物を楽しまれた方がいらっしゃるのではないでしょうか。
さて、本日は第490回例会です。記念すべき第500回まで残り10回となりましたが、今回は単なる通過点ではなく、クラブの歴史におけるゴールへのカウントダウンの始まりでもあります。もっとも、まだRI理事会から正式に加盟脱会の承認が下りたわけではありませんので、現時点では予告というか予定ではありますけれど、残り3ヶ月、例会数は10回を予定、最後まで一歩ずつ少しでも悔いの残らないよう歩みを進めて参りたいと思います。
話題を変えまして、10月20日、三浦RCさんの恒例行事「芋掘り例会」にお誘いいただき、参加してまいりました。当クラブが第1グループから第3グループへ移籍して7年目になりますが、周年行事や特別例会など折々にお声がけいただき、可能な限り参加させていただいてきました。こうしたご縁に心から感謝しております。
三浦RCさんの芋掘り例会は40年近く続く伝統事業で、約300坪の畑にメンバーがさつま芋の苗を植え、草むしりなどの手入れを経て収穫の日を迎えられました。今年の収穫体験には三浦・横須賀市内にある養護学校や特別支援学級、福祉施設の子どもたち約350名が招かれ、晴天の下で収穫を楽しむ姿はとても微笑ましいものでした。収穫したさつま芋は持ち帰り用の袋に詰められ、袋いっぱいに詰め込まれて重たそうな袋を持ち帰る子どもがたくさんでした。私もお土産をいただきましたが、自分で掘ったというより用意していただいたものを持ち帰ったという感じなのですが…(笑)。
今回がアーカス湘南RC会員として最後の参加となりましたので、いつものように「また来年も」とお伝えできなかったのは残念でしたけれど、これからもご縁を大切にしていきたいと思います。
最後に「お米プロジェクト」についてのご報告です。寄贈先との調整のため倉庫の在庫を確認したところ、父が残してくれていた量が予想以上に多く、一つの子ども食堂に寄贈するには少々多すぎるのではないかと思われます。従いまして、追加の寄贈先などまた検討する必要があるかもしれません。皆さんからのご提案をぜひお願いいたします。
幹事報告
2025-2026年度幹事 大塚 和光
今回はありません。
委員会報告
出席委員会
第489回例会 出席率 66.6%
会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名
Visitors
第489回例会のビジターコメント
前回はありませんでした。
Smile Box
第489回例会のスマイル報告
前回はありませんでした。
カレンダー
今週のプログラム
和ものがたり歳時記(十六:顔見世)
顔見世
卓話者:末広 平太 様
顔見世
今は、京都南座の十二月興行を、顔見世と呼んでいる。昔は意味が異なり、太夫元の俳優雇用期間は一ヵ年で、
毎年十一月に入れ替えた新規の顔ぶれで、第一回興行をやり、これを顔見世の狂言といった。芝居道の正月で
あった。
顔見世の楽屋入りまで清水に 吉右衛門
顔見せや有りし浪速の凋落とす 青 々
顔見世(かおみせ)は、歌舞伎で、一年に一回、役者の交代のあと、新規の顔ぶれで行う最初の興行のことです。江戸時代、劇場の役者の雇用契約は満一年で、十一月から翌年十月までが一期間でした。役者の顔ぶれは十一月に変わります。新しい一座を観客に発表するのが顔見世です。歌舞伎興行において最も重要な年中行事とされています。
御園座のように十月のところもありますが、現在も歌舞伎座は十一月、他にも年末までの十二月に全国の劇場、芝居小屋で行われます。なかでも京都南座の十二月顔見世公演は最も歴史が古いことで有名で、劇場正面には役者の名前が勘亭流で書かれた「まねき」と呼ばれる木の看板が掲げられ、京都の年末の風物詩となっています。まねきが掲げられるのは南座と御園座で歌舞伎座は掲げられません。
その起源は明らかではないようです。上方においては村山又兵衛に始まり、初代嵐三右衛門が一年間の興行の順序、期間、式例などを定め、江戸においては中村勘三郎が万治年間に四季に応じた狂言を選ぶことにしたといいます。
京都、江戸、大坂ともに万治、寛文には顔見世がほぼ確立したようです。その後、約二百年間にわたって踏襲された興行なのです。但し、正月に顔見世が行われたこともありました。嘉永二年十一月に四代目中村歌右衛門が苦境にある江戸市村座を救うために役者交代の時期を翌春にのばしたのだそうです。
顔見世による集客は徐々に難しくなったらしく、大坂では顔見世の趣向は嘉永以前から失われました。「てうち」という式例が十二月に行われていましたが、それも幕末に絶えました。その後も様々なかたちで顔見世の名称で興行が行われましたが、かならずしも古格を残し伝えるものではなかったといいます。
顔見世の式例は、江戸では三座の幹部が集まり、夏に来年の役者の割り振りの予定をたて、九月に決定します。
九月十二日には「世界定め」といい、顔見世狂言を定める式を行います。これは始めは主作者の、後には太夫元(座元)の宅で、天明頃からは楽屋の三階や、芝居茶屋でも行われたといいます。
十月十七日を「寄初(よりぞ)め」といい、新一座の役者全員が最初の顔合わせを行ないます。劇場前の櫓下、舞台、楽屋の三階で勢揃いして手打ちを行ない、式場では頭取の発声で囃子方の四海波の謡がはじまり、太夫元から座頭、書き出しの役者と順次盃事があり、主作者が顔見世狂言の名題を読み上げ、二枚目が役割を読みあげます。こののち酒宴となり、再び手打ちがあって式は終わります。
二十日には新座組の紋看板を出し、二十九日に番付を発表し三十日には絵看板を掲げます。こうして十一月一日に吉例顔見世興行の初日を迎えるのです。初日は主な関係者は裃姿で訪問しあい、「おめでたう」と挨拶し、正月のような賑わいを呈したといいます。
劇場では七つ時(午前四時)に一番太鼓をいれ、二番太鼓を打ち上げて「翁渡し」(式三番)を舞い、脇狂言、本狂言となります。顔見世狂言は新作に限定され、一定の様式が守られたのです。
中期以後の江戸では一番目(時代狂言)と二番目(世話狂言)に分かれ、二番目も終わりには時代狂言に戻る仕組みでした。一番目の三建目(みたてめ。序幕)には荒事の「暫」があり、その返し(次幕)にはダンマリがあり、四建目には所作事がつき、大詰には金襖が用いられた御殿の場があり、謀反人の見出されがあり、二番目の世話場には雪をふらせ、引っ越し騒ぎ、夫婦喧嘩のような滑稽があり、「大切(おおぎり)」には所作事がつく、というのがおおよその段取りで、初冬の観客の心が浮き立つような賑やかで華やかな内容が選ばれたのです。ただ、顔見世興行は大抵十日間ほどの短期で、次に出す狂言を「二の替り狂言」といい、このほうに重きが置かれていたようです。
顔見世では顔見世番付がつくられました。これは極(きまり)番付ともいいました。櫓下番付、辻番付という大版一枚刷りのものと形状は同じです。ただし上段には定紋を打った櫓幕を描き、その周囲に座元、役者、作者などの名を一定の位置に配して書きます。下段には、座頭を中心に立女形を左方に敵役を右方に、全役者をそれぞれ相当の位置に配して絵姿を描いたものです。この位置を定めるのは主作者と座元との責任でしたが、しばしば物議を醸したので、苦心を要したともいいます。
顔見世を見るため稼ぎ溜めしとか 高浜虚子
顔見世や顔にかかりし紙の雪 市川右団治
顔見世といへばなつかし吉右衛門 星野立子
引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。
閉 会
点 鐘