第500回 例会2025年2月25日(水)0:00〜2025年2月28日(土)23:59 開催
開 会
点 鐘
国 歌
ロータリーソング
四つのテスト

会長の時間
2025-2026年度会長 原 いづみ
皆さんこんにちは、第500回例会へようこそ‼
アーカス湘南ロータリークラブ最後の例会にご出席いただきありがとうございます。
ついに最後の「会長の時間」を書く日が来てしまいました。7年前にも”最後の”原稿を書きましたけれど、今回はあの時とは異なり、もう二度と書くことはない、アーカス湘南ロータリークラブ最後の「会長の時間」です。
いつもは例会の更新作業をする火曜日にこの原稿も書いているのですが、今回はさすがに一日で書き終える自信もなく、また現在ドイツに滞在中のため、日本時間での開催時刻に間に合わせるようにするとなると、こちらでの夕方には作業を終えなければなりません。そうなると、火曜日のほんの数時間で書き終えることは不可能ですので、いつもより早めに着手して書き始めているところですが、この原稿を書いている今日2月23日は、奇しくもロータリーの創立記念日。121年前にポール・ハリスが友人3人と初めて会合を開き、この日がロータリーの創立記念日として祝われる今日、皮肉にも私は歯車を止める例会に向けての原稿を書いています。
「最後の『会長の時間』は何をかくだろう?」と何度も頭をよぎりってきました。今日至るまで、決して平坦ではなかったこのクラブにあって、書くネタは山ほどありますけれど、「よし、書こう!」と思いパソコンの前に座っても、いざとなると何を書いたらよいものか、何から書いたらよいものかと、なかなか指が動かないものです。さっきまで移動しながら頭の中であれこれ構成を考えていたのに…です。最後の最後に来て、“Eクラブ”の例会で助かった…と改めて痛感しています。
その最たる理由は、人前で喋ることが大の苦手であるということ。例会がオンライン上での開催で、挨拶は原稿を書いて掲載するスタイルをとっていたため、私にとってこれは大変にありがたかったのです。それに、文章に感情の起伏は現れるにしても、書きながら涙を流すことはあってもその姿を見られることはありませんので良かったのですが、それなのに、最後の出席となった第三グループの会長幹事会の懇親会の席で終盤、どこからとなく花束が二つ見え、「どこか別のグループでこのようなところでお祝いするところがあるのね・・・」なんて思っていたら、花束を持っている方たちは見覚えのある方たち、そしてこちらに向かっていらっしゃって…。
今年度、第三グループの合同事業に参加せず、会長幹事会も私自身は欠席も多かったですし、ポリオの募金活動にも参加できなかったりと、グループの活動に貢献できるようなことはしてこなかったので、あのように送り出していただけるとは想像すらしたこともなく、全くの想定外でした。こうした類いのことは察しがいい方ですので、たいていの場合心づもりはできているのですが、何しろ今回は全く考えもしなかったことでしたので、あのときの驚きは相当なものでした。大澤AGをはじめとした第三グループ会長幹事会の皆さんには、その温かいお心遣いに改めて心より感謝申し上げる次第です。
親クラブである横須賀ロータリークラブでのご挨拶の時も何とか涙を見せずに乗り切ったと思っていたのに、第三グループの皆さんには最後泣かされてしまいまい、見苦しいところお見せしてしまったのは痛恨の極みでした。(苦笑)こうなると嫌だったので、クラブとしては最後一切のお別れ会のような機会は設けず、静かにオンライン上での例会で終わらせようとしていたのに、最後まで計画通りにはいきませんでした。でも、それは本当に嬉しい、最後にやっといただけたご褒美のようでした。


さて、その最後の会長幹事から中一日で出席させていただいたふじさわ湘南ロータリークラブ25周年記念式典および祝賀会、この日が「ロータリークラブの会員」として公式に現れる最後の場でしたので、お祝いの席で申し訳ないとは思いつつ最後のご挨拶をあちこちでさせていただいていたわけですが、その中であるパストガバナーに「(ロータリーに入って)何年になりますか?」と訊かれ11年になるとお答えしたところ「ようやく中堅どころになりましたね」と返されました。
「中堅どころ…」、3年で約50%が退会していくという数字が出ているなかにあって、私の年齢でも11年だとそのように分類されるところになるのでしょう。ただ、少し前に2000年代生まれでロータリーの会員になっているような方もいらっしゃると伺っていましたし、クラブ創立当初は30代でそれこそ「若い」会員だったのが、「今では青少年交換学生や米山奨学生に注意したら『オバさん怖い!』」なんて言われる歳になってしまった」と家でも話したりしていたこともあったり、月並みですが、11年間という月日は長いようであっという間だったと感じています。
…と、ふじさわ湘南RCさんの記念式典のことで書こうと思っていたことと少しそれてしまったので元に戻しますと、式典の中で特別代表の方がご挨拶されているところをみながら、ふと私たちのクラブの特別代表であった渡辺パストガバナーがご健在だったら、もしかしたらこのクラブも少しは違っていたかもしれない、そうした思いが頭をよぎったのです。
認証上伝達式以降、渡辺PGはじめ設立委員会の方々が直接的にクラブの活動に関与されることはほとんどなく、適度な距離感を保って活動を続けてきたので、渡辺PGが亡くなって具体的に支障が生じたということはなかったかもしれません。ただ、私個人的には父が渡辺PGとは非常に親しくさせていただいていたこともあり、何かと気にかけていただいていて、会長に就任した際には「立派なクラブにしてくださいね」と励まされたその言葉は非常に重く、おっしゃった渡辺PGからすればそれは社交辞令だったのでしょうけれど、特に亡くなってからはより一層増し、重くのしかかっていました。
少し責任逃れのようなことを言ってしまえば、ロータリーの役員の任期は原則一年ですので、私一人が会長をいつまでも務めるわけでもなく、私一人がクラブに対する責任をずっと負うことでもなく、クラブが成長できず、終結という道を選択することになった責任は、クラブのメンバーとして関わった全てにあるのであって私だけが負うものではないと思う一方で、渡辺PGに託された(と思っている)クラブを守ることが出来なかったその責任、悔しさは、言葉では言い表すことは出来ません。
5年前、私たちが終結という道を選んだという情報を耳にしたある方が「辞めるのは簡単だけど」とおっしゃったことがありました。しかし、私にとっては、たった三人になってもクラブを閉じることは続けていく以上に難しい決断であり、出来ることならこのような道は選びたくなかった、それが本音です。
振り返ってみると、最初の会長就任前の約二年半は、今ほどこのクラブに対して思い入れがあったかと問われれば、そうではなかったでしょう。ある会員からは「クラブ愛がないのに世間体で会長をしている」と言われていると耳にしたこともありました。しかしながら、世間体だけでは到底ここまでしてはこれませんでした。決して素晴らしい成果を残すようなことは出来ませんでしたけれど、これだけは自身を持って言えることです。
もっとそつなく当たり障りなく、ほどほどにしていれば、外から「何をしているか分からない」と言われる事さえ厭わなければそういうやり方もあったのかもしれません。創立からある程度時間が経ち、クラブの基礎が出来ていれば、また違っていたかもしれません。
しかしながら、私が初代会長から3年目で会長を引きついた時点では、ここでしっかり基礎固めに入らないと軌道修正も立て直しもさらに困難になると考えていて、「独自の道を歩み始めた」と指摘されたこのクラブを、どうしたらロータリークラブとしての体裁を整えていくにはどうしたらよいのかと、試行錯誤の日々が始まったのでした。
RIの諸規則より「Eクラブ」という文言が削除され、既存スタイルのクラブと「Eクラブ」との区別がなくなったと決議された規定審議会から10年になり、今では「Eクラブ」という名称があったことさえ知らない会員が多くなってきたのではないかと思われます。
このクラブの名称も設立当初は「かながわ2780ロータリーEクラブ」と、とても長く、恥ずかしい話が会員ですら退会届に間違った名称を書いて提出した方がいたほどです。ですので、90%以上の方に正しくクラブ名を認識していただいていないように常に感じており、実際のところほとんどは「Eクラブさん」でしたので、少々捻くれたて「具体的にはどのクラブ?世界中にはいくつもあるのだけど・・・」と内々で話していたこともありました。最も多かったのは「かながわEクラブ」、そして書いてしまえば同じなのですが、読み方で「かながわ 『に なな はち まる』ロータリーEクラブ」と、これは地区の数字を正しく読まれず誤った言い方をされるのをしばしば耳にしますので、そこから私たちのクラブ名も間違った読み方をされてしまっていたのでしょう。卓話などビデオで送られてきたなかで間違った読み方をされていると「クラブ名くらいちゃんと勉強しておいてくださいよ・・・」と思ったものです。
先日もどこであったか地区名をこのように「に なな はち まる」地区と発せられていた方がいらっしゃいましたけど、それを聞きながら、昔あるセミナーで話していた方が『に なな はち まる』と地区番号を発したところ「『に なな はち まる』なんて番号は無い‼」と公で注意された方がいたという話を父から聞いたことを思いだし、同時にそう言えば内のクラブも昔は・・・などと思い返しておりました。
と、少し話がそれてしまいましたけど、2016年の規定審議会の決定やコロナ禍を経て、オンラインを活用した例会を開催する従来型のクラブも増え、実例会とオンラインとを併用して開催するなど、私たちが設立当初経験したようなオンライン型のクラブに対する抵抗というのはかなり低くなったと感じております。
しかしながら、10年近く前は「Eクラブ」という新しいスタイルのクラブに対して抵抗感のある方や理解に欠ける方たちは決して少なく、厳しい言葉をかけられたり残念な経験をしたこも何度もありました。その最たる人が今年度地区を率いている松下氏で、でももうここでは、貴重な最後例会のスペースを使うのはもったいないので止めておきますが、「『Eクラブ』はロータリークラブではない」「『Eクラブ』って価値あるの?」etc. そのような言葉を何度もかけられるたび、私たちのクラブがロータリークラブであるかどうか、価値があるかどうか、それらを証明していくのは私たち自身でしかない、そういう思いで会長として精一杯取り組んできたつもりでした。私が会長を引き受けたからには、「Eクラブ」ではなく「ロータリーEクラブ」「ロータリークラブ」らしいクラブにしていきたい、その想いが第一にあり、モチベーションであり、信念でした。
以前にも書いているので「実は」と言うことではないのですが、私自身も最初に父から、渡辺さんから新しいクラブのチャーターメンバーにお誘いがあるとの話を受け、そのクラブがオンラインで例会を開催するクラブだと聞いたときは、それはロータリークラブなの?ロータリーの親睦はどうなの?と、父にそのように返したくらいです。「古いタイプのロータリアン」の背中を見て育ってきた娘ですので、「ロータリはお互い顔を合わせてなんぼでしょ」と思ったからです。ですので、正直なところあまり乗り気ではありませんでした。まだ「ロータリアンの娘」だった時代で会員ではなく、知識も無かった頃の話です。
しかしながら、父の盟友の渡辺さんからのお誘いですし、父の顔も立てなければならないという思いは抱きながらも、「若いロータリアンを育てるクラブ」ということでしたし、新しいことに挑戦できるチャンスであり、新しいクラブに設立から携われる機会はめったにないことだとも思い、ここで数年“我慢して”何れは移籍するつもりでいたが実のところでした。
それがいつの頃か・・・、というか、会長に就任する前の準備期間から色々な資料に目を通すことになり、自分なりにロータリーEクラブに対して整理し、「“Eクラブ”ではなく“ロータリークラブ”の新しいスタイルのクラブ」であり、根幹になるものは同じであると一応自分の中で整理をして取り組むようになっていました。それでも、自分が子供の頃から父をとおして見てきたロータリークラブ(のイメージ)や会員(のイメージ)とはギャップを埋められないことも多々あり、その狭間で矛盾を感じていた状況は今でも完全になくなったわけではありません。
しかしながら、先にも述べたように2016年の規定審議会の決定やコロナ禍を経て、オンラインを活用した例会や奉仕活動をする従来型のクラブも増え、今では「Eクラブ」「トラディショナルクラブ」と区別されることもほぼ無くなってきた今日に至って、私たちは少し先を進んでいた故に理解が追いつかず、既存スタイルのクラブの方々がようやく追いついたと、大先輩からは終わりになるからと思って言いたいこと、大それたことを言って‼とお叱りを受けそうですか、そのようにも考えることがあるのです。
少々ずれた話になってしまうかもしれませんが、ドイツのバイエルン地方にあるノイシュバンシュタイン城、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったお城で大変有名なお城で、昨年世界遺産に登録されたことでも少し話題になりましたけれど、そのノイシュバンシュタイン城を築城したルートヴィヒ2世について思ったことを少し。
ルートヴィヒ2世は、前述の城の他にもリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城を築城し、建築と音楽に破滅的浪費を繰り返した「狂王」「メルヘン王」の異名で知られています。ですが、その最期は、精神の病を理由に国王を廃位させられ離宮へ幽閉され、離宮での生活を余儀なくされたその翌日に、主治医と散歩に出掛けたのを最後に帰らぬ人となってしまった、最期は事故なのか自殺なのか、はたまた暗殺なのか、その真実は未だに謎に包まれているのですが…と、前置きが長くなったのでほどほどにして。
このように、ルートヴィヒ2世は精神病を理由に廃位させられ、実際にはバイエルン内閣と築城の負債問題を巡って対立状態にあったことがその真の理由だったといわれておりますが、王国の財政を傾けながらも何の役にも立たないはずのその城の数々が、今日ではバイエルン地方随一の観光資源となり、地元を潤している、そんな状況を今のルートヴィヒ2世はあの世で「ほらね、間違ってなかったでしょ」「君たちとは違って先見の明があったのだ!」と言っているかもしれないと、ここを訪れるたびに冗談ではありますがそう思ったりもするのです。
もとも、死後はノイシュバンシュタイン城を破壊せよと命令していたという話もあるので、自分の夢の城は自分だけのものにしておきたかったのかもしれませんし、私の想像などそれこそ空想でしかありませんけれど、彼を扱った作品の歌詞の中に次のような歌詞があります。
“Bau ein Schloss wie ein Traum, bau mit mächtiger Hand
Und sein Name solle „ZUKUNFT“ sein“
「夢のような城を築くのだ、力強い手で。
そしてその名は『未来』。」
“Ich bin Ludwig, bin der König!
Ich will bauen, nicht zerstören
Bei den Toten will ich es schwören:
Die neue Zeit bricht an“
「私はルートヴィヒ、王である!
破壊するのではなく、築くのだ。
死者にかけて誓う。
新たな時代が幕を開ける。」
歌や芝居などに影響されることのない私ではありますけれど、この詞を初めて知った頃、ちょうどクラブの終結を最初に決めた直後くらいのことで、以後、再び会長となりクラブを閉じる役目を負うとなって以降、私もクラブを壊すのでは無く築きたかったのだとの想いがこみ上げ、夢の城(クラブ)、未来を築けなかったこと重ねてしまうのです。
こうして私たちはクラブの名称にこめたような架け橋にはなりませんでしたけど、しかしながら、余所に目を向けてみれば「Eクラブ」としてスタートして大成功し、インターアクトクラブのスポンサーになったりガバナーを排出したりしているクラブも出てきており、従来型のクラブもEクラブもそのスタイルがどうかは問題では無いことは、すでに証明されていると言えるでしょう。
かつて「良い活動がしたければ既存スタイルのクラブの方がよい活動ができる」と言われたこともありました。しかしながら、既存スタイルのクラブであろうと、私たちのようなEクラブというスタイルのクラブであろうと、それはクラブのスタイルの問題ではなく、肝心なのはそのクラブやメンバーの問題だと私は思っております。
そういった意味では、すっかり定着した「お米プロジェクト」の活動は、特に初期の頃に行っていた細かい手作業を皆で行い、募金活動を行い、その結果としてポリオ基金への多額の募金、そしてその後形を変えお米を児童養護施設や子ども食堂へ寄付として続けてきた奉仕事業は、手前味噌ですが「良い活動」であったと自負しています。
他にも前任者の時代からずっと振り返ってみると、ロータリー財団創立100周年記念行事「ママと赤ちゃんのためのベビータッチケア」、高校でのオリジナル時計作成教室、チャリティー寄席など、植樹など、また海外応募の米山奨学生のカウンセラーなど、「オンラインのクラブに何が出来るの?」と言われながらも、決して大それたことは出来ずとも、少しずつ実績を積んでまいりました。
また、これは奉仕活動とは少々異なるかもしれませんが、新型コロナウイルスが猛威を振るい、感染拡大防止の為、多くのクラブで例会の休会等の措置が行われていた時期には、私たちのクラブはオンライン上での例会開催であったため自然界のウィルスにはもろともせず例会開催を続けてこられた特性を活かし、メークアップなど必要とされているロータリアンの皆様のために、メークアップフィー免除でビジターの方々を受け入れさせていただいていた時期もあり、こうしたことも少しは皆様のお役に立つことができたのでは無いかと、私たちのクラブが存在した意味があったのでは無いかと、今改めて思い返す次第です。
実際、感染が拡大して例会運営についての地区からの指示が出始めた当初、当時私は会長を退いていたものの私のところへも例会運営について、どのように行っているのかなど問い合わせをいただいたことも何件かあり、中にはついこの前まで・・・と思わず先に言いたくなるような人も問い合わせてきたりされていましたけれど、それでも私たちの経験が少しでもお役に立てれば幸いと、ようやくEクラブの強みが発揮できたと思えたのは、コロナ禍という不幸な世界的危機をとおしてのことであったのは皮肉なことでした。
長くなってきましたし、日本時間に合わせると時間的にそろそろデッドラインなのでそろそろ終わりにしなければとは思うのですが、しかも思うがままに書いているので、大事な最後の例会なのにまともな文章にならず、だらだらと書き綴ったのを読んでいただき心苦しくも思うのですが、この状況になると本当に想いは尽きません。
このクラブに入ったことが正解だったのか、それは正直今でもわかりません。当時父の周囲の方の中には、まだ30代前半で若いからと勧誘を控えていらした方もいらしたようですし、中にはこのクラブの設立メンバーに名を連ねているという情報を得られた方が、「そちらにいかれるならぜひうちのクラブに」と、早々と引き抜きのようなお話もいただいたこともあり、本当に贅沢なことに、そして生意気なことを言ってしまえば選択肢は他にもあったのです。
それでもこのクラブを選んだことは先述の通りですし、先代の初代会長が会長退任とともに退会した悪しき前例もあり、私も一度目の会長在任時には本当に山あり谷あり崖ありの困難なことばかりに、会長を終えたら前会長同様に私も退会すると、当時のガバナーに話して宥められたこともあったくらいです。しかし、ある方に「ここまでやってきて辞めたら逃げたって言われるぞ、放り出したと言われるぞ」と言われたこと、会長就任時に渡辺PGからかけられた言葉、そして現実的なところでは様々なしがらみもあり、会員が減少し始め適当なタイミングで辞めていった人たちを恨めしく思いながらも辞められず、今日まで11年の月日が流れておりました。
クラブがスタートした当初、ロータリー経験者も多少はおりましたけれど、ほとんどはロータリアンの子弟や米山学友、元ロータアクターだったと記憶しております。わずかにいた、ロータリーとは無縁のところから入会してきたある会員に次のように言われたことがあります、「原さんはお父さんがロータリアンだからロータリーのことをよく知っていますけど…」と。
私の答えは、「それは違う」です。
確かに、父が熱心なロータリアンでしたので、ロータリーは子供の頃から身近なところにあり、ロータリーとは縁の無いところから入会してこられるような方とは違い、アドバンテージがあったことは否定しません。しかしながら、もしそれだけが知識のある理由であるのならば、同じような環境で育ってきたロータリアンの子弟は他にも何人もいたわけですから、私だけが皆より知識があったといわれるようなことは無いはずです。
当時のメンバーの中では、ロータリー経験者の一部の方を除いては、私は他のメンバーより多少知識もあり、父のクラブの奉仕活動も手伝っていたため経験もあったこと言えるとは思います。しかしながら、仮に私が周囲からよく知っていると評価していただけていたとしたのであれば、それはロータリアンの娘だったから自然とそうなったわけでは無く、自分自身の行動をとおして身についたことです。それが「勉強」といえるほどのことであったとは言えないかもしれませんが、必要に迫られて調べたりしていった中で自然と身についたことがほとんどであって、まぁ一般的にはそれを「勉強」と言うのかもしれませんけれど、学校の試験勉強のように成績のかかった義務感からする勉強とは異なり、自分で興味のあったことでしたので苦だと思ったこともなく、「ロータリアンの娘だから」云々というのは、ある種の偏見のように感じてもおりました。
”I wasn’t lucky, I deserved it.”
「幸運だったわけではありません。
私はそれだけの努力をしてきました。」
尊敬するマーガレット・サッチャー元首相の言葉です。
とはいえ、入会当初は父もまだ地区でそこそこ活躍しておりましたので、私が下手なことをして父の顔を潰さないようにという思いは常にあり、何か良ければ「さすが原さんのお嬢さん」といわれ、悪ければ「原さんのお嬢さんなのに」と、私も一人の大人として、父とは独立して別のクラブでやっていても、常に父の存在が離れないのは仕方の無いことだと思っていたのも事実です。それがいつの頃からか、父が「『原さんのお嬢さん』ではなく『原さんのお父さん』と言われるようになってしまった」とこぼすようになったのは、父の陰から少しは抜け出して認識してもらえるようになったのかと思うと、言葉で表現するのは難しいのですが、安堵感のようなものを覚えたものでした。
そして、クラブが終結することになり、本当にたくさんの方々から移籍のお誘いをいただけたこと、我ながらに決して扱いやすい人間でもなく、物事をはっきり言うし、意見があればうやむやにせず発言する、筋の通らないことは大嫌い、こんな私でも本当に熱心に、もちろん中には社交辞令的はお話だった方もいらっしゃるのは承知しておりますけれど、移籍のオファーをいただけるように成長していたのかと思うと、このことは大変嬉しく受け止めています。
私が会長を退く直前に、当時副会長エレクトだった会員が5月の中旬くらいになって退会を申し出てきたことがありました。彼女の退会の申し出自体は会長エレクトに最初に入ったそうで、私は少々突き放した言い方をしてしまうと次年度の人事のことだし、次の会長が対処すればいいと思い、会長エレクトに任せるつもりでいたのですが、どうするのか一応訊いたところ「今更残られてもやりずらいから辞めてもらってかまわない」と何もせず受け入れるとのこと。
基本的にはその会長エレクトと同じ考えではおりましたけれど、ただ、初代幹事で彼女が一生懸命やってきていたことも、慣れない子育てに苦労されているであろう状況も承知はしておりました。それでも彼女自身のやり方で、子供がいても続けられるという道を開いていってほしかった、という残念な思いと、一方で立場上、年度末ギリギリになってわかりきった理由で退会というのは、正直なところ責任感に欠けるところがあるという思いもあったので、何も言わず出された退会届をただ受け取って受理するのも「仲間」として冷たいかとも思い、私個人として、そして会長という立場として、両方の思いを伝えたところ、返ってきた反応は引き留めなかったことで「冷たい」「ドライ」だと、一時間近く電話で泣かれたものでした。当時は、彼女のためを思って何時間も文章を練って送ったメッセージの結果がこれなのかと、自ら辞めると言ってきたのに引き留めなかったら冷たいって・・・?と、何もしないで退会を受け入れようとした人とどっちが冷たいのか???とも思ったものですが、言葉だけで人の思いを伝えることは本当に難しいことです。この一件のみならず、そのことはこのクラブで何度も痛感してきたことです。
ITやSNSの発達はこのクラブがスタートした頃より遙かに進展し、近年では人工知能(AI)もますます身近なものになってきています。そして、コミュニケーションツールは格段に増えていますが、やはり文字だけでは、その言葉、文章に込められている真意、筆者の想いというところを汲み取り理解するのは、本当に難しいものです。
言葉は人を励ましもしますけど、一つ間違うと大いに傷つけ、取り返しのつかない事態を招く結果にもなり得ます。近年SNS、顔の見えないが故に無責任に言葉を発し、人を傷つける行為が横行していることが問題になったりしていますけれど、このクラブでもかつて、顔が見えるところでは黙っているけれど、例会のコメントや全体会議のあとメールなどで言いたい放題という方も少なからずいらっしゃいました。
議論すべき時に議論せず、意見を控え、議論や対立を避ける方が多いと思いますけれど、異なる意見が出て議論がヒートアップしたとしてもそれはお多賀にリスペクトを欠くこと無くする暑い議論は喧嘩とは異なるものであり、良いクラブにしていこう、良い奉仕活動をしていこう、そういうことで議論を交わすことは決して悪いことだとは思っておらず、例え議論の対象がクラブにとってネガティブなトピックだったとしても、本当に話し合うべきものであれば、対立するような意見が出て来ることが予想されても場外であれこれ言っていても何の成果も生まれないのですから、それはしっかり提議して話し合うべきものだとの考えはずっと変わっていません。それがここで出来なかったこと、できるまでの信頼関係が築けず多くの会員が去って行ってしまったことは非常に不幸なことでした。
信頼は失うことは簡単ですけれど、それを築くことはその何倍も、何十倍も難しいことは言うまでも無いことです。たとえ寄せ集めのメンバーでスタートしたとしても、どうしたら皆がもう少しでも生まれたばかりのクラブをもり立て、成長させていこうと思えるようにできたのか、会員同士の信頼関係を築けたのか…。
最後の数年は実質一人で何から何までこなしてきた中で、今年度になってからはようやくゴールが見え、少しずつ肩の荷がおりて楽になっていくように感じていた時期もありました。しかしながら、こうして間もなくゴールにたどり着く、そのラインが実際目前に迫ってくと、肩の荷が下りて楽になるどころか、より一層重くなってくるとは思いもしないことでした。
クラブの終結と共に私自身はロータリーは卒業すると決めてしばらく経ちますが、最後にと思い、昨年足の手術をしてからさほど時間も経っていないのに多少強行して参加したカルガリーの国際大会では、本当に「ロータリーのマジック」のような不思議なことがいくつもあり、その一つ一つが、ロータリーから離れることのないようにと、あたかも見えない不思議な力で引き留められているのかと思うことばかりでした。
まだまだやりたかったこと、やってみたかったこと、やり残したことはありましたし、それはロータリークラブの会員としてバッチをつけた最後の日により一層明確に見えてしまいました。望めば続けられる環境はありチャンスも提供されているのに、それでも一度決めたことを曲げられない自分の性格を恨めしくもこれほどまでに思ったことはないかもしれません。あるパストガバナーにご挨拶していた際、その隣で話を聞いていた別のあるパストがバナーは、「どうせすぐ戻ってくるさ」と、笑っていらっしゃいましたが・・・。
クラブではお世辞にも決して恵まれたロータリーライフとは言えませんでしたけど、地区委員などもさせていただいたり、父のおかげで自分自身では開拓できなかったような広範囲にたくさんの素晴らしいロータリアンの皆さんと時間を共にさせていただき、勉強させていただいたことは、本当にありがたいことでした。そういった面では、本当に恵まれていたと感謝しています。
たくさん愚痴も聞いていただきましたし、無理なお願い、わがままもきいてもらったり、クラブを超えて助けていただいたり、こうして未熟な私を支えてくださった方々がいらっしゃったからこそだと、深く感謝し、この11年のご恩は決して忘れることはありません。
”Watch your thoughts, for they become words.
Watch your words, for they become actions.
Watch your actions, for they become habits.
Watch your habits, for they become character.
Watch your character, for it becomes your destiny.”
「考えは言葉となり、
言葉は行動となり、
行動は習慣となり、
習慣は人格となり、
人格は運命となる」
再びサッチャー首相の言葉で、モットーとしている言葉です。
以前ある尊敬している大先輩から「『ロータリークラブの会員』には誰でもなれても、『ロータリアン』に誰もがなれるわけではない」という大変印象強い言葉を教えていただいたことがあります。
私なりには精一杯取り組み、向き合ってきたつもりですけれど、
「ロータリアン」にはなれず「ロータリークラブの会員」止まりだったかもしれません。それでも、子供の頃から父を見てある種の憧れであった会員にさせていただき、「誇りのシンボル」を着けられたこと、ロータリークラブの会員でいられたことは私の誇りでした。
最後に、こんなまとまりの無い長い文章を書いて終えることは恥ずかしい限りですが、もう読み返し、直すには時間が無いので、このままで終えさせていただきます。まだまだ尽きませんが・・・。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
「ロータリークラブの会員」から「ロータリアンの娘」」に戻ります。
I am grateful to have had the opportunity to serve the club I love.
幹事報告
2025-2026年度幹事 大塚 和光
◆クラブ活性化セミナー2026 開催のご案内_2026.04.27~28◆
詳細は下記よりご覧ください。
【クラブ活性化セミナー2026 開催のご案内_クラブ宛て2026.04.27-28】
【フライヤー_クラブ活性化セミナー2026】
◆ふじさわ湘南ロータリークラブ 3月例会変更のお知らせ◆
詳細は下記よりご覧ください。
【3月例会変更のお知らせ】
委員会報告
出席委員会
第499回例会 出席率 66.6%
会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名
Visitors
第499回例会のビジターコメント
藤沢南ロータリークラブ 新井 智代 様
人は知らず知らずに、他社に影響を与えて生きているのだと思います。
りくりゅうペアのように大きなうねりをもたらす様な場合もあれば、もっと小さくても人の行いから学ぶこと、刺激を受けること、インスパイアされることは一杯あるように思います。
私はアーカス湘南RC様、原会長からいろいろな刺激を受けてロータリを学んでいる気がいたします。
いよいよ来週は最後の例会を迎えられますが、この11年間のご努力に心からの敬意を表します。
藤沢ロータリークラブ 椋梨 兼彰 様
今日は。先日、アーカス湘南ロータリークラブ様
が今月で終結すると伺いました。私がガバナー補佐の時にはお米の件では大変お世話になりました。今後も他のクラブでご活躍される事、益々のご活躍をお祈りいたします。
京都西ロータリークラブ 岸本 健治 様
京都西ロータリークラブ会員岸本健治と申します。
会長の話からは、オリンピックを通じて努力や感謝の大切さ、そして心の変化に気づかされました。「諦めない気持ちが階段になる」という言葉が特に印象的でした。卓話では、端午の節句の由来や風習が丁寧に紹介され、日本文化の奥深さを改めて感じました。伝統行事に込められた願いや意味を知ることで、日常の中にある行事をより大切にしたいと思いました。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
Smile Box
第499回例会のスマイル報告
前回はありませんでした。
カレンダー
今週のプログラム
アーカス湘南ロータリークラブ最後の例会ですので、スペシャルプログラムとしてお二方に卓話をお願いしました。
お一人目は、昨年度第3グループでガバナー補佐を務められた荒井智代様(藤沢南ロータリークラブ)に、そしてもうお一方はパストガバナーの久保田英男様(鎌倉ロータリークラブ)です。
最後の例会ですので、多少特別にと思い、何人かにご寄稿いただくようお願いはしたのですが、「最後は嫌だ」と辞退された方たちもいらっしゃったなかで、ぜったいに断らないだろうと、ほぼ確信犯的にお願いし、お引き受けいただいたお二人です。でも、この特別な例会のために「お願いしたい」と思った方たちです。
新井PAGには昨年度大変お世話になり、ガバナー補佐を務められていた昨年度は知らぬところで毎週例会を見られていたという、びっくりするほどしっかりガバナー補佐のお仕事されていて、気づいたときの私の心境ときたら、、、という感じだったのですが、昨年は健康面で人生裁断の決断と言っていいほどの決断を下し、精神的にも本当につらい時を過ごしてきた時期に引っ張っていただいた新井AG。最後の数ヶ月もほぼ皆勤賞で例会に出席していただき、やはり最後にご寄稿いただきたいと思ったお一人です。
そして大トリには久保田パストガバナー。久保田PGにはロータリーの友に毎月連載されているところに目をつけて以来、「ロータリー月間」に毎年特別編をということでお願いしてきましたし、それ以前にも私以外の会員の依頼で卓話をしていただいたり、おそらく登場回数ではトップクラスなのではないかと思うほどお世話になってきました。
父からのつながりで大変お世話になり、クラブのこともご相談させていただいたこともあったり、私が頭の上がらないお一人です。(笑)
See it through to the end.
藤沢南ロータリークラブ
新井 智代
本日2026年2月23日はロータリー創立記念日です。1905年ポール・ハリスがロータリーを創設してから121年が経ちました。今週500回の例会を迎えてクラブを終結されるアーカス湘南ロータリークラブ様への感謝をこめて、この記念すべき日に原稿を執筆しています。
私は2024‐25年度に第3グループのガバナー補佐を務めさせていただき、アーカス湘南ロータリークラブ様の存在と真剣に向き合う機会をいただきました。当時、第3グループには多種多様な10クラブが存在し、その1クラブとしてアーカス湘南ロータリークラブ様は、個性的な存在価値を放っておられました。数字の上では3名のクラブ、ただ寄付額は2780地区の中でもとびぬけた成果をもたらしていらっしゃる。創立10周年をお迎えになった年でもありました。3度目の会長を務めていらした原いづみ会長はその年を“クラブの存続意義を見つめ直す段階にある”と表現されていました。
ガバナー補佐は「会長・幹事会」を月1回行い、ガバナーの意向や地区の委員会の様々な情報を10クラブの会長幹事にお伝えしていく役割を担っていました。年度始め7月の会長・幹事会だったでしょうか。今まで第3グループではグループで合同の事業(ピースウォークやカンボジアへの運動靴の寄贈等)を行ってきた慣例がありました。そこで当年度も10クラブ合同の事業を何かやりたいと思っていますが、何がいいでしょう?と皆様にご意見を求めた時です。
原会長がすっと手を挙げて「グループで合同事業は必要でしょうか?」とおっしゃったのです。ギクリといたしました。その場の空気も一瞬緊張に包まれました。「ロータリーはクラブごとに奉仕活動を行っています。第3グループではポリオの募金を既に合同で行っています。これ以上に合同事業はなぜ必要なんでしょうか?」と。
ドキドキしました。なぜなら私はお恥ずかしながら深く考えたことがなかったからです。単純に今までやってきていた‥‥から、先輩AGから今年も何かやりなさいよ、と言われた‥‥から、引き続き行おうとしていただけで、そのことの価値や意味を即答できるほどの信念を持ち合わせていなかったからです。おそらく真っ赤な顔でしどろもどろ「引き続きご相談させて欲しい」というようなお応えしかできなかったと記憶しています。
原会長の問いは「真実かどうか」を射抜く正論でした。
おそらくEクラブを創設するところから始まり、第3グループへの移籍などこの10年間に多々の経験を乗り越えながら、ロータリーの在り方をいつも自問して勉強していらした所以のご質問だったのでしょう。
反省しました。もっと勉強しなければならない。各クラブにとって合同事業を行う負担がどれくらいなものかも含めて、やる意味はあるだろうか、もっと考えなければならないと思いました。
そんな過程を経て、各クラブから「10クラブ合同事業実行委員」を選任いただき、その委員さん達と何をやるか、どうしてやる必要がるか…熱心に何回も討議しました。協議を重ねた結果として「子供食堂支援~おいもdeサンタ~」の企画がやっと生れました。アーカス湘南ロータリークラブ様、原会長からのひとつの疑問の提起が、考える必要を生み、私をはじめ何人かのロータリアンはインスパイアされ各々の成長に繋げることができたのだと思っています。
やっと迎えた、寄付の食材「お芋」堀りの当日、原会長の姿がお芋の畑にあったときの嬉しさは何とも言葉にできません。一度疑問を投げたものの…やるとなったら、ちゃんと現場に来てくださっていたのです。(当時、原会長は足の状態が悪く手術を重ねて杖をついていらっしゃいました。)「お芋は掘れないから見ているだけ」と笑って言いながら、参加した子供やボランティアの皆さんにカレーをふるまっていた姿は忘れられません。ロータリアンだなと思いました。
その上、アーカス湘南ロータリークラブ様として250キロものお米をプロジェクトに寄贈してくださいました。そのお米は第3グループで援助した15か所の子供食堂、延べ700人以上の子供たちへの援助に繋がりました。
「出来ることと出来ないことで言えば、出来ないことの方が多いでしょう。しかしながらこのような状況下でも‘出来ないと言わずに出来る方法を考える‘をモットーに取り組んでいきたいと思います。」と記されていた通り、アーカス湘南ロータリークラブ様として出来ることを最大限に発揮していただいたことを心より感謝申し上げております。
実はクラブを終結しようと思う、というお話はそのころから伺っていました。聞いている私共の方は何だか不安なだけでしたが、経緯がどうであれ、始めたことを終わらせると決断するには継続するよりもよほど大きな「勇気」が必要でいらしたことでしょう。
2015年、Eクラブとして発足された皆様が2018年に第3グループへ移り「ARCUS(アーカス)」=懸け橋という名前をもたれた頃は15名の会員がいらしたと伺っています。規約の変化など含めましてEクラブの存在意義が少しずつ変わってきた中、それでも国際ロータリー第2780地区の中でアーカス湘南ロータリークラブ様が10年に渡り革新的クラブであり続けたことは間違いがありません。革新的クラブの本質は「変化し続ける」ことにあるとすれば、変化の形のひとつとして「終結する」ことも受け入れざるを得ないのかも知れません。
始まりがあれば終わりがある‥‥「有終の美」という日本語もありますが、この度の終結はそれほど綺麗ごとでは済まされないように感じます。最後にどんな言葉をお送りすれば良いのか考えた結果、タスクやプロジェクトを完成させるために決意と忍耐で進めること「See it through to the end」というフレーズが自然と浮かびました。最後までやり遂げることの「毅然さ」や「忍耐」が必要であるという意味合いをもった言葉です。
ひとことでは表せない気持ちを抱えてクラブの終結と向かい合う、アーカス湘南ロータリークラブ様の姿が私共に教えてくださったことは大変大きなものがあったと感じています。だからこそ、クラブとしては終結するものの、クラブの会員のお一人おひとりが次なる変化をとげて新しい革新・成長へ向かってくださることをお祈り申し上げる次第です。
改めまして最後にアーカス湘南ロータリークラブ様の長年に渉るご奉仕に、心より敬意を表し感謝を申し上げます。本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
【PDF版:アーカス湘南RC様へ】
アーカス湘南ロータリークラブ最終例会のために
久保田英男(鎌倉RC)
正月元旦、ポストに届いた年賀状の束を一枚一枚読むのが楽しみなのだが、今年はその中に妙な手書きのメッセージが入った一枚があった。
「本当に最後の卓話してくれますか?」
新年早々「最後」はないだろう、と苦笑いした。差出人を見ていなかったが、誰の書状かと確認するまでもなく、察しは付いた。原いづみ、アーカス湘南RC会長、と。
ここ数年、雑誌月間に寄稿していたが、昨年の原稿のやり取りをした際、彼女から「最後の卓話原稿も書いてくれますよね」と言われていた。「断れない依頼だろ?」(本気で受けたくなかったけど、そうは言えなかった)と聞き返すと、「いいですよ、断ってくれても」と・・・。頭の回転の鈍い僕には、スマートに断る一文が思い浮かばず、言葉に詰まってしまいそのままになっていた。それが、この年賀状で念を押されることになり、やはりここでも辞退する機会を失い、今、筆を走らせている。
2015年横須賀ロータリークラブが、当地区で初のEクラブとして、「かながわ2780ロータリーEクラブ」が誕生した。今でもそうかもしれないが、ロータリーの例会は対面・インパースンで行うのが『当たり前』とされ、「オンラインで何ができるの」という冷ややかな声が聞こえていた。しかし、そこに集まった若いロータリアンはそんな雑音など聞こえないのかのように、次々と新しいことを始めて多くのロータリアンを驚かせてきた。が、一方で新しいテクノロジーやメディアを活用した活動様式が耳目を集めるとアンチも一定数出てきたことは否定できないだろう。そうした心理的な逆風の中、前例のないまさに暗中模索の活動、期待も大きかった上、組織も未成熟だったこともあり、負荷は僕達古いスタイルのロータリアンには分からないほど、大きく彼らに圧し掛かってしまったのだろう。しばらくすると次第に会員数も減ってしまい、勢いも元気も低下し、存在感が薄れてしまう。これらの苦労があったが、ここで解散することは選択せず、2019年5月クラブ名を現在の「アーカス湘南ロータリークラブ」と改称し、おそらく心機一転のリスタートを図ったのだろう。
さてさて、改称した2019年とは、どんな年だっただろうか。日本では「コロナ」と呼ばれ、地球上の生活を一気にパンデミックとなった疫病がアジアで始まった年だ。海外では「コロナ」ではなく「COVID-19」と呼ばれる。「COVID-19」の「19」は2019年のことだ。感染力が強く、最悪死に至るこの疫病から人々を守るため、世界中で人と物の往来が制限され、それが深刻になると日常の生活も制限されていく。
僕がガバナー職にあったのは、2020年7月から2021年6月だった。事前の準備期間も含め任期中の全てが、この災禍中にあり、全ての活動がそれまでと一変してしまった。次年度の準備として行われるセミナーは、国の感染予防施策によって対面での開催はできなくなってしまった。しかし、この状況がいつ解除されるかも分からないので、セミナーを不開催とするわけにはいかない。そこで、とった手段が「オンラインセミナー」という手法だった。研修用のポータルサイトを作成し必要な資料を閲覧し、受講した後、レポートを提出してもらう方法でセミナーに代え、オンラインミーティングのアプリケーションを活用して対面と同様のディスカッションやオンラインで可能なワークショップなどを実施した。その他、フェイスブックやYouTubeなどで動画を利用しメッセージを届けたりもした。
この時を境に、当地区の各ロータリークラブでのオンラインの利用率は上がった。その利便性と活用方法はコロナ禍後の生活においても、必要とされるツールとして認知されている。ロータリークラブにおいても、ネットは通信手段や一方向の情報配信だけでなく、参加する機会として認知・活用されている。
いかにも僕が初めて導入した始祖みたいに語っているが、そうではない。それまでの価値観の中で不要又は使い方のよく分からないモノとされていたものが、コロナ禍の中で必要とされ、それが非常時にだけでなく平常時においてもその真価が正当に評価されただけで、新しく作った道具でも手法でもない、ましてや僕達が創めた訳ではないのだ。むしろそれを言うなら、アーカス湘南ロータリークラブはそれ以前から、その価値を認識し、活用し、新しい扉を開いていたのだ。こうした経験から改めて知ることで、このクラブがこの10年間果たしてきた役割の一端に触れることもできた。少々時間がかかりすぎているが。
DEI、「Diversity(多様性)」「Equity(公平性)」「Inclusion(包括性)」という面で評価しても、誰でもどこからでもいつでもロータリークラブに参加できる環境を構築することで、DEIを具現化しようとしていたとも言えるのではないかと思っている。多少、褒めすぎではあるが。
今回のクラブの解散をクラブ会員や他クラブのロータリアンがどの様に感じているのか、僕は知る術もなく、また、正直他の人の感想など興味もない。ただ、僕はこう思っている。
「研究者諸君、難解な言葉を並べて悦になるなかれ。その理論、発明、発見は誰もが享受できて、はじめて科学となるのだ」僕の尊敬する社会学者が我々学生に向けて語った「議論や知識をひけらかしてばかりいないで、実践し形に残せ」というメッセージだ。ロータリアンも他の人に通じない言葉で語り合って満足していないだろうか。今のロータリークラブのあり方を客観的にみた時、ロータリークラブの中で自己完結してしまっていて、社会環境の変化の中に適応できないのではないかという危機感とともに不安を感じてしまっている。そういう点で、このクラブは、間違えなく実践し、爪痕を残してきた。
伝統的なロータリークラブ像とは違う多種多様な姿もあることと示し、ロータリークラブが未来に向けて排他的にならないよう警鐘を鳴らし、役目を終えるのだろう。終われば誰もが忘れる、とはいかないだろう。ただ枯れるのではそのこぼした種は誰かが拾い、大事にその花や実を必要とされるまで大切に保管しているはずだ。
アーカス湘南ロータリークラブとして参加する最後の会長幹事会で、ガバナー補佐をはじめ他のクラブ会長幹事から花束が、原会長と大塚幹事に贈られたそうだが、本当に嬉しいことであり、前述の種はきっとこうした人達の手の中に残っているのだと思う。
このクラブがEクラブとして誕生してから、さらに技術は進み、AIが人知を超える日が近いことを感じさせる時代になった。試しに、AIに書かせてみたので、披露してみましょう。
【AIが生成した文】
アーカス湘南ロータリークラブは、2015年3月1日、横須賀ロータリークラブをスポンサーとして「かながわ2780ロータリーEクラブ」として誕生いたしました。
オンラインを活かした新しい奉仕のかたちを模索しながら、地域社会と世界をつなぐ活動を積み重ねてこられたことは、多くの方々に希望と可能性を示すものでありました。
そして2019年5月には「アーカス湘南ロータリークラブ」へと改称し、より地域に根ざしたクラブとして新たな歩みを進められました。
その名の通り“虹の架け橋”のように、人と人、地域と世界、世代と未来を結ぶ活動を展開されてきたことに、深い敬意を表します。
本日、2026年2月28日をもちましてクラブが終結を迎えられるにあたり、これまでの長きにわたるご奉仕、友情、そして挑戦の積み重ねに、心より感謝申し上げます。
クラブとしての活動は幕を閉じますが、皆さまが築かれた精神と絆は、これからも確かに生き続け、地域社会の中で輝き続けることでしょう。
これまでのご尽力に深く感謝申し上げるとともに、今後も皆さまお一人おひとりのご健勝と更なるご活躍をお祈り申し上げます。
(Micro Soft “Copilot”)
「すごい」と思うか、「こんなものか」と思うかは自由だが、きっと5年後、10年後にはもっと「すごい」何かが生まれているのだろう。きっとその度にアーカス湘南ロータリークラブだったらどんなことをしていたのかなぁ、と想像するのだろうな。でも、10年後、僕はこの世にはないだろうな。だったら、その時まで、頑張って続けて欲しかったな。そうすれば、こんな寂しい原稿書かなくてすんだのに。と、最後まで愚痴をこぼしながらも、断らず寄稿するのは、アーカス湘南ロータリークラブが頑張ったからだよ。「さよなら」じゃないからね。ひとまずはお疲れ様でした、ということで。(了)
【PDF版:アーカス湘南最終寄稿_HK20260223】
閉 会
点 鐘
ロータリー的には「手にてつないで」でお別れですけれど、日本では卒業式や大晦日におなじみの「蛍の光」、Auld Lang Syneとともにお別れしたいと思い用意しました。
留学中にカンタベリー(イギリス)でロータアアクトクラブに入会し、初めて参加した2010年カルガリーでの国際大会。その閉会式の一番最後に、2009-2010年度の国際ロータリー会長 ジョン・ケニー氏の出身地であるスコットランド民謡を、お隣同士で手を取り合い、歌ってお別れしたその時から非常に思い出深い曲となっていました。そして、クラブの集結が決まってから、その最後の会長になると決まってから、最後はこれと決めていました。