第333回 例会2022年3月9日(水)0:00〜2022年3月15日(火)23:59 開催
開 会
点 鐘
ロータリーソング
四つのテスト
会長の時間
2021-22年度会長 田代 晴香
皆様ごきげんよう。
先週の会長の時間にもウクライナについてお話しましたが、1週間が経ち報道を見る限りではウクライナの状況は悪化しているとしか言えませんね。3度の停戦交渉も合意には至らず、市民の避難ルートにも砲撃を受けたというニュースが度々報道されています。
各国ではウクライナの被害を報道していますが、ロシアでは情報統制がされウクライナの現状が報道されていないせいか、「ロシアの独立系世論調査機関レバダ・センターの最新調査で、プーチン大統領の支持率は69%と、昨年12月の前回調査から4ポイント上昇した。不支持率は29%で前回から5ポイント下がった。」という読売新聞の記事がありました。ロシア国内70箇所以上で反戦デモが起き、多くのロシア人が拘束されているということも報じられていますが、その一方でプーチン大統領の支持率が上がっているようです。
ロータリー財団でもウクライナ地域での直接的人道支援の窓口として災害救援基金を設置し、各ロータリー地区では補助金申請ができるようになっています。
また、神奈川県でも3月10日に県内在住のウクライナ人などが家族の受け入れについて相談できる窓口を設置し、県内在住の195人のウクライナ人の家族の受け入れを想定し、今後は生活支援や県内への定住、ウクライナへの帰国時の支援を検討するとしています。
日本国内でも支援の動きが出てきていますが、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の3月6日の報道ではロシアの侵攻に伴うウクライナから近隣諸国への難民が150万人を超えたとのこと。多くの人が少しでも安心して生活できる環境にあることを願います。
幹事報告
2021-22年度幹事 大塚 和光
◆ガバナー月信3月号◆
下記よりご覧ください。
【月信2022第9号_2】
(※今年度印刷物での配布は行いません。必要な方はダウンロードして印刷ないし保存してください。)
◆2021-22年度地区大会 「まん延防止等重点措置延長によるプログラム変更のお知らせ」◆
詳細は下記よりご確認ください。
【まん延防止等重点措置延長によるプログラム変更_2022.03.03[8542]】
◆地区大会 健康チェックシートについて◆
地区大会2日目、3月21日に出席の際、下記「健康チェックシート」を事前にダウンロードしてご記入いただき、当日受付にてご提出をお願いいたします。
名札と交換となります。
※当日の来訪者で検温器で37.5度以上の方にはその場で抗原検査を受けて頂きます。
【地区大会健康チェックシート】
◆ロータリーレート◆
3月 1ドル=116円
委員会報告
出席委員会
第332回例会 出席率 66.66%
会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名
奉仕プロジェクト委員会
Make Up
第332回例会のビジターコメント
前回はありませんでした。
Smile Box
第332回例会のスマイル報告
前回はありませんでした。
カレンダー
卓 話
十一代目大塚重郎右衛門 様
きものがたり歳時記㈣
春着で有名な句に日野草城の『誰が妻とならむとすらむ春着の子』があります。可愛らしい無邪気な、春着を着た子。この子もいずれは誰かの妻になるのだとの思いが伝わってきます。モデルは昭和七年生まれの長女・温子(はるこ・現「暁」代表・室生幸太郎夫人)かもしれないといわれています。
昨今は結婚しない男女が増えて、社会問題にもなっていますが、当時は結婚するのが常識でした。父親としては娘が子供の内から嫁に行く時のことが思われたのでしょう。私は娘二人ですので義理とはいえ息子が二人増えました。昨年十月二日には次女が男児を出産し、遂に、というか漸くお祖父ちゃんになりました。目出度し、目出度し。💛
ところで、私の俳句の師は山本つぼみ先生ですが、その師は八幡城太郎、さらにその師がこの日野草城ですね。伊丹三樹彦も草城の門下ですから、つぼみ先生は同期ということですか。更に遡れば高浜虚子、正岡子規となるわけで。
これも釈迦に説法でしょうが、草城は昭和十年前後には西東三鬼らと共に新興俳句の旗手といわれました。ホトトギス破門後は無季俳句を容認する立場をとります。その代表作が『見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く』ですね。
昭和二十四年に「青玄」をスタートさせましたが、昭和三十一年の没後「青玄」は伊丹三樹彦の継承となり、俳句現代派を目指したのです。「青玄」の終刊後、この「暁」と伊丹三樹彦の長女・啓子氏を代表とする「青群」に分裂しました。共に日野草城を師系としていますが少々色合いが違ってきたといわれていますね。
草城は「俳句は東洋の真珠である」と言っていたそうです。香港のことじゃありません。素晴らしい宝石のようなもの、という意味でしょうね。わたくしはガラクタばかり量産している「報告のワコウ」ではありますが、つぼみ先生のいうところの温故知新を心掛け、抒情性の確立を目指したい、と思います。思いたい。思わねば…🙏
著衣始(きそはじめ)
古く三が日のうちに、衣を着初むる祝い。新しい冠や装束・衣装を着るもの。
物堅く祇園に住むや著衣始 碧童
正月松の内は紋のあるきものが正式でした。男性は紋服、女性は色留袖、訪問着、付下げなどで、未婚の娘は振袖を着用しました。生地は光沢のある綸子や緞子。縮緬なら、しぼの大きいもの。地紋は、やや大きめの本紋や紗綾形、立涌、霞、青海波、流水、大唐草など、いろいろな吉祥文様の中から選びます。色は新春にふさわしい明るい薄色が中心で、ピンク、ブルー、薄紫、クリーム、ベージュ、若草色など。グレーも明るいもの。模様は吉祥文様や御所解文様、有職文様などで、紋は、背に一つ縫い紋が多く、染め抜き紋や三つ紋、五つ紋は順に「格」が高くなるのです。
この「格」というものですが、おおもとは古代の服制によります。飛鳥時代の冠位十二階から今日の皇室服制まで非常に複雑な決まりごとがあります。
冠位十二階を定めた聖徳太子の時代の服制は定かではありません。近年明らかになりましたが、かつての一万円札で有名な伝「聖徳太子図像」は奈良時代の服制による武官のものです。実際の聖徳太子がどのような人物であったかはわかりません。この画像の服装も参考にはなりません。
更に天武朝になりますと唐の影響を受けた服制がもたらされます。これは高松塚古墳壁画の図像に見ることができますが、当時の服制そのものは明確ではありません。官位制度は複雑になりましたが基本的には冠により区別され、例えば藤原鎌足が「大織冠」の位を贈られたなど、服よりも冠に重点が置かれたようです。
奈良時代に入ると、唐の制度を受けて服制は刷新され、律令に基づく明確な法律「衣服令」(えぶくりょう)が定められ、次の養老令(養老二年)では礼服(らいぶく)・朝服(ちょうぶく)・制服(せいぶく)が定められています。
礼服は重儀に用いられるもので、後には即位の大礼にのみ用いられ、明治天皇の父君孝明天皇の御即位までこれが用いられました。朝服は官吏の勤務服です。制服は無位無冠の庶民が公事に従事する際の服で朝服に似たものです。色は黄色で、この無位=黄色は明治まで引き継がれました。
現在の制服(せいふく)の元となる言葉です。
こうして律令の定めは形を変えながらも原則として明治まで生きていました。ただ、今日、神職以外で装束を着用するのは皇室関係と国技相撲関係者くらいなものでしょう。後者は行司が土俵で神事を行う際に用いるのですが、白狩衣(浄衣)に冠を付けるなど、いささか有職故実にそぐわないものです。
一方、流石に皇室は戦前からの装束の伝統を受け継ぎ、天皇の黄櫨染御束帯や白色小葵文の御引直衣、皇太子の黄丹の袍、親王の黒色雲鶴文の袍など全て伝統を守ったものです。現在では束帯は即位・御成婚などの重儀にのみ着用され、通常の神事などでは衣冠が正式礼装とされています。
※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による
閉 会
点 鐘