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第290回 例会2021年3月17日(水)0:00〜2021年3月23日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

ロータリーソング

四つのテスト

会長の時間

2020-21年度会長 大塚 和光

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。どれか当てはまるもので。

 3月は水と衛生月間です。「友」3月号の横組に「安全できれいな水を考える」として特集が組まれています。13頁には「日本全国には美しい『水』がある」と題して「環境省選定・名水百選」の記事があります。1985年3月に選定したそうです。2008年には平成の名水百選を追加して200の名水が認められているとあります。おいしさ部門のトップに「おいしい秦野の水~丹沢の雫━神奈川県秦野市」の名が。
 当クラブの前回289回例会には座間市長、佐藤弥斗さんの「ざまみず」の卓話が掲載されました。「丹沢の雫」と「ざまみず」。箱根の水も相模湾の海洋深層水もありますね。どれもおいしい水です。飲み比べしてみますか。

 つい先日、座間市芹沢公園南側エリアの改修計画ワ-クショップに参加しました。この公園は前の戦争中に台湾からの少年工たちによって紫電改の製造がおこなわれていた事で有名なところです。ここにも湧水があり菖蒲園や蛍の保存が図られています。隣接の一角には座間市の水源の一つとポンプ室があります。公園の施設の老朽化が激しいこともあり様々な検討が加えられています。その計画の一つに手押しの井戸ポンプの設置があります。
 私の世代では「井戸で水を汲む」のは普通のことでした。釣瓶井戸もありました。相模川近くの浅井戸では跳ね釣瓶もありました。でも、今ではある年齢層より若い人たちは実際に井戸を使ったことはないのですね。「井戸」そのものがイメージできない子供達もいるようです。蛇口に手をかざせば水が出てくるのが当たり前のこととして育ってきたんですものね。
 一頃ロータリーの奉仕活動にアフリカや東南アジアなどでの井戸掘りが多かったと思いますが、日本では天秤棒に水桶を下げて水汲みをしたのは遙か昔のことです。時代劇の長屋の場面などには水甕から水を汲むところが出て来たりします。場所によってでしょうが、つい5~60年前までそれが続いていたのが噓みたいです。
 ページの右下にある2008年の国土交通省水資源部作成のグラフによれば、水道水の質に関する満足度調査では飲み水として満足している比率は約50%です。ですから、半分程度の人達は満足できる飲み水だと思っていないのですね。確かに実感として東京都内の水はまずい。世界中で水道水をそのまま飲める国は日本を含め僅か12か国だといいます。私たちは有難い水の環境の中にいるということですね。

 3本の特集記事のトップはG月信にもありましたように、神奈川湘南RCの磯崎さんが書いておられます。2007年から続く児童養護施設・聖園子供の家との交流の10周年記念として2017年に行われた「かながわ水がめ探検隊」の紹介です。2020年には中古ピアノの贈呈があり交流が続いている、とあります。「支援」と言わず「出会い」として活動し続けてきた、というのが良いですね。
 磯崎さんによれば、この活動を通じて水の安全性について日本ではほぼ問題にならないことを改めて確認したが日本の水の実情は案外知らないものだという印象を持った、そうです。国際的に見れば恵まれた状態が、あまりに普通で日常となっているのですものね。以前から「日本人は水と安全はタダだと思っている。」と揶揄されるようなところもありました。「平和と紛争予防と紛争解決月間」の卓話「戦争と経済」に書きましたが、平和維持の場合も災害防止の場合も安全は膨大な費用が必要です。いずれも「どこまで備えるか」は難しい問題です。

 宮ケ瀬ダムは首都圏最大級のダム貯水池です。目的は洪水の調整、水道水の供給、河川環境の改善、発電、とあります。座間市では昭和53年10月に「宮ヶ瀬ダム計画に係る座間市の配分水量の取扱いに関する基本協定」を締結し、浄水換算で一日当たり37,300㎥の配分水量を確保し神奈川県企業庁から受水することになっています。
 自己水源である地下水取水井戸の改修や点検等を実施する場合とか井戸からの安定取水を維持するため、地震の影響により地下水脈の変動による取水能力の低下、水質悪化等による取水停止が発生した場合、その代替水源を県水に求めています。将来にわたり水道の安定供給を継続するための貴重な水源としているのです。現在は地下水だけでは水源が不足する状況にあり通常時は配水量の約15%を県水としています。受水費は水道事業費の約1/4を占めています。当時の議会では様々な議論があったようです。

幹事報告

2020-21年度幹事 石田 裕樹

◆ハイライトよねやま252号◆ 2021年3月12日発行
 下記よりご覧ください。
 【http://www.rotary-yoneyama.or.jp/content/uploads/summary/highlight252_pdf.pdf

 

委員会報告

出席委員会

第289回例会 出席率100%
 会員数4名 出席者4名 欠席者0名

奉仕プロジェクト委員会

◆アーカス湘南RC お米プロジェクト~ご飯を食べてポリオ根絶!~◆

 前回例会会期中の申し込みは0件でした。緊急事態宣言下で各種会合などの中止や延期が続き、なかなか宣伝も難しいとは思いますが、お米のストックはまだあります。引き続き身の回りの方たちへのご案内お願いします。

 
 案内用資料はこちら
 【アーカス湘南ロータリークラブお米プロジェクト案内
 【アーカス湘南RCお米プロジェクト申込書

Make Up

第289回例会のビジターコメント

前回はありませんでした。

Smile Box

第289回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

卓 話

臨済宗大徳寺派永禄山宝泉寺 原 宗久様

 
 

皆さまこんにちは。
本日、卓話をさせていただきます、小田原市風祭にあります宝泉寺の副住職をしております原 宗久と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

 
 

 
 

まずは自己紹介をかねまして、私が副住職を務めます宝泉寺について少し説明させて頂きます。
まず宗派は臨済宗大徳寺派となります。
臨済宗は坐禅をする宗派、禅宗となります。そして14の派がありますが、宝泉寺は大徳寺派といい、一休さんがいたことや、千利休の切腹の原因になった山門があることで有名な、京都紫野の大徳寺が大本山になります。
臨済宗は総本山がなく、14の派それぞれに大本山があるのが特色です。
そして宝泉寺は、1558年永禄元年に、北条幻庵の長子である三郎殿こと北條時長公、横浜にあった小机城の城主として一つの軍団の司令官を務めた方ですが、年若くして亡くなりました。その北条早雲の孫のために、宝泉寺は創建されました。創建された永禄元年に由来して、山号を永禄山と号します。そしてお寺を開いた開山様は、湯本の早雲寺の2代目のご住職である大室宗碩禅師となります。この方も後に本山の大徳寺の95代目の管長になり、朝廷からお名前を頂いた和尚様で、賜諡東光智燈禅師大和尚と申します。
ですので、臨済宗大徳寺派永禄山宝泉寺は、小田原北条氏直系のお寺で、湯本の早雲寺とも大変縁が深いお寺となります。
この卓話をさせて頂いたのも何かのご縁でございますので、機会がありましたら是非お寺にもお寄りください。

私自身は宝泉寺で生まれ育ち、大窪小学校、城南中学校を経て、高校は逗子開成高校、大学は早稲田大学教育学部で学ばせて頂きました。
よく仏教の学校に行ったの?と聞かれますが、臨済宗では僧侶になるための専門道場、僧堂に一般的には最低3年入らないと住職になる資格がもらえません。
私は、最初は鎌倉の円覚寺専門道場に約1年、一度病気と怪我でお休みを頂いてからは、三島の龍澤寺専門道場にて3年間修行をした後、生まれ育った宝泉寺の副住職となりました。
また現在は法務の傍らで、小田原市仏教会、神奈川県仏教青年会、公益社団法人小田原青年会議所など様々なところで。いろいろな方とのご縁を頂き活動をさせて頂いております。
本日もそのご縁によりまして、大変未熟者ではございますが、お話させて頂くことになりました。

自己紹介はこの辺りにさせて頂きまして、
そろそろ本題に入ります。
今月のテーマは「水と衛生」であるとお聞きしました。
衛生となるとちょっと難しいのですが、まずは水についてお話しさせて頂きます。
また私の職業柄、仏教の話も出てまいりますが、それは主題ではないので、かなり簡単にお話しさせて頂きます。詳しい方や同業の方がおられましたら、正確にはちょっと違うのではないのかと思われるかもしれませんが、その点はどうぞご容赦ください。

臨済宗は禅宗ですが、禅宗で水というとまずは行雲流水という言葉が真っ先に思い浮かびます。
行雲流水とは行く雲、流れる水と書きます。
空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動する。
つまり何事にもとらわれないということです。
良く坐禅では無になるんでしょ?と聞かれますが、禅の無とはナッシング何も無くすという意味ではありません。何事にもとらわれない境地、怒りや悲しみ不安や欲望、そのようなものにとらわれず、坐禅をしている自分そのものだけを感じる。その時だけに集中する。そのとらわれない境地こそが、坐禅でいう「無」というものになります。

それに関連して、禅宗の修行僧のことを雲水と書いて、「うんすい」と呼びます。
空を雲が行くように流れる水の様に、良い師をもとめてあちこちの道場で修行する。
それを行脚すると言いますが、その一つの場所に留まらず修行の旅をする様子から、禅宗の修行僧だけを特に雲水と呼びます。

また禅の教えとは、悟りを開かれたお釈迦様からそのお弟子様方に伝わり、その後禅宗の始祖である達磨大師が、禅の教えをインドから中国に伝えました。その後中国で教えは伝わり、やがて「臨済の喝」と称される宗祖である臨済禅師に伝わった禅の教えの流れを、様々な祖師方が日本に伝えて今に至ります。
その様子は、師資相承と難しい言葉では言いますが、お釈迦様からその弟子に、そしてそのまた弟子にと、要は一子相伝の様な形で文字や経典に頼らずに最も大切な「仏の心」である正法(正しい教え)を、人から人へと直接伝えました。その教えが伝わる様子は「一つの器の水を、さらに一の器へ」と例えられています。

このように禅宗の教えを例える大事な言葉には、本当に良く「水」が使われます。
禅語という、坐禅の境地を表わした言葉に広げると、本当に数がたくさんあり、今日だけでは紹介しきることが出来ません。

二つほど、水に関したエピソードを上げさせて頂きますと、
修行をこつこつ続ける様子を、「雪を運んで井戸を埋めようとするようなものだ」と言ったりもします。雪を運んで行って井戸を埋めようようとしても、井戸の下には水がありますから、投げ込まれた雪はすぐに溶けてしまい、井戸は決して埋まることはありません。でも結果や成果そうした雑念にとらわれず、今この瞬間、修行のその時にこそ必死になって集中する、それを「雪を担って井をうずむ」などといいます。
さらに言うと修行というのは、一見無駄なことに見えて、その時必死になってやったことは絶対自分に帰ってくると深読みすることも出来るようです。

また中国の唐の時代に、後に高僧となる雪峰義存禅師が若い頃、「徳山の棒」で名高い徳山宣鑑禅師のもとで修行しようと、渓流沿いに上っていると、上流にあるお寺から野菜の切れ端が流れてきました。それを見て「一筋の野菜を粗末にするとはろくな道場ではあるまい」と思い、山を下りかけました。そこに一人の僧がこれを追って下ってきて拾っているのを見て、雪峰義存禅師は考え直し、徳山宣鑑禅師に入門したという、「渓間に流菜を拾う」というお話もございます。

ちょっと教訓めいた堅苦しいお話が続きましたので、私の体験談も交えて、臨済宗の修行道場である僧堂での、「水と衛生」に関するエピソードについてご紹介させていただきます。
修行道場の生活は、古くは中国の唐の時代の百丈懐海禅師が定めた百丈清規という決まりに従い、日本では江戸時代に臨済宗中興の祖といわれる、白隠禅師が今の坐禅の修行体系を作った時から、ほとんど変わっていないとされています。
ある修行道場の老師様、雲水を指導する方は「江戸時代になかったものは、僧堂にあってはならない」とおっしゃっておられました。
僧堂での生活は、掃除も薪割りも、そして托鉢も食事も、全て坐禅のためにあります。

僧堂では、正式には日付に4と9が付く日、これを四九日と言いますが、その5日に一回しかお風呂に入ることが出来ません。この四は死ぬの「死」、九は苦しむの「苦」に通じるので、普段の厳しい修行の手を少し休めて、頭の髪の毛を剃ったり、洗濯をしたり、お風呂に入ったりできる大事な日になります。
その日には四九日掃除といって、かまどの煙突を掃除したり、ごみの処理をしたり、水路にたまったごみを流して掃除したり、要は自分やの周りの衛生環境を整えるメンテナンスをする大事な日になります。
髪の毛を剃るのも、洗濯をするのも、お風呂に入るのも全部「水」が関わってきます。もちろんお寺の掃除と言えば、雑巾がけもあるのでここでも「水」を使います。
つまり修行を続ける上でも、「水と衛生」は古来より大変大事な要素とされてきたといえるのではないでしょうか。
これは時代ややり方が違えど、皆さまの生活やお仕事でも変わらないと思います。

今の便利な生活やお仕事の中では、「水」と「衛生」は当たり前にありますが、江戸時代みたいな生活をしている修行道場、僧堂ではそうは行きません。
道場によっては、水は井戸水ですし、お風呂の水も薪で火を起こして温めてやっと入れます。いわゆる五右衛門を今も使っています。
ボタン一つでお風呂が沸いたり、蛇口から温かいお湯が出ることもありません。雲水の人数も多くいるので、薪も水も無限には使えませんし、後がつかえているので時間にも限りがあります。
それで、お風呂でも桶のお湯3杯など少ない量で、洗体から使った手ぬぐいの処理まで全部を済ませなければいけません。朝の起床の時、口をすすぐのや洗面を柄杓の水一杯で済ませなければいけません。その様な制限がある中でも、身だしなみが乱れていたり、汚れがおちていないと大変なお叱りを受けます。
これは何も今問題になっているハラスメントや意地悪をするためではありません。
限られた中で最大限工夫をすること、そして何より物があって当たり前ではない。有るのが難しいと書いて有り難いと書きますが、その有難さを感じるために敢えてそうしているのです。

修行道場には暖房もありませんし、防寒具もありません、雲水は裸足です。
そして坐禅中は全ての窓が開け放たれています。真冬に雑巾がけをすると、吹いた場所のその水分がすーっと凍ってキラキラする。そんな真冬の朝などは、知らず知らずのうちに本当に体が冷え切っています。
そんなとき朝のお食事でアツアツのお粥を頂く。お米がほとんど入っておらず、水分が多く自分の目玉がお椀の中に映るので目玉粥などと言われます。そのお粥の熱さが、自分ののどを通り、そしてやがて胃にいたる、熱いものがスーッと落ちていくのが分かりました。
ああ、自分はこのお粥に今生かされているのだな。有難さというものを、初めて心から修行中に実感した瞬間でした。

この有難いということを、我々はついつい忘れてしまいます。「水と安全」はタダとか言われたりもしました。そして今は身の周りの衛生状況も、とてもいいのが当たり前になっています。しかし、その「水と衛生」が整っていること、そんな幸福な時代にこうして生を受けて今皆さまと共にあること、それこそが本当に「有難い」のことなのではないでしょうか。
その有難さを私も忘れないように、日々精進していかなければならないと思います。

皆さまは禅というと、あまり身近なものでなく、普段の自分の生活や仕事と接点がないものと思われるかもしれません。
しかし、茶道、華道、香道、剣道など、道と名がつくものは全て禅の影響を受けていると言われています。また能を大成した世阿弥はその著書の中で、能の役者は常に日常生活の中で禅の実践工夫をせよと述べるなど、こちらも能に禅の教えを活かしています。
この様に、日本文化と禅は切っても切り離すことが出来ません。
そして世界に目を向けると、禅と、禅がベースになったマインドフルネスは、IT企業をはじめ多くの名だたる企業で取り入れられています。企業内にメデテーションルームという瞑想用のスペースがあったり、社員研修にも取り入れられています。
一番有名なところでは、アップルの創業者でiPhoneを開発したスティーブジョブスも禅を熱心に学んでいました。iPhoneのシンプルで直感的な操作性は、禅の発想から生まれたとも言われています。
さらに挙げるとグーグル、ナイキ、IBM、インテル、ゴールドマン・サックス、Facebookなどそうそうたる企業です。

しかし坐禅の本場たる日本、インドでも中国でも禅の教えは一回途絶えてしまっていますので、禅宗の本当の教えは日本にしか今伝わっていません。
その禅の本場の日本で、取り組みが遅れていることを大変残念に思っています。
少しずつ取り入れている企業さんも、大企業や中小企業を問わずありますが、まだ大きな流れにはなっていません。
私は今同じ臨済宗の僧侶たちと、FlyingMonk(フライングモンク)という企業さん向けの坐禅プログラムを提供する取り組みをしています。
オンラインで会社のオフィスで、もしくは会社の会議室にお坊さんが直接行って、一緒に坐禅をするというものです。まずは調身・姿勢を整え、調息・呼吸を整えれば、自然と調心・心が整ってきます。そのように心をリフレッシュさせてお仕事に臨んで頂きたい。
坐禅により、心をいやすセロトニン神経が活性化することや、α波が多く出現してリラックスできることは科学的にも証明されています。坐禅は畳の上だけでなく、椅子に座ってもすることができます。
興味があればホームページもありますので、是非フライングモンクで検索をしてみてください。日経新聞やプレジデントオンラインでも掲載を頂きました。そちらの記事も是非ご覧になって頂ければと思います。
また小田原の観光協会さんなどとも関わりでき、観光で小田原を訪れる方へのオプショナルツアーの様なものも開催させて頂いております。

ちょっと脱線しましたが、
今コロナ禍にあって様々な不安や苦しみに、どうしても心がとらわれてしまいます。
それは心というビンに入った水の中で、悩み苦しみという粒子が漂って濁っているような状況です。しかし、心を落ち着けてその水の動きを止めれば、やがて粒子は沈殿し水は澄んできます。
坐禅は難しいこと苦しいことと思われがちですが、そうした心を落ち着けることのできる坐禅は、どこでもいつでもすることが出来ます。
今はオンラインでも、多数坐禅会が開催されていますし、坐禅会をやっているお寺さんもあります。また、企業様のご都合でオーダーメイド可能な、私どもフライングモンクのプログラムを利用して頂くことも出来ます。

ちょっと宣伝を入れて最後に俗っぽくなってしまいましたが、不安や苦しみにとらわれてしまうとき、そこまではいかなくても、心が何かモヤモヤしてしまうとき、ぜひ心の衛生のために坐禅することをお勧めさせて頂きまして、今日のお話しを閉じさせて頂きたいと思います。
どうもご清聴頂きまして、ありがとうございました。

閉 会

点 鐘

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