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第258回 例会2020年7月29日(水)0:00〜2020年8月4日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

ロータリーソング

四つのテスト

会長の時間

2020-21年度会長 大塚 和光

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。どれか当てはまるもので。

 あっという間に7月も終わってしまいます。年齢とともに月日の経つのを早く感じます。これは人間の体内時計が年を重ねるごとにゆっくりと進むようになるために実際の時間とのずれを大きく感じるようになるのだという説を何かで読んだことがあります。 確かに、子供の頃は早く時間が過ぎて、早く大きくなりたいと思っていたような気がしますね。

 駆け込みですが「友」の記事に触れておきます。「友」の7月号は毎年恒例ですがRI会長メッセージが横組みのトップ記事です。8ページから19ページにかけてYoung at Heartとして彼の人となりが紹介されています。掲載写真からも今までのRI会長とは些か違う感じが窺えます。キュヒェン湖に飛び込む画像はいかにも欧米型リーダーの理想像ですね。man hold die Leute ins Boot を引いて主体性と積極性を強調しています。ノーネクタイとジーンズ姿ばかりでなく、初のドイツ人会長であることや役職なども青少年交換プログラムでの実績以外は「何も」無いという経歴など。奥様とサラダを作る様子や一緒に自転車で出掛ける姿から良き家庭人を想起させます。父親の仕事を受け継ぎ会社を大きく育てて売却し次の仕事に移るなど職業人としても変わった経歴といってよいと思います。
 メッセージの冒頭で「今こそ楽観的になるべきなのです。」と言い「どんな危機も再生と成長の機会になります。」と呼びかけます。長年信条としてきた言葉「ロータリーは機会の扉を開く」Rotary Opens Opportunitiesをテーマにした理由を述べる中で様々なICTに触れ「違う種類のつながりを築くほうがより大きな影響を及ぼせるのではないかと若い世代から問われている」「今こそ全ての選択肢を検討して新しい方法を試し、未来のロータリーに向けて備える時です。」と呼びかけます。
 今年度だけでなく、今後のロータリーの課題として世界が切実に必要とするロータリーになるためには「劇的に」変わらなくてはならない、とします。これまでの活動をただそのままオンラインに移行するのではなく、「デジタル時代に完全に適応した団体にならなくてはなりません。」これが具体的にどういう姿であるのか、私にははっきりとはわかりませんが年寄りが駄目だと言うもりはありませんし、その良さを活かすすべはあると思います。当クラブは幸いなことに少ないとはいえ若い優れた会員に恵まれています。この一年間は今まで以上にロータリーの仲間から学ぶことが多い時間になると思っています。
 次のページからは「ガバナーの横顔」。当地区の久保田ご夫妻も。ご夫婦で写っている方が多いですね。ご家族やメンバーと一緒のもありますが2790地区の漆原さんは「馬」と一緒のアップで。これは今まで見たことありませんね。しかも地区最初の女性がバナーだそうです。2840地区の山田さんも地区初、ですか。クラブ会長の女性はもう珍しくありません。女性男性と言い立てることもいつまで続くのでしょうか。

 横組み44ページには当地区の神崎PGが「『ロータリー日本100年史』今年度中の発刊を予定」として報告と購入の呼び掛け。中に小堀憲助先生の「ロータリー運動とは」という1991年発行の著書のことが。私もかつて小堀先生ご存命の頃、松宮PGに誘われて神崎PGはじめ大先輩方と講義を拝聴したことを思い出しました。難しくて、さっぱり理解できませんでしたが、講義の後、議論しながら一杯やったのは良い思い出になっています。松宮さんも神崎さんも、そうだ、西田さんも皆さん大した理論家揃いでしたよ。私は自分が「ひよっこ」なのを思い知るばかりでした。
 縦組みの記事ではありませんが、7月24日号のタウンページ海老名・座間・綾瀬版には座間RCが市内の病院に新型コロナウイルス感染症対策の医療用物資を寄贈したという記事があります。過日の第3グループの会長幹事会でも同じような提案もありました。事例は山ほどあります。私達にしか出来ないことを探してやってみたいですね。

幹事報告

2020-21年度幹事 石田 裕樹

◆8月定例理事会◆
2020年8月3日(月)20:00~ LINE通話にて開催

 

◆豪雨による九州被害地への義援金協力依頼◆
 7月初めより九州広域発生している甚大な豪雨災害に対し、当地区として被害に遭われた地域への支援として、義損金という方法での支援が決定された旨通知がありました。目安としては1人当たり1,000円程度のご協力をお願いしたいとのことです。
 当クラブでは、半期ごとに突発寄付積立金を収めていただいておりますので、今回につきましても、そちらからの拠出とスマイルからの寄付を行う予定ですが、別途寄付のご協力を頂ける方は2020年8月4日(火)までに members@rc-arcus-shonan.org にご連絡ください。

 

◆地区米山奨学セミナー&カウンセラー研修会◆
日 時: 2020年8月22日(土)   15:00~17:00
     セミナー        15:00~16:00
     カウンセラー研修会   16:10~17:00 

場 所: 藤沢商工会議所 ミナパーク6階「多目的ホール1,2」 

講演者: ・米山記念奨学会理事 後藤 定毅
    ・米山親善大使 アドゥアヨム・アヘゴ,アクエテビ

出席対象者:クラブ米山委員長(大塚会長が代理出席予定)
      奨学生クラブカウンセラー(原会員)

 

◆2020-21 2780地区 3G 第3回会長幹事会議事録◆
当番クラブより議事録の配信がありましたのでご報告します。
こちら〔2020-21年度第3回会長幹事会議事録_2020.7.21〕よりご確認ください。

      

委員会報告

出席委員会

第257回例会 出席率100%
会員数4名 出席者4名 欠席者0名

Make Up

第257回例会のビジターコメント

前回はありませんでした。

Smile Box

第257回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

卓 話

きものがたり歳時記(一)

卓話者:十一代目大塚重郎右衛門 様

 暦の上では立夏から立秋の前日までが夏です。昔の陰暦では四・五・六月、今の陽暦なら五・六・七月です。陰暦の四月一日は四月朔日とも書き「綿抜」といいます。この、陰暦四月朔日の「朔」は「はじめ」つまり「ついたち」という意味です。旧暦の四月に綿入れの着物から綿を抜いていたことが由来で、「四月一日に綿を抜く」から「わたぬき」となったそうです。そこで「四月一日」と書いて「ワタヌキさん」という名前になります。この類の苗字には他にも「八月一日」で「ホヅミさん」なんてのもありますね。ワタヌキも一般には「綿貫」の字が苗字としては使われていますが。綿入から袷に衣替えをすること、冬に着る綿入から綿を抜いた夏物のこともいいます。

 更衣(ころもがへ)
  昔は、宮中でも民間でも、陰暦四月朔日と十月朔日とに、衣を更えるのを例とした。江戸時代には民間で、
   四月この日、綿入れをぬいで袷になった。
    すゞかけもそらもすがしき更衣      波郷
    衣更へて遠からねども橋一つ       汀女 

 綿入から袷に、そして単衣の季節になります。ずっと昔、平安時代の貴族は寒い時でも「十二単」でした。そう、単衣なんです。袷じゃなくて単衣を何枚も重ねたのです。

 単衣
  裏の無い一重の着物。単物。夏は袷から単衣に移る。
   ひとえもの径(こみち)の麦に刺されたり 亜浪
   縁にきてちらつく蝶や単衣裁つ     いち子

 夏衣
  夏着の総称。夏衣(なつぎぬ)・夏物。夏衣の姿が夏姿、主に女に言う。
   庵にありて風飄々(へうへう)の夏衣  碧悟桐
   あはれ妻人の夏衣を縫ふあはれ      久女

 単衣は単とも書き、裏地のない和服のこと。春から夏にかけて少し暑くなってきたかなと感じる時、または夏から秋にかけて少し肌寒くなってきたな、なんて感じる季節の変わり目はこの単衣の出番です。六月から九月までの間にしか着られないというのが古くからの慣例ですが、ウールや綿、紬の着物はこの限りではないともされています。
 洋服でいえば半袖シャツの上にカーディガンを着たような状態でしょうか。
その期間しか着れないのかと言えば、そんなことはありません。フォーマルなシーンはさておき、カジュアルな外出用としてなら自分の体質やその日の気候に合わせて五月でも十月でも着て構いません。季節の変わり目は洋服でもいろんな恰好の方がいますから無理をして慣例を守るよりは臨機応変に着た方が楽しいし、何より楽です。某おばあさん曰く、「自分が過ごしやすいように着るのが一番。暑ければ冬でも単衣を着ればいいし、寒ければ夏に袷でもいいんだよ。」です。そのおばあさんが子供の頃、着物を日常的に着ていた頃は冬に単衣を着ていた事もあったし、逆の事もあったらしいです。お茶席や結婚式などならともかく、日常的に着たいのであればそんなの無視しても構わないわけで。日常生活の中で着物がなくなってしまった昨今ですが、いまや夏のスーツやネクタイだってクールビズです。
 気候・風土で服装が決まるのは当然のことです。日本ならほぼ北海道に相当する緯度にあるイギリスの服装が洋服。
因みに、あちらには博物館などにもエアコンがなくて、数年前の猛暑の異常気象の時は管理にとても問題があったそうです。日本は結婚式などでがんがんクーラーの入ったホテルで袷の着物で参列、、そういう、あほらしさです。
 これは、いくら呉服屋が勧めても絽には庶民が手を出せないからです。滅多に着ないのに値段が高いし。私も五十年ばかりの呉服屋稼業で絽の黒留袖をお買い上げ頂いたのは一度だけです。それも四十年ほども前のこと。当時、某社長の奥様が八月に結婚式の仲人をするので「困っちゃうわよねえ。」とおっしゃりながらの事でした。
 さて、何月になったら袷はダメ、とかっていうルールは所謂晴着の場合の事で、普段着はその限りに非ず、なのはご理解頂けたと思います。そして晴着についても「庶民」の間ではそれほど厳密には守られていなかった、守ってなんかいられなかったのです。「貴族」の方々が守っていた決まりごと、今では皇室だけと言ってもいいと思います。元々が古代の服制に由っているのですから。
 忠臣蔵の浅野内匠頭が吉良上野介に殿中での服装について教えてもらえなくて大慌てする場面があります。そんなことが積み重なって刃傷に及ぶ訳ですが。その頃は塩月八重子の「冠婚葬祭入門」のようなハウツー本はなかったんでしょうね。この本も今では必要ない人ばかり。こういう決まりごとに基づいた着付の専門家とか、晴着ばかり売りたがるある種の高級呉服屋の洗脳から、やっと呪縛が解けてきましたか。昔に戻るとは到底思えませんが、普段着、おしゃれ着、外出着などに、きものそのものを楽しむ人が少しずつ増えてきたと思えるのは嬉しい事です。

※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文芸春秋社刊)による。

 

※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されております連載を編集して掲載しております。※

閉 会

点 鐘

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