第492回 例会2025年12月10日(水)0:00〜2025年12月16日(火)23:59 開催
開 会
点 鐘
ロータリーソング
ロータリーの目的

会長の時間
2025-2026年度会長 原 いづみ
皆さんこんにちは、第492回例会へようこそ!!
12月も中旬に入り、寒さが一段と増してまいりました。忘年会シーズンに入り、各所で一年を振り返りながら親睦を深める機会が増えております。
こうしたシーズンはお酒の席も多くございます。たとえ酔っても楽しいお酒は場を和ませ、互いの親睦を深める機会になりますが、酔っ払って暴言を吐いたりハラスメント行為を行うようなお酒は、迷惑なだけでなく全てを台無しにします。
今年度のガバナー公式訪問拒否に至った背景も、こうした松下氏のお酒の席での暴言、愚行によるものです。藤沢南RCさんの創立45周年祝賀会の折に、訪問したいとの話はありましたが、謝罪も何も無い状態で到底受け入れられないので拒いたしました。ガバナー補佐訪問についても同様に拒否したところです。ですので、本来であれば今週は一週遅れでウェブ版例会の公式訪問となるところですが、通常例会としての開催になります。話を戻しますと、松下氏の一件があった当時、お酒の席の話だから云々といって、要はお酒の席で起きたことだから大目に見てやるよう言われたことが何度かありました。しかしながら、悪いのはお酒ではなく、お酒を飲んで酔っ払い、理性が効かなくなる人間性の問題だと考えます。
楽しいひとときをより良い思い出とするためにも、思わぬ失敗に変わることのないよう、どうぞ皆さま節度をもってお過ごしください。
ところで、12月は「疾病予防と治療月間」であり、国際社会が掲げるSDGs目標3「すべての人に健康と福祉を」と深く通じる時期でもあります。
医療格差の解消は、世界共通の重要課題として認識されておりますが、世界の医療アクセスの現状は依然として深刻な状況にあり、世界銀行とWHOの調査によれば、世界人口の約半数が基礎的な保健サービスを十分に受けられていないことが明らかになっています。また、先進国・発展途上国を問わず、毎年多くの世帯が、医療費の自己負担が原因で貧困に陥っているとの報告もあります。
十分な医療サービスを受けられない国・地域のうち開発途上国に占める割合は95%で、 特にサブ・サハラ地域と呼ばれるサハラ砂漠以南のアフリカ諸国でその傾向が強く、保健医療格差の大きい国ワースト10のうち7か国を占めています。その他、東南アジア諸国やインドなどでも医療体制は不十分で、逆に国・地域間で保健医療格差が少ないのはヨーロッパ諸国です。先進国と開発途上国との格差が、医療面でも顕著に見られることがわかります。
こうした医療サービスが不十分なところでは、予防可能な疾病によって尊い命が失われている現状があり、妊産婦や乳幼児の死亡率の高さ、感染症の再拡大、さらには糖尿病や心疾患などの生活習慣病の増加は、私たちが直面する大きな課題とされています。
ロータリーでは長年にわたり、ポリオ根絶活動をはじめ、マラリアやHIV/エイズの予防、衛生教育の推進、医療従事者の育成など、世界各地で健康を守るための奉仕が続けられていることは皆さんご存知のとおりで、こうした国際的な取り組みは、ロータリーならではの国際的な協力の象徴とも言えるでしょう。
一方、私たちの地域社会に目を向ければ、健康診断や予防啓発活動、交通安全の推進、生活習慣病予防の呼びかけなど、身近な場面での奉仕も数多くあります。
また、未来に目を向ければ、疾病予防と治療の分野は、技術革新との連携によって新たな可能性を広げており、遠隔医療やAIによる診断支援、データ解析による感染症予測、ウェアラブル機器による健康管理など、最新の技術は人々の健康を守る強力な手段となりつつあります。ロータリーでの活動においても、これらの技術と協力し、地域社会に導入していくことは、奉仕の新しい形を切り拓くものとなるでしょう。
国際的な協力と地域社会での実践を積み重ね、そして新しい技術や知識を活かし、次世代の健康を守る活動を広げることは、未来の世代に「健康と福祉の輪」を引き継いでためにできるロータリーならではの奉仕であり、求められている奉仕ではないでしょうか。
幹事報告
2025-2026年度幹事 大塚 和光
◆ガバナー月信 2025-26年度第6号(12月号)◆
下記よりご覧ください。
【ガバナー月信2025 第6号 】
◆2028-2029年度 ガバナーノミニー確定宣言◆
下記よりご覧ください。
【確定宣言_クラブ宛て】
委員会報告
出席委員会
第491回例会 出席率 66.6%
会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名
Visitors
第491回例会のビジターコメント
藤沢南ロータリークラブ 新井 智代 様
「ギビングチューズデー」は全く知識がありませんでした。やはり日本は海外に比べると寄付文化がないのかも?と思いながら…歳末助け合い、とご指摘いただきなるほどと思いました。
卓話の火鉢のお話は祖父を思い出しました。明治生まれの祖父の家には火鉢があり、冬に訪ねるといつも火鉢をなでていました。山頭火とほぼ同世代だった祖父の姿がありありと目に浮かぶ1句です。
Smile Box
第491回例会のスマイル報告
前回はありませんでした。
カレンダー
今週のプログラム
きものがたり歳時記(六十三:掛乞・節季)
卓話者:十一代目大塚重郎右衛門 様
節季
年の暮れを言うが、今は主として商人が金銭取引上の総決算をする意味で用い、年二回がふつうなので、盆節季の
語もある。節季に方々の支払をすますことを節季仕舞という。
牛乳の膜すくふ節季の金返らず 兼子
元々、節季とは各季節の終りを示す言葉です。それが商売の勘定期をいうようになり、季語としては年末、陰暦の十二月のことです。昔は掛売り、掛買いが普通で、その清算は盆暮の二回でした。そこで節気といえば年越前の清算期を指し、大節季(おおせっき・おおぜっき)は年末、大晦日のことです。取り立てる者も取り立てられる者も大変な時期でした。しかし、決算期が三月となるにしたがって本来の意味を失ったといってよいでしょう。
掛乞(かけごい・かけごひ)
売掛金の回収、またはその回収に歩く人の意。盆・暮の二回の決済がふつうで、季題としての掛乞は、年末の掛乞
のことを言う。書出し・付けは掛乞の請求書。掛取。
掛乞に幼きものをよこしたる。 汀女
街かげにわれも掛乞の一人なる 石鼎
昔は商店の掛売の決済は殆どが盆と暮の二季に行われ、盆よりも暮のほうに重点が置かれたので大晦日にはどんなことがあっても一年の決算をしなければなりませんでした。一軒一軒、掛乞が回って歩き、除夜の鐘が鳴り終わり、やがて明るくなっても提灯を灯して歩けば良いとされていたのです。払えない者は雲隠れし、取り立る者は忙しく動き回ったのです。
汀女の句に「幼きものをよこしたる」とあります。私は「幼きもの」とは言えませんが高校一年の暮から毎年、掛取りに回りました。大晦日の店頭は大忙しで、両親はじめ家族も店員さんも総出でした。銀行の担当行員が一時間ごとに集金に来ていたほどに売り上げがあったのです。また、その頃は原付一種のバイクは届け出制で許可証を貰えば15歳から乗れたので相当遠方の得意先まで回りました。
丁度テレビが普及し始めた頃で、紅白歌合戦の時間ともなると玄関で「糀屋でございます。集金に伺いました。」と声をかけても中々出てきてくれません。炬燵で蜜柑でも食べながら紅白を見ているのかなあ、などと思うと「なんで僕は、こんなことを。」と思えたものです。除夜の鐘を遠くに聞きながら寒い玄関先に立っているのは正直楽しいものではありません。二時ごろ帰宅すると、皆は交代で夕食を済ませてはいますが二日からの初売りの準備で忙しくしています。台所でパサパサに固まった年越しそばを食べる時、涙が出そうになったこともありました。それでも、母は店の準備を終え、家族の洗濯物を片付け、全ての準備を済ませてから明け方近くになって床に就くのを知っていましたから、大人の苦労に比べれば、とも思っていたものです。
掛乞や猫の啼き居る台所 支考
掛乞ひに水など汲んで貰ひけり 一茶
室町時代に本格化し始めた貨幣経済は江戸時代になると都市部には行き渡るようになりました。武士階級は俸禄が年に二回ないし三回、大きな商家や職人を束ねる頭領とか親方と呼ばれる階級になると収入は節季毎ということで、日用品の購入もその都度の現金支払いではなく掛け買いが普通と言う事になりました。この掛売、掛買が多かった理由としては貨幣の流通量が慢性的に不足していたことによるともされています。長屋の住人など一般庶民は棒手振り(ぼてふり)という担ぎ売りの商人から殆ど全てを買っていましたから、その都度「おあし」と呼ばれていた穴あき銭による現金払いだったのです。
昭和三十年代初めまでは、米屋、八百屋、魚屋、酒屋など日常品の売買にも「掛売り」が当たり前に行われていました。とは言っても、いわゆる上流家庭が掛売りの対象ですが、東京、横浜の山ノ手では中流家庭にまで行き渡っていました。都会地では小売商の数が多く、それぞれの商店が上顧客を囲い込むための手段という面もあったようです。
大晦日の掛乞を巡る悲喜こもごもは井原西鶴が「世間胸算用」で活写しています。掛け売りの売価は二割方上乗せしておくのが普通でしたが、それを逆手に取って「現銀掛値なし」で大成功を収めたのが越後屋呉服店。確実に二、三割は安いので大評判に。「越後屋一日千両商い」と言われ、芭蕉の一番弟子の宝井其角が「越後屋にきぬさく音や衣替」と今で言う時事俳句を詠むほどになったのです。
掛売り商法は三百年も生き続け大晦日の掛乞風景が連綿として続きましたが、高度成長に一歩踏み出した1960年代にはガラリと変わりました。スーパーマーケットとそれに続くコンビニの出現、追い掛けて家電製品の大量現金販売店が出現し、小売商店による通い帳・掛売り方式はあっという間に姿を消しました。掛乞・掛取は死語となり季語としての命脈も尽きたのです。
※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。
閉 会
点 鐘