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第308回例会2021年8月11日(水)0:00〜2021年8月17日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

ロータリーソング

会長の時間

2021-22年度会長 田代 晴香

 皆様ごきげんよう。

 オリンピックが閉会し、私の住んでいる箱根は観光客が増えて「夏休み」という雰囲気が出てきました。3連休中よりも連休明けに交通渋滞や人が増えているのですが、見ていると若い世代の方が多いように感じます。コロナ禍の夏休みも2回目となり、若い世代の方も政府の自粛要請に飽きてしまっているのかもしれませんね。私自身、新型コロナウイルスが蔓延してから都内の住居には帰らずにずっと箱根にいるのですが、ちょっとのお散歩で山や海など自然がすぐそばにある環境で過ごしているからこそ、ある程度の自粛ができていますが都内で自粛するのは難しいかもしれません。しかし、現在は活動量の多い30代以下の感染者が増え、デルタ株の次はラムダ株と海外ではウイルスも変異を続けているようなのでお盆休みも引き続きの感染対策の徹底が必要ですね。

 

 さて、8月のロータリーの友をご覧になりましたでしょうか?今年5月に行われた「日本のロータリー100周年を祝う会」の記事が掲載されています。新型コロナウイルスの影響により式典が延期され、オンライン開催となりましたが、皆様ご覧になりましたでしょうか?友の記事によるとオンライン開催の決定は苦渋の選択であったが、結果として当初の参加人数の倍を超える1,000人以上がライブ中継を視聴したとのことです。

 

 

 このプログラムの中の千玄室委員長の基調講演のロータリーの過去・現在・未来の中での過去のキリスト教文化下での言葉の日本の感覚の違いやその解釈は様々な職業奉仕の説明で一番しっくりきました。そして、スピーチの後半に「会員一人が一人を紹介するといわれても、ロータリーに入ってくださいと頭を下げて入ってもらわなければならないようなロータリーでは私は駄目だと思います。」と力強くおっしゃっていたのがともて印象的でした。実際に私自身が今年度に疑問に感じていることであったので千委員長が名言されていたことで安心しました。ただ、「ロータリーに入れてほしい」といわれるクラブになるためにはクラブや会員が「奉仕」を考え、実践していかなければならないと思います。

幹事報告

2021-22年度幹事 大塚 和光

◆ガバナー月信 2021年8月号◆
下記よりご覧ください。
ガバナー月信 2021年8月号
(※今年度印刷物での配布は行いません。必要な方はダウンロードして印刷ないし保存してください。)

 

◆ロータリーレート◆
8月 1ドル=110円

 

◆「第19回ロータリー全国囲碁大会」のご案内◆
詳細については以下の資料をご確認ください。
日時:2021年10月2日(土)09:30登録受付
会場:東京・市ヶ谷の日本棋院本院1階対局室
主催:ロータリー囲碁同好会
共催:第2580・2750地区
ホストクラブ:東京RC
【囲碁同好会20211002全国大会】RC宛案内状

委員会報告

出席委員会

◆出席報告◆
第306回例会 出席率 100%
 会員数3名 出席者3名 欠席者0名

 

第307回例会 出席率 66.66%
 会員数3名 出席者2名 欠席者1名

Make Up

第307回例会のビジターコメント

前回はありませんでした。

Smile Box

第307回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

卓 話

卓話者 十一代目大塚重郎右衛門 様

きものがたり歳時記(三十四)

十一代目大塚重郎右衛門

 

夏手袋
薄地の絹やレースなどの涼しげなものが多い。

母に振る夏手袋の白き手を  鷹女

 元来は礼装用でしたが女性がお洒落に用いるようになりました。レースや網のものは見るからに涼し気で手もとが美しく見えます。長さは手首までや二の腕までの物などいろいろです。紫外線よけにも使われます。夏の和装での手袋は近年とんと見かけなくなりました。

 

夏足袋
一重に作られたのものは単足袋と言う

畳踏む夏足袋映る鏡かな  青畝

 生活全般に渉り洋風化して足元も靴下やソックスばかりです。でも、掲句の様に着物姿での真っ白な足元を見ると清々しい清涼感というか、凛々しい涼味が感じられます。一見すると素足の方が涼し気に見えると思えるのでしょうが逆で、真っ白な夏足袋を履いた方が涼し気に見えます。

 

夏衿
絽や紗など、織目の透いた涼しげな淡色のものが多い。

夏衿をくつろぐるとき守宮鳴く  蛇笏

 もともと半衿は襦袢やきものの襟元の汚れ防止が目的で発生したものです。安土桃山時代には既にその形があったと言われています。汚れることが前提ですから色は黒で汚れが目立たない様になっていました。半衿はあくまでも汚れ止めでお洒落としてはあまり用いられなかったようです。
 ただし、衿元を美しく見せるという風俗は我が国でも古くからあり、平安時代の後期、十一世紀に成立した「女房装束」に既に始まっています。襲着によって生まれる「襲色目」の美しさは衿元、袖口、裾に見られます。この伝統は小袖が主体になってからも受け継がれました。十六世紀初めの武家の公私の心得などを記した「宗五大草紙」には「三ツえりに物を着候事、児、若衆など、えりを色えて、うつくしく見せ候はんためにて候」とあります。
 江戸時代になって「結髪」が発達し、衿を抜いて着る着付けが一般化したのにともなって長襦袢に刺繍などを施した半衿が掛けられるようになりました。江戸時代後期には京都や大坂では「黒襦子の無地」あるいは「黒縮緬に白糸で細かい刺繍」、「文様染」の衿を、江戸では「紫の鹿の子絞り」、「茶の絞り」などの衿を掛け、娘は専ら「緋の鹿の子や絞り」、あるいは「緋縮緬に金糸で網目や麻の葉を刺繍したもの」が用いられたと「守貞漫稿」にあります。
 明治時代も江戸時代の延長で黒地が好まれました。明治三十年前後から半衿への関心が高まり、半衿専門店が京都、大阪、東京に開業しました。半衿専用の生地として「耳付の衿地」が織り出されたのも明治二十九年のことでした。こうした趨勢は日露戦争の勝利による国民の意気軒昂とあいまって衣服の色彩も派手になり文様も自由奔放なものになってゆきました。明治三十八~三十九年に東京で流行した「元禄模様」はその一例であり、半衿にも元禄模様が一世を風靡しました。
 明治以後、大正から昭和初期にかけて様々な半衿が登場します。芸術的とさえ言える染めや刺繍、絞りなどため息の出るような作品がありました。その時代の女性の日常着はきものでしたので半衿は必需品でした。一般の女性は新しい白い半衿を、まず「晴れの日」(おめでたい日など)に身につけ、汚れたら洗って普段着に使い、汚れがひどくなったら色に染め、またお洒落に使い、擦り切れがひどくなったら端切れにして針刺しなどにしたといいます。それほど物を大切にした時代ですから総刺繍のものなどは宝物のようなものだったことでしょう。それに比べて上流階級の贅沢な人や粋を旨とする芸者衆は一度付けた半衿は二度と付けなかったという話もあります。
 当時の着付には大きく分けて「山の手風」と「下町風」がありました。山の手風は、戦後、主流になりました。襟元をきちんと合わせるので、あまり半衿が見えません。下町風は衣紋をしっかり抜いて襟元をゆったり大きく開けました。一般の女性たちは日常の動きが楽なこの着方を好んだのです。半衿もたっぷり見せるので襟元を美しく飾るためにいろいろなお洒落が楽しめたようです。近年お洒落着が復活して半衿も豊富な種類が出回っています。
 さて、夏に着物を着用する場合に大切なのは着ている人も見る人も涼感を味わえることです。そこで季寄せにもあるように夏衿には絽や紗など織目の透いた涼しげな生地が使われます。絽を素材とする半衿は隙間のある織り方が特徴で涼感のある爽やかなイメージの半衿になります。七月や八月の盛夏期に着る夏紬や麻の織物の着物に「麻絽」という麻素材の半衿を合わせると涼しげな衿元で着物を楽しめます。また、「楊柳」は「ようりゅう」や「きんち」という、織り方が縦向きになった「縦しぼ」が特徴の布地です。「絽縮緬」もさらりとした着用感が特徴です。どちらも五月に着用する春単衣や九月頃着用する秋単衣に合わせて衿元に使われることの多い素材です。

※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。

閉 会

点 鐘

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