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第386回 例会2023年5月10日(水)0:00〜2023年5月16日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

国 歌

ロータリーソング

四つのテスト

会長の時間

2022-23年度会長 大塚 和光

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。どれか当てはまるもので、先ずは、ご挨拶。2022-23年度会長を務めます大塚和光です。どうぞ、よろしくお願い致します。
 
 ジェンダーについて考える時、女性をセックスの対象としてだけ見る、あるいは性的な商品として扱うという事実に触れないわけにはゆきません。これは歴史的事実であるばかりではなく現在でも厳然として存在する事実です。

 
 2022年12月15日付の読売新聞夕刊に新宿歌舞伎町で活動する坂本新さんの状況がレポートされています。記事を起こした記者の名前も同じ坂本さんなので不思議な感じなのですが、この記事は氷山の一角だと思います。様々な要因が絡んでいることは容易に想像できますが、坂本記者のコメントにあるように、こうした女性たちが生きる希望を取り戻してほしいと思います。根本にジェンダーギャップがあるのも確かです。
 ジェンダーギャップの様々な局面を考える時、こうした側面が最も悲惨であるともいえます。誰にも言えず孤独なままで出産し、赤ちゃんを死なせてしまったり捨て子にしたりと一番弱いところに皺寄せが行くのが現実です。記事にあるケースは、まだましなのかもしれません。事件として報道されることもなく埋もれてゆくケースが数多くあるのが現実だと思います。

 

 次の記事は性別による無意識の偏見、アンコンシャス・バイアスについて事例を挙げて解説しています。私自身いつも思いますが、通念というか時代感覚のようなものは子供のころから身についてしまっているだけに偏見を偏見として認識していません。それだけに始末が悪いものです。オリンピックの時の森元首相の例のように本人は全く意識していませんし、周囲の人たちも男女を問わず感覚を共有してしまっています。ジジババ世代は多くの場合に通念としての「無意識の偏見」を共有しているのです。

 
 放映中のNHKの朝ドラ「らんまん」は明治の初めという時代背景もあってジェンダーギャップどころか身分や中央と地方とか新政府側と旧幕府側というように様々なギャプのオンパレードです。次の記事は平成時代についてのものですが、考えてみれば、私達は明治、大正、昭和と長い間ずっと「必死に生きてきた」のだろうと思います。ジェンダーについて論じる時に不適当かもしれませんが、私には男女双方、そして全ての人たちが必死に生きたはずだと思えます。私は78年生きてきて、そう思います。
 こうした短編小説の形で抽象化され、一般化されたものから「等身大の記念碑」を超えて新たな動きが出て来るものと思っています。

幹事報告

2022-23年度幹事 原 いづみ

◆5月「青少年奉仕月間」のリソース◆
  詳細は下記よりご覧ください。
 【2023年5月|青少年奉仕月間
 

◆第3回 世界米山学友による世界大会「再会in関東」登録のご案内◆
 2023年8月5日〜6日(土・日)に開催されます、 
 第3回 世界米山学友による世界大会 「再会in関東」登録のご案内をお送りいたします。

 開催地:つくば国際会議場 〒305-0032 茨城県つくば市竹園2−20−3
     https://www.epochal.or.jp
 登録料:ロータリアン(ロータリアン学友含む)とそのご家族  15,000円
     米山学友・奨学生                   7,000円
     その他(学友のご家族、友人等)            7,000円

 ◎添付のご案内用紙2枚名(下記参照)のQRコードを読み取り、各自登録を行い、ご参加をお願い致します。
 
 その他詳細は下記よりご確認ください。
 【20230805,6米山学友会世界大会_会長幹事各位
 

◆ガバナー月信11月号◆
 下記よりご覧ください。
 【月信2023第11号
 

◆ロータリーレート◆
 5月 1ドル=136円
 

 

委員会報告

出席委員会

第385回例会 出席率 66.6%
 会員数 3名 出席者 2名 欠席者 1名

奉仕プロジェクト委員会

ご案内、お声がけをお願いいたします。

アーカス湘南ロータリークラブお米プロジェクト案内 Vol.4
申込書

Make Up

第385回例会のビジターコメント

川崎ロータリークラブ 元沢 伸夫 様


ダルビッシュ選手の水募金についてはじめて知りました。どんなきっかけや、これまでの経緯があったかはわかりませんが、17年も続けていることが本当に素晴らしいと思います。一時的な感情でアクションすることはあっても(それが悪い訳ででもありませんが)、継続してアクションする事は何事でも非常に難しいと感じています。

Smile Box

第385回例会のスマイル報告

前回はありませんでした。

カレンダー

卓話

 本例会は5月の第一例会ですので、通例ですと卓話はRI会長のメッセージや月間テーマに関連のある内容であったりしますが、この会期中に京都の三大祭りの一つである葵祭が四年ぶりに開催されるという時期に重なりますので、今回は葵祭に因んだ内容の卓話にさせていただきました。

幹事 原 いづみ

和ものがたり歳時記(一)

葵祭・浅草祭

卓話者:末広 平太 様

 

 大抵の季寄せ、歳時記がそうであるように、俳句の世界では立夏から立秋の前日までが夏とされています。おおよそですが陰暦では四・五・六月、陽暦では五・六・七月となります。更に芒種の前日までを初夏としています。昨今のように異常気象続きですと季節感が異なるような気もします。今や日本の夏は亜熱帯気候と言うべきでしょうね。
 季寄せには五月上旬から御柱祭・府中祭・地主祭・筑摩祭・神田祭・葵祭・和歌祭・浅草祭・舟遊祭・楠公祭・昇天祭・貴船祭・日光祭と六月上旬まで夏祭が盛り沢山です。
どの祭も長い伝統とそれぞれの特徴を持っています。日本の伝統文化の精華を見るようです。ここでは葵祭と浅草祭の二つを見てみましょう。

 葵祭(あおいまつり・あふひまつり)
  五月十四日(もと四月中の酉の日)、京都上賀茂の加茂別雷(わけいかずち)神社と、下賀茂の加茂御祖神社の
  祭礼。祭といえばこの祭、石清水八幡の南祭に対して北祭とも言う。この日、懸葵といって、社殿の御簾に加茂葵
  を懸け、葵鬘・諸鬘と言って、衣類や髪にも葵を結ぶ。賀茂祭。加茂葵は、今言う葵とは別。
   地に落ちし葵踏みゆく祭かな      子規
   白丁(よぼろ)らの顔の小さき賀茂祭  夜半

 葵祭は京都の有名なお祭りです。昔は「祭」と言えば葵祭のことでした。夏祭の元祖です。祇園祭も有名ですが、こちらは庶民のお祭りといわれています。対して葵祭は貴族の祭りだといわれています。有名なお祭りなので何となく知っている気になっている方が多いのではないでしょうか。ただし、実際に考えてみると一体どんなところが貴族を感じさせるのか、葵祭はどこの神社のお祭りなのか、などなど知らない人も多いのではないでしょうか。
 葵祭は元々は賀茂祭、または北の祭りという名前でした。京都の上賀茂神社と下鴨神社のお祭りで、行われるのは毎年五月十五日です。二つの神社を総称して賀茂神社といいます。
 葵祭の起源は約1400年前、欽明天皇(在539~571)の頃に遡ります。風雨が続き五穀が実らなかったため、当時、賀茂の大神の崇敬者だった卜部伊吉若日子を勅使として祭礼を行い駆競(かけくらべ)などを行いました。すると風雨がおさまり五穀も豊かに実って国民も安泰に。この行事が葵祭のルーツとされます。819年には、律令制度で最も重要な恒例祭祀に準じて行う国家的な行事となりました。
 もともと賀茂神社と朝廷の行事でしたが、御所から神社までの行列が華やかで素晴らしいので、貴族がこぞって見物に訪れるようになりました。行列する方も見物する方も両方共貴族だったので文句なしの貴族のお祭りですね。 
 「枕草子」や「源氏物語」といった文学作品にも登場しています。もともとは「賀茂祭」と呼ばれていましたが、江戸時代に祭の内裏宸殿の御簾や牛車などに二葉葵を飾ることから葵祭と呼ばれるようになったと言われています。
 平安時代以降、応仁の乱後の約200年、1871年~1883年、1943年~1952年と三度の中断や行列の中止がありました。しかし復活を遂げ、現代まで王朝風俗の伝統を受け継いでいます。天皇のお使いである勅使が賀茂神社で祭典を行うことと、賀茂神社までの道のりを行く勅使一行の行列を忠実に再現しているのが現在の葵祭です。
  市電の中を風ぬけ葵まつり過ぐ    鈴木鷹夫                   
 私が社会人としての一歩を踏み出した昭和40年代中頃の京都の雰囲気をよく伝えています。冷房設備のない市電は窓を開けて風を入れながらゆっくりと走り、近くの山に茂る青葉を背景にして古い町並みが美しい。しかし京都の市電は車を運転する者にとっては邪魔な存在で、間もなく廃止になりました。敷石が祇園新橋通りに残されています。

 浅草祭
  五月十七、十八日(古くは陰暦三月)東京浅草の浅草神社で行なう祭礼。三社祭。当日、雷門の付近に蓑市
  立った。
   浅草の祭りもなかや心太        軒雨太
   蓑市にいづちの花のちる燈かな     細流

 正和元年(1312)から三社の神話に基づき船祭が始められたといわれています。昔は3月17日、18日の両日に行われ、丑、卯、巳、未、酉、亥の1年おきに本祭が行われました。江戸時代には大祭前夜、神輿を観音本堂の外陣に安置、「びんざさら舞」も堂前の舞台で行われていました。当時は浅草寺と一体となった祭りで「観音祭」又は「浅草祭」と呼ばれました。江戸第一の荒祭として知られ、今でも非常に人気が高いのです。三社祭は子季語ですが、現在では、この呼び方のほうが通りが良いかもしれません。
  大団扇三社祭を扇ぎたつ       長谷川かな女
  荷風なし万太郎なし三社祭      宇田零雨
 土地土地の祭は季節を呼び寄せ人を呼び寄せ、呼び寄せては消えていく、ということでしょうか。
  
※引用文は山本健吉編【季寄せ】(昭和四十八年文藝春秋社刊)による。

閉 会

点 鐘

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