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第283回 例会2021年1月27日(水)0:00〜2021年2月2日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

ロータリーソング

四つのテスト

会長の時間

2020-21年度会長 大塚 和光

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。どれか当てはまるもので。

 普段、私は読売、朝日、日経MJの三紙を、時として産経と神奈川新聞を読みます。朝日新聞の論調には様々な見解がありますが、「コロナ禍後の成長率の行方」という表題の文章が20日付け朝日新聞のコラム「経済気象台」に掲載されていました。リスクに鈍感な政治と行政により再度の緊急事態宣言が発出され、再び国民は大きな負担を背負わされたと言います。貧弱な検査や医療体制と海外とのワクチン接種のスピードの差も取り上げ、「生産性の低さが問題視されるべきは政治と行政ではないかと愕然とする。」とさえ言っています。この点は立場を超えて同感される向きも多いのではないかとも思えます。コラムはそういった事共を指摘した後で、しかし、「せめてコロナ禍後を展望した明るい話を」として次のように続けます。
 まず、「マーシャルのK」という指標を取り上げます。これは世の中に出回っているお金の量を示すマネーストックを経済活動を示す名目GDP(国内総生産)で割った倍率です。「近年の日本のマーシャルのKは1.5倍から1.8倍へと徐々に上がってきたが2020年4~6月期はコロナ対策の現金給付や銀行貸し出しの増加でマネーが大きく膨張した。一方、名目GDPは激減し2.2倍に跳ね上がった。」とあります。
 経済活動とお金の量には一定の安定した関係があるとされますが、そうであれば跳ね上がったマーシャルのKは、いずれ元のトレンドに戻るはずです。そこで、仮に2021年のマーシャルのKが2019年までのトレンド上の値である1.9倍に戻るとします。そこから名目GDPを逆算で知るわけですが、コラムの筆者の試算では7.0%の高成長になると言います。デフレーターが横ばいなら実質GDP成長率も同じになるからコロナ禍後は高成長が待っているはずだ、というのです。
 このコラム欄は第一線で活躍している経済人、学者ら社外筆者が執筆しているとのことで、この日の筆者名は「顕伸」とあります。私は経済学部の出ですから思いますが、こうした見通し、予測は多くの場合最良から最悪の予想の間のどこかに収まることが多いものです。仮定の条件をどう設定するかで相当結果がブレます。いくら厳密に設定してもマスとしての人間の行動を全て数値化して予測するのは不可能ですしね。でも、全く逆の予測もある中、こういう希望的観測(?)を目にすると少しは安心できるかもしれませんね。

 もう一つ、同じ朝日の「ひと」欄に甲賀香織さんが紹介されています。「『夜の街』への偏見とたたかう日本水商売協会」の代表理事だそうです。個人事業主なのに遅刻したら罰金とかがあったり、いわゆる「いい人」が多いのに世間にその良さが伝わらないといったように業界で働く人の権利がないがしろにされている現状に憤りを感じたのが動機だったそうで、協会を2018年に立ち上げ、約一千人の会員を率いるのだそうです。私はこうした組織があることも知りませんでした。
 コロナ禍の中、「夜の街」は感染源だと批判されました。本当に一般の飲食店より感染リスクが高いのかと国の研究機関と大学が共同で進める換気調査に協力して店内の二酸化炭素濃度の測定をしているといいます。昨年末には自身も30件以上のホストクラブやキャバクラを回ったと言います。
 彼女は青山学院高等部時代は生徒会長を務め、出版社、コンサルティング会社を経た後、水商売業界の可能性に目を付けたのだそうです。「こんなに大きなお金が動くのに雇用もビジネスのあり方も遅れている。」と思い、現場を知るため銀座の高級クラブに入店したのが27歳の時。フルマラソンを走る「体育会系キャラ」を打ち出して、1年後には「ナンバー・ワン」になったといいます。
 昨春、接待を伴う店で働く人が休業補償の助成金の対象から外されそうになった時は自民党の政調会長に直訴したともあり、正義感が強いタイプと自認しているそうです。現在40歳ですが、今後も業界の一方のリーダーとして活躍されることでしょう。こうした若い世代の活躍を目にするのは本当に嬉しいことです。私はせいぜい世間に老害を及ぼさないように心がけなくては。

幹事報告

2020-21年度幹事 石田 裕樹

◆ガバナー月信 2021年1月号◆
 下記よりご覧ください。
 【月信2020 第7号 
  (※今年度印刷物での配布は行いません。必要な方はダウンロードして印刷ないし保存してください。)

 

◆財団奨学生帰国報告会開催日時変更◆
 2月7日(日)に開催が予定されていましたが、新型コロナウイルスの状況を鑑み、4月24日(土)に変更となりました。

委員会報告

出席委員会

第281回例会 出席率100%
 会員数4名 出席者4名 欠席者0名

奉仕プロジェクト委員会

◆アーカス湘南RC お米プロジェクト~ご飯を食べてポリオ根絶!~◆
 前回例会会期中の申し込みは0件でした。緊急事態宣言下で各種会合などの中止、延期が続き、なかなか宣伝も難しいとは思いますが、お米のストックはまだありますので、引き続き身の回りの方たちへのご案内お願いします。

 
 案内用資料はこちら
 【アーカス湘南ロータリークラブお米プロジェクト案内
 【アーカス湘南RCお米プロジェクト申込書

Make Up

第281回例会のビジターコメント

前回はありませんでした。

Smile Box

第281回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

卓 話

きものがたり歳時記(八)

卓話者:十一代目 大塚重郎右衛門 様

 
 丹前の由来には面白い話があります。丹前の原型は吉原の有名な遊女だった「勝山」の衣裳だといいます。
 勝山は元は江戸神田の風呂屋、つまり湯屋の湯女でした。湯女のいる湯屋、即ち湯女風呂は今のヘルスの元祖みたいなものですか。それがブレイクした頃、江戸初期のことです。この湯屋は堀丹後守(堀直寄)の下屋敷の前にあったので「丹前風呂」と呼ばれていました。「丹」+「前」=「丹前」です。そこに集まる男伊達(遊び人)達の間でド派手なきものが流行ったんですね。で、この男達が着ていた服装を「丹前」と呼ぶようになりました。
 では、何故そんなファッションが流行ったかと言うと、超売れっ子湯女の勝山が人と変わった格好が好きだった為、目を引こうと男達が競い合ったという訳です。だから多分、その頃の丹前は現在のものとはかなりイメージが違うものだったでしょうね。この辺のくだりは、井原西鶴の「好色一代男」にも描写が出てきます。要するに、ファッションヘルスのお店の名前が和服の名前になったというのです。
 その後も勝山ゆかりの丹前風呂では湯女たちが勝山にあやかって、よく似た衣服を身につけていたそうです。そこに通い詰めた旗本奴達がそれによく似たものを着て風流を競ったのですね。こうした旗本奴や後には侠客などが派手な縞柄、つまり丹前縞の丹前に広幅の丹前帯をだらしなく絞めて着流したのが丹前風で、これが一種の流行になったのです。
 また、当時、侠客を歌舞伎の舞台でよく勤めた役者が多門庄左衛門でした。彼は当時流行していたこの丹前姿で六方を踏んで悠々と花道を出入りし絶大な人気を得たのです。この丹前六方にあやかって丹前を着流して市中を闊歩する者が後を絶たなかったので、彼らのことも「丹前」と呼びました。日本人もいろんな歴史を作ってくれますね。

 ねんねこ
  赤ん坊を背負う小さな掻巻。ねんねこ半纏・子守半纏。
   ねんねんこに眠る子うづみ百万遍     知世子
   座席なきねんねこおんぶの客をいかに   風生   

 ねんねこ半纏の略です。虚子にも「ねんねこに埋めたる頬に櫛落つる」の句があります。幼児をおぶったとき上からはおる袢纏で、防寒用に綿入れ仕立が多いのですが、袷や背中だけの亀の甲羅のような形の亀の子半纏もあります。ゆったりと仕立ててあり、子守半纏とも言います。
 江戸時代に赤ん坊を「ねんねこ」といったこと、また幼児語で眠ることを「ねん ね」ということからこの名があるといいます。広袖、広襟で、派手な柄で仕立てることが多いようです。背負うものも背負われる子も共に温かいし、母親の背中で安心して眠る赤ちゃんを見るのは心温まるものです。懐かしく思い起こされる方も多いのではないでしょうか。

 さて、もう間もなくお正月。そこで歳末と新年に因んだ季語を見てみます。歳末には年用意があり、その傍題に春着縫うがありますが例句はありません。
次に新年を見ましょう。

 縫初
  正月二日裁ち縫い始めの日。針起し・初針。
   うつくしき母の針道縫初       蕪人
   縫初めの十かさねけり糠袋      かな女
 織初
  ふつうは正月二日。初機・機始・機場始。
   織初や水色の糸浮きて見ゆ      保子
   初機の山びこしるき奥嶺かな     蛇笏

 どちらも正月には仕事始めの一つとして行われました。新年はじめて針をもち、ものを縫うこと、機を掛けて布を織る事です。今では和服の裁縫師や紳士服屋の初仕事なども含まれるでしょう。しかし、昔は家族の衣服を整えるのは女性の重要な仕事であり裁縫の巧拙は嫁の評価に直接繋がったものです。夕鶴のおつうの話は有名です。しかし、昨今は裁縫も機織りも特別な趣味の世界だけですね。織機が各家庭にあったのは大昔の事です。最近では針や糸すら無いところが多いんじゃないでしょうか。

 春着
  新春に着る新調の晴着。多くは子女のそれをさす。正月小袖・春小袖。
   膝に来て模様に満ちて春着の子    草田男
   踏切にて春着の妻を紹介す      三樹彦 

 他にも春服・初衣裳・初がさねなど正月のために新調した着物を指す言葉があります。昔、正月は外出時だけでなく家庭内でも改まった衣装を身に着けたものです。これは晴れやかな場所に着て行くというより、新年の歳神様を意識した衣裳なのでしょう。また旧暦の頃、正月は春を迎えることであり、正月に着る春の着物が春着そのものでした。

※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。

 

※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されている連載を編集して掲載しております。※

閉 会

点 鐘

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