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第294回 例会2021年4月14日(水)0:00〜2021年4月20日(火)23:59 開催

開 会

点 鐘

ロータリーソング

四つのテスト

会長の時間

2020-21年度会長 大塚 和光

 皆様、おはようございます、こんにちは、こんばんは。どれか当てはまるもので。

4月9日付「世界予防接種週間に行動しよう」という標題のメールが「ポリオプラス担当部」から来信しています。4月24日~30日は「世界予防接種週間」ですが、この一週間にはロータリーと共にワクチンの有効性について情報を広め予防接種に対するためらいや誤解をなくしましょう、という呼び掛けです。
 ○数十年に及ぶポリオ根絶活動ではワクチンの有効性を人びとに伝える上でロータリーが重要な役割を果たしてきました。今、新型コロナワクチンの接種が各地で開始され始めています。こうした状況の中、ロータリー会員はポリオ根絶活動における経験を生かし、地域社会でワクチン接種に関する啓発や支援を行うことができます。ロータリーとパートナー団体の懸命な努力により、現在、野生型ポリオウイルスの常在国はアフガニスタンとパキスタンのわずか2カ国となっています。しかし、これらの国からポリオをなくし、他の国でのポリオ再発を防ぐには、引き続きワクチンに対する信頼を築き、ワクチン配布などの活動資金を集める必要があります。

 この件については財団室ニュース4月号に最新の野生型ポリオウイルスによる症例数が報告されています。前回、パキスタンでの活動報告の一つに触れました。現地のロータリアン達が当時、目標としていたという発生ゼロにはならなかったようです。しかし、大分減少しました。今年に入ってからは両国とも1名ずつの発生です。アフガニスタンでは昨年2倍近くに増えているのが気になります。このまま抑えられるといいのですが。
 

 ポリオばかりではありません。ロータリー財団では、ザンビアでのマラリア根絶活動を支援して成果が実証されている活動の規模を拡大する大規模プログラム補助金200万ドルを活用しています。支援対象となったPartners for a Malaria-Free Zambia(マラリアのないザンビアのためのパートナー)プログラムではマラリア発生への対応と感染予防において成果が実証されているモデルが使用され、ロータリアンが中心となって活動しています。このプログラムは、ザンビアの2つの州にある10の地区で、マラリア患者を90%削減することを目指しています。こうした活動にも目を向けてゆきましょう。
 4月10日付朝日新聞の天声人語はスペイン風邪に触れています。1918年から日本でも広がり、およそ40万人の命を奪ったとあります。速水融(あきら)著の「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」によれば三つの波があったといいます。それぞれに特徴があり、第一波では死者が殆ど出なかったようです。脅威となったのはその後で、第2波は感染力が強く、第3波は死亡率が高かったといいます。当時の新聞には「流感の恐怖時代襲来す。咳一つ出ても外出するな」とあるそうです。現在の「規制」がひどく緩く思えます。
 速水氏は歴史人口学者で、当時の様々な波はウイルスの変異によって起こったのではないかと指摘しています。現在、英国初の変異株が関西で広がり他の地域に及んでいます。今回のコロナ禍ではウイルスがこれほど変位するものかと今まさに思い知らされています。「まん延防止等重点措置」という不可思議な名称の対応策ですが、これは「部分的緊急事態宣言」の色合いのもので、主な手立ては飲食店の営業時間短縮です。県境を越える移動も控えるよう促すとは言いますが変異株という感染力の強くなったウイルスに有効なのでしょうか。
 飛沫感染と接触感染を防ぐにはマスク、うがい、手洗い、手指の触れる部分の殺菌消毒が有効ということで、かなり徹底しています。そうしたことから見ると、コロナ禍のこの1年余りは大多数の人にとっては、ある種の成功体験だったかもしれません。そこで、今まで大丈夫だったから今後もやり過ごせると思いたくなります。しかし環境・状況が厳しくなった時に過去の経験を引きずれば失敗を招きかねないのは、これも経験が教えているところです。
 とても「コロナ慣れ」などしている余裕はないはずですが、これまで悪い例が政府をはじめ指導すべき立場の人達から聞こえてきています。大臣、代議士、厚生労働省の職員などなど。深夜まで大勢で送別会をした人たちが何を指導できるというのでしょうか。

 昨2020年7月7日付朝日新聞に「『自粛を要請』気になる表現」という標題の投稿があります。中村幸弘さんという86歳の短大教員の方からのものです。この頃は外出自粛要請が解除され短大の対面授業が一部解除となった時でした。学生の第一声は「日本は自粛要請されただけで、みんな外出しませんでしたね」だった、そうです。
 中村さんは「自粛」をはじめとして「自」を冠する熟語には「自戒」「自供」「自決」などがあり、他者に何かを強要する姿勢が透けて見え、抵抗を覚えるといいます。「自決を教唆」して島民を死に追いやった沖縄戦を想うといいます。
 永井荷風は日記「断腸亭日乗」に1940(昭和15)年、「自粛自粛といひてあまり窮屈にせずともよしと軍部より内々のお許しありしと云ふ」と記しました。軍部は表面的には国民に自粛を強要し、裏では「大目に見る」と言って贅を貪っていたわけです。中村さんはこの「自粛」を「私は実感をもって記憶している」と言っています。前述の指導的立場にあるべき人達の行状を知った時、同じ思いを抱いた国民は多かったはずです。

幹事報告

2020-21年度幹事 石田 裕樹

◆ガバナー月信 2021年4月号◆
 下記よりご覧ください。
 【 月信2020 第10号 
  (※今年度印刷物での配布は行いません。必要な方はダウンロードして印刷ないし保存してください。)

 

◆地区ホームページ 次年度地区方針等掲載について◆
 地区ホームページに、次年度地区方針、略歴、写真等を掲載されました。
 (クイックアクセス → 地区ガバナー → ダウウンロードより)
 ご活用ください。

 

◆「職業奉仕月間」卓話 youtube URLのお知らせ◆
 詳細は下記よりご覧ください。
 【2020-21職業奉仕月間_卓話youtubeURLご案内 (配信用) – 4月

 

◆ハイライトよねやま253号◆ 2021年4月13日発行
 下記よりご覧ください。
 【http://www.rotary-yoneyama.or.jp/content/uploads/summary/highlight253_pdf.pdf

委員会報告

出席委員会

第293回例会 出席率50%
 会員数4名 出席者2名 欠席者2名

奉仕プロジェクト委員会

◆アーカス湘南RC お米プロジェクト~ご飯を食べてポリオ根絶!~◆

 前回例会会期中の申し込みは0件でした。皆さんお声がけしていただいていますでしょうか。まもなく受付終了予定ですので、もう一押しご案内お願いします。

 
 案内用資料はこちら
 【アーカス湘南ロータリークラブお米プロジェクト案内
 【アーカス湘南RCお米プロジェクト申込書

Make Up

第293回例会のビジターコメント

鳥栖ロータリークラブ 横尾 和磨 様


会長の時間よりポリオに関して、また、卓話より環境問題に関して、改めて認識するとともに、新たに知見を広める事もできました。
また、大塚会長も、ホルガー・クナーク会長も私たち一人一人の意識・行動の変化が大きな変化を起こせると述べられています。
小さな事でも出来る事を行動に移していきたいと感じました。
参加させて頂きありがとうございます。

Smile Box

第293回例会のスマイル報告

カレンダー

卓話

Ⅰ.ものがたり歳時記(十)

卓話者:十一代目 大塚重郎右衛門 様

 
 お読み頂いた方々から御質問や御感想を頂いています。有難うございます。そこで今回は第一回の『二ページ目の「時色」は、「鴇色」ではありませんか。』というご質問について書いてみます。

 そうです。色彩の表記としてはそれが正解です。しかし、実際には当時の呉服の現場では「時」と表記するのが通常でした。昔からそういう書き方もしていたようで江戸時代の色見本帳にも時色の表記が見られます。多分、ですが、難しい字は書きにくいし読む時もこの方が判読しやすいし。実務の現場ではこの文字で通ってました。
 鴇色はトキが飛ぶときに見せる風切羽の色に似たやや紫に近い淡いピンク、少し黄みがかった淡くやさしい桃色のことです。朱鷺色とも表記します。古名は鴇羽色。他に、本鴇色、乙女色などとも呼ばれています。そういえば、乙女の紅潮した柔らかなほっぺたを想起させる色合いです。江戸時代から若い女性が好んで使っていた色でした。ピンクという色名がまだ日本に無い時代はうすい赤をさす色名として誰でも知っていました。江戸時代の染色指南書である『手鑑模様節用』には「とき羽色一名志ののめいろ」とあり、東雲色と同色とされています。
 鴇は鳥の名前です。古くから知られており、日本書紀や万葉集にもその名が見られます。平安時代には桃花鳥(ツキ)と呼ばれておりました。古来、日本語の色名には動物からとられたものは殆どありません。草木染めの植物の色が圧倒的に多いのですが、多少は、いろいろな鳥達が色の名前になっています。鴇色や鶯色、雀色のような鳥や動物からの色名が広く使われるようになったのは江戸時代からで、それまではあまり存在しませんでした。
 トキの体色は白ですが、飛翔した時に尾羽、風切羽、羽の内側などが淡紅色を帯びているところから紅鶴、桃花鳥とも書かれ、この色名もつきました。当時は朱鷺がいたるところにみられたので朱鷺色といえば誰でもすぐに分かるような一般的な色であり、若い女性に好まれたようです。春を美しく演出する色です。ただ、二葉亭四迷の「浮雲」や谷崎潤一郎の「痴人の愛」などによれば、当時、年を食った女性が身に付けると痛々しい色であるという認識もあったようです。
 もともとは紅花や蘇芳で染められていましたが、退色し易い為、茜を使い、明礬と灰汁とで媒染することが多くなりました。現在は殆ど化学染料ですが。
 因みに、鴇(とき、朱鷺、桃花鳥)とは、コウノトリ目トキ科の鳥で、体長が約七五cm、全身が白色の羽毛に覆われ、後頭部に長い冠羽があります。翼や尾羽は淡紅色(鴇色)で、顔の裸出部と脚は赤色、繁殖期には羽色が灰色となります。黒く長い嘴は下方に湾曲しています。現在、特別天然記念物及び国際保護鳥に指定されています。またニッポニア・ニッポンという学名はシーボルト事件で有名なシーボルトが持ち帰った剥製を見た学者達が命名したと言われています。
 昔、トキは田畑を踏み荒らす害鳥でした。仏教の影響で肉食が禁じられ鳥獣類が保護されていた江戸時代でも、あまりにトキが多く困っていたため、お上にトキ駆除の申請を出した地域もあったほどだそうです。明治に入り日本で肉食の習慣が広まり、また経済活動の活発化により軍民問わず羽毛の需要が急増した為、肉や羽根を取る目的で乱獲されるようになり、一九二五年頃には絶滅したとされていました。「再発見」された後、佐渡島に残された最後の野生の五羽全てが保護され飼育繁殖計画も行われましたが失敗しました。二〇〇三年には最後の一羽「キン」の死亡が確認され日本産のトキは絶滅し、その後、中国からトキを借りて佐渡で人工繁殖が始められました。国家事業として絶滅からの救済措置が計られることになり、多額の予算が付き日本の動物保護の象徴的な鳥になりました。これまで投入された税金は五十億円を下らないといいます。一度失われた自然を取り戻す為に、なんと高くついたことか…。この間の事情はご存知の方も多いでしょうね。今では約一五〇羽が日本の空を飛ぶまでに増えているそうです。
 
 さて、色の文化は気候風土によって育まれるものです。日本の草木から染め出された色合いは日本の風土に溶け込み、心も落ち着かせてくれます。それらが見事に調和するのは天然染料の色だから。自然界の色が調和しているように、その色だけが飛び出してくることがないのです。
 日本の伝統色の特徴は三つあります。草木染で染められた色で、その原料となる植物の名を色名としたものが多いこと。中古以来、ある色はある位の人しか着ることが出来ないという身分の表象としての服色の制度があって大宝令、延喜式などに記録されている色物が含まれるということ。平安期の装束の重ね着の配色に自然の風物の名をとって呼んだ襲色目という雅やかな色名があるということ、です。
 日本の伝統色を知れば知るほど、日本人の繊細な感性や自然の恵みを感じます。日本の伝統色には素敵な名前が付けられています。微妙な色味のそれぞれに名前がついているので全部覚えるのは難しいですが、名前を聞くとどんな色なのかが目に浮かぶような風情のある名前です。自分の好みの色の名前と由来だけでも覚えると、ますますその色が好きになりそうです。
 

※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されている連載を編集して掲載しております。※

Ⅱ.きものがたり歳時記(十一)

卓話者:十一代目 大塚重郎右衛門 様

 
 いつも使っている季寄せで「鴇」を探しましたが載っていませんでした。そこで、他の手持ちの季寄せと歳時記を見てみましたら一冊だけ秋の項に「朱鷺」がありました。 二〇〇六年第三書館発行の「ザ・俳句歳時記」です。端書に「例句は(中略)全国の多くの俳句の会(結社)から推薦を受けた作品(中略)の中から選句したものです。総掲載句約二万九〇〇〇句の中で、(中略)数の上で圧倒的に重点を置いたのは、現代の俳人の作品です。」とあります。炬燵の項には拙句も載っております、何故か。
 幾たびも聞きし話や切炬燵    大塚和光(わこう)
 この一句が載せられた為に、大枚ん千円を投じてご購入となったわけです。身に覚えのあるお仲間も随分おられると思いますが。

 朱鷺
  コウノトリ科の、天然記念物で国際保護鳥ともされている貴重な美しい鳥。全身淡紅色、嘴は黒く下に曲がり、
  顔と脚が赤色です。
   朱鷺の目にはいま杉の青なだれおり  上野波翠
   朱鷺舞ふやひっつめ髪に珊瑚欲し    山崎久美江
 
 「ひっつめ髪」は普通忙しく立ち働く時にしますよね。
そんな時にでも山崎久美江さんは朱鷺を見て珊瑚の髪飾をつけたくなったんですね。素敵な女性ですねえ。お洒落。「浮雲」の十八歳の美少女・お勢は黄八丈の小袖に藍鼠の帯、帯揚は時色縮緬という姿で菊見に出掛けるという設定です。当時の若い女性らしい上品な拵えなのです。
 「痴人の愛」のヒロイン・ナオミは「白っぽい、ふわふわした薄紫の葡萄の模様のあるモスリンの単衣」と「幅の広い派手な鴇色のリボン」を身につけるシーンがあります。若々しいけれど、少し浮ついた印象の服装です。渡辺温の「アンドロギュノスの裔」に「抜け落ちてしまって一掴みにも足りない髪を大きな鴇色のリボンで結んだ」自称十三歳の年を食った売春婦が登場します。ここでは鴇色の大きなリボンが痛々しい若づくりの象徴です。不思議な色です。
         
 さて、「衣服の用語は難しいですね。」というお声も頂きました。確かに衣服の用語は難しいかも、、、ですが、何の用語でも所謂専門用語は難しいんじゃありませんか。「俳句用語」だって門外漢から見れば訳が分からない言葉だらけですよ。何でも馴染みがなければ、そんなものです。昔は普通の人が普通に使っていたんでしょうがね。つぼみ先生が養蚕の言葉について話されたことがありますね、殆ど死語になったと。また、前の戦争の事なども先生の世代と現在の若者世代では感じ方が違うのはよく言われることです。何事も伝えていくことの大切さを想います。
 同様に「専門的すぎると思う。」というご意見もありました。例えば㈡の三頁の裁縫の記述です。八行目「また、幼児用は」から十四行目の「使われました」までが細かすぎて、必要かな?と思いました、と言われます。しかし、これは私の母の世代まで縫物をする女性、つまり普通の女性なら皆が心得ていたことで何ら専門的ではなかったことです。こんなことが専門的すぎると言われる世の中になるとは当時の人は想像もしなかったでしょうね。僅か数十年間の事ですが現在の一般女性はそのように感じるのでしょう。そこが面白い。私自身は当時の奥様方や仕立職人といつも普通に話していたことなのです。その二頁でも触れたように、使われなくもなったし既製品が出回ったこともあって必要ないことになったわけです。
 また「難読文字が多い」というご指摘もありました。特に服制や色目についてはその通りで私もノートが頼りです。全部の漢字というわけにはゆきませんが読めないままでは困りますから編集長にルビを振って頂きました。
 例えば㈣の最後に黄櫨染御袍とあります。これは平安時代以降の日本の天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束の「黄櫨染」の色の袍のことです。中国の赭黄袍を起源として平安時代初期に導入されたものです。それ以前の天皇の袍は白色であったと推定されているのです。
 黄櫨染は櫨の樹皮と蘇芳から染め出される色です。「赤みがかった黄色」や「黄がかった茶色」等と言われますが、時代や着用者の年齢等によってかなり幅のある色であったと考えられています。
 直衣は平安時代以降の天皇、皇太子、親王、および公家の平常服です。外見上は衣冠とほとんど同じですが、「直(ただ)の衣」の意味により平常服とされ、色目・紋様も自由でした。成人前の若年者は「童直衣」を着用しました。「雑袍」とも呼ばれ、参内(御所への出入り)には「雑袍宣旨」という宣旨を得てから使用しました。
 「源氏物語」によると光源氏の狩衣着用は微行時に限られている事からわかるように、平安中期までは上流貴族の通常服として盛んに用いられました。院政期には狩衣の使用が一般化し、大臣などは狩衣を改良した小直衣を用い、次第に略礼装の位置を占めるようになりました。室町時代に内裏小番制度が確立すると、儀式のない日の当番には勅許を得た者は直衣、他は衣冠で参内することとなり、宮中での勤務服という性格を持つようになり幕末に至ります。近世では他家の元服への参列や宮中の和歌会や雅楽会への参列などにも使用しました。(これは専門的過ぎるな。)

 

※本稿は阿夫利嶺俳句会の月刊誌「阿夫利嶺」に掲載されている連載を編集して掲載しております。※

閉 会

点 鐘

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